悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。

槙村まき

第1章 入学と武術大会

第1話 処刑回避のために


「あの、困ります。こんなところで」


 目の前には美しすぎる顔面がある。彼の金糸の様な髪が、リシェリアの頬にあたっていた。こちらを見つめるエメラルドの輝きは、ゲームのスチルとは違って感情が宿っているようにも見える。


(なぜ、こんなことに――!?)


 背中には本棚があり、顔の横には彼の腕がある。背中にあるのは壁ではないけれど、これはいわゆる壁ドンではないか。


「……いつも、君が逃げようとするから」


 淡々と喋りながらも、少し困ったように眉を顰める。

 彼は常に無表情で「氷の王太子」とも呼ばれていたのに、こんな表情はゲームでも見たことがない。


 ルーカス・ウルミール。

 ウルミール王国の王太子であり、幼い頃から受けた王太子教育により感情を失ったとされている、乙女ゲームのメインの攻略対象。

 ゲームを初めてプレイした時はそんなルーカスの表情を被っている氷をはやく溶かしてあげたくて、三日三晩徹夜して攻略したことを思い出す。――まあ、その数か月後に新ルートが解放されて、徹夜と内容のショックさから事故に遭って十代の内に死んでしまったのだけれど……。


 その眉目秀麗な顔面が、なんで目の前にあるんだろう。

 本来ならこの顔は自分ではなく、ヒロインに向けられているはずだ。

 それなのに、それなのに――。


「ここは人目があります。あの、逃げませんので、手をどかしていただけませんか?」

「……わかった」


 学園の授業終わりの図書室は、授業の資料を求めたり、本を求めたりする生徒たちがちらほらといる。それなのに入口近くでこんなことをやっていたら、リシェリアみたいに地味な格好をした令嬢は、好奇の視線にさらされるだろう。

 だから早く、逃げないと。


「リシェリア」


 ルーカスの腕がどかされて名前を呼ばれた瞬間、リシェリアの体は動いていた。

 風の魔法を使って、一目散に図書室に入口に向かって行くと、そのまま窓を開いて校庭に飛び降りた。

 振り返ると、窓からルーカスがこちらを見下ろしている。その瞳は陰になっていてよくわからない。

 追いかけてくる素振りはないが、リシェリアはそのまま校庭を突っ切って、下校する生徒に交じって校門を抜け出した。


 家門の馬車に乗る前に念のために背後を見るが、ルーカスは追ってきていないみたいだ。


「よかった」


 こんな格好をしているのに、どうしてルーカスは自分を追ってくるのだろうか。

 その理由はわからないが、もうすでに乙女ゲームのストーリーは始まっている。

 ルーカスもなぜかリシェリアに付きまとってくるけれど、いつかはゲームのヒロインと出逢って、互いに惹かれるはずだ。


「だから、私は必要ないわよね」


 帰りの馬車に揺られながら、リシェリアは前世の記憶が戻ってからのことを思い出していた。



    ◇◆◇



 乙女向けスマホゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の世界に転生したことに気づいたのは、リシェリアが五歳の時だった。


 ある朝、目覚まし代わりにベッドから落ちて頭を打ったことにより、リシェリアは前世の記憶を思い出した。

 強い衝撃と共に、頭の中にある一人の少女の膨大な記憶がよみがえり、リシェリアは三日間寝込むことになった。

 その記憶によると、リシェリアの前世は普通の大学生だった。子供のころから少女漫画が好きで、中学ぐらいから乙女ゲームにはまっていた。そんな前世の自分が、乙女向けのスマホゲームにどっぷりはまるのに時間は掛からなかった。


 その中でも特にはまっていたのが、『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』という、学園物の乙女ゲーム。

 平民の主人公が特別な能力に目覚めて、貴族学園に通うことになり、そこで攻略対象と愛を育んでいくよくあるストーリーなのだが、それは表ルートのみで、裏ルートは主人公と攻略対象共に惨憺たる思いをするバッドエンドもあった。

 そのバッドエンドでしか見られない闇ルートが、ある一部で盛り上がっていたけれど、前世のリシェリアには重すぎたので割愛。


 とにかく、どうやら自分はそのゲームの悪役令嬢に転生したらしい。


 リシェリア・オゼリエ。

 この国で代々宰相職に就いている、オゼリエ公爵家のたった一人の娘としてこの世に生を受けたリシェリアは、娘思いの父親により蝶よ花よと大事に育てられた。

 そして六歳の時にこの国――ウルミール王国の王太子と婚約を結び、父親の愛情を一身に受けながらも、日々努力をしてきた。


 だがその努力は、王太子が平民のヒロインと恋に落ちたことにより、亀裂が入ってしまう。いくら努力をしても常に感情のない瞳で見てくる王太子が、ヒロインに笑顔を向けたのが彼女の心に闇を落としたのかもしれない。

 リシェリアは取り巻きを使ってヒロインを虐めた。それだけには飽き足らず暗殺者を雇ってヒロイン暗殺を企てたり、終いには自分に心を開くことなく冷たい瞳を向けてくる王太子に、短剣を向けて走りだしたことにより、悪役令嬢としてその人生に幕を閉じる。王太子を弑逆しようとした大罪人として、リシェリアは一族郎党処刑されることになったのだ。


 ――そう。処刑されるのだ。

 悪役令嬢リシェリア・オゼリエは死ぬ。

 しかも斬首された後に晒し首になって、多くの聴衆に石を投げられる散々な結末。


(そんなの嫌だ!!)


 熱に浮かされながらも、リシェリアはそんなことを考えていた。


 そして回復した後に、決意した。

 絶対に処刑を回避してやると。


 その為に考えたのは、自分の姿を偽ることであった。

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