第4話 どうしてここに


 ルーカスとアリナは無事に出会いイベントを終えられただろうか?


 ゲームで二人の出会いはあまり良いものではなかった。

 中庭で友人と喋っていたヒロインを、最初に見つけたのはルーカスの方だった。他の貴族令嬢と違って大きな口を開けてコロコロと笑うヒロインの姿に、ルーカスが眉を顰めるスチルが印象的だ。


 感情を失った【氷の王太子】。

 幼い頃から受けた厳しい後継者教育に加えて、実の母を亡くしたことにより彼は感情を失ってしまった。

 だからヒロインの無邪気な姿を見て、自分の中に湧いてきた感情がよくわからずに思わず眉を顰めたのだろう。


 その後の展開によってルートは分かれていくが、ルーカスのルートは攻略対象の中でも比較的安全で、選択権を間違えなければすぐに表ルートでハッピーエンドだ。


 前世では途中で選択権を間違えてしまい、裏ルートの一つであるヤンデレ落ちルートに入って散々な目に遭ってしまった。怖くて目を細めてエンディングを眺めていたのだけれど、確かヒロインを失った悲しみに、もうこんな国なんて要らないという王国滅亡ルートだったと思う。明らかにバッドエンドだ。

 もしアリナがルーカスのルートに進むのであれば、そのルートだけは絶対に阻止しないと処刑されなくてもリシェリアの命は王国と共に消えてしまう。


(他の裏ルートも酷いらしいのよね。特に死ぬ前にプレイしていたルートはメリバだと言われていたけれど、能力を使いすぎて植物人間になってしまったヒロインをこっそり連れ帰って……)


 体を抱きしめながら、私は放課後の図書室で震えていた。


 王立学園の図書室は前世の高校の図書室とは比べ物にならないぐらい広い。

 特に奥の方にある、王国の成り立ちとか分厚くて誰が読むのかわからないゾーンは、まったく人が寄り付かない。入学した次の日にはもうすでにこの場所を見つけていて、あれから基本的に昼休憩と放課後はずっとここに隠れている。

 昨日はたまたま入口でルーカスに捕まってしまったけれど、今日は大丈夫なはずだ。


「……はやく、円満に婚約解消する方法を探さないと」

「リシェリア。いま、婚約解消って言った?」


 突然かけられた声に反応して顔を上げると、そこにはいるはずのないルーカスがいた。


(どうしてここに)


 放課後、チャイムと同時に教室から飛び出したから、ルーカスに後をつけられることはないと思っていた。図書室のこんな奥まったところまで誰もくるはずがないって。


 だけどそんなことなかったのだ。

 ――いや、もしかしたら、昨日図書室の入口で捕まったことにより、もうすでにこうなることは決まっていたのかもしれない。


 六歳の頃に婚約してから約十年。

 あれから彼とは何かと一緒にいることが多かった。彼の母が亡くなってからは、なぜかオゼリエ家のタウンハウスに訪れる頻度が上がった。そしてその頃から、彼の表情が微妙に変化することに気づいたのだ。


 長い付き合いで、リシェリアはルーカスの微妙な感情の移り変わりがわかるようになった。

 だからいま目の前にいるルーカスが、少し怒った顔をしているのに気づいてしまった。


「る、ルーカス様」

「様は要らないよ。……それよりも」


 近づいてくるルーカスから逃げるように後退ったが、ここは図書室だ。背後には本棚しかない。


「あ、」


 と思ったときには遅かった。背中に打ち付ける本の感触を感じるまでもなく、顔の横に彼の手があった。しかも両手。本棚に置いた手に、顔が挟まれる形になる。


「リシェリア、どうしてだ。どうして……婚約解消なんて言っているんだ」


 捨てられた子犬のように悲し気に見えるルーカスの姿に、胸の奥がギュッと掴まれる。


(なんて言い訳すればいいんだろう)


 これからあなたはヒロインと恋に落ちて、いろいろあって私を処刑するの。

 ……なんて、そんなこと口が裂けても告げることができない。

 前世の話も、乙女ゲームの話も。そんな話をしたら頭がおかしいと思われるだろう。


「言っておくけれど、おれは君との婚約を破談にするつもりはないよ」

「ど、どうしてそう言い切れるのですか? ……もしかしたらこの学園生活で、他に慕う人ができるかもしれないじゃないですが」

「慕う人? そんなもの……できるわけがない」

「で、でも。人の気持ちは移ろうものですから……」

「君は、おれのこと、信じられないの?」

「――ッ」


 ルーカスの瞳が近づいてくる。その瞳の奥底に、何か得体のしれない物が見えたような気がした。


「あの日――おれのお母様の葬式で、君が口にした言葉を憶えている?」

「え?」


 リシェリアとルーカスが十歳になった頃。ルーカスの母――王妃が病気で亡くなった。もともと体が弱く、ルーカスを産んでからはほとんど寝たきりの状態だったらしい。

 そして彼の母の死は、ゲームのシナリオ通りの展開でもあった。

 幼い頃から厳しい王太子教育に加えて、自分を愛してくれた母の死が、彼の心をさらに凍りつかせる。それを溶かすのはヒロインの役目だったはずだ。


 それなのに葬儀の日、リシェリアはルーカスに対してゲームにはない行動をとってしまった。

 本当は悲しいはずなのに、その感情がわからなくて表情筋ひとつ動かすことなく無表情で立っているのが、見ていられなかったのだ。


 そこまでは憶えているのだけれど、自分が彼に告げたという言葉は思い出せない。

 

「やっぱり、憶えていないんだね」


 ルーカスの瞳に悲し気な感情が浮かぶ。


「君は俺の両頬を掴んで、『泣きたいなら泣きなさい! 堪える必要はないの』――そう言ったんだよ」

「そ、そうでしたっけ?」


 ルーカスの話で、記憶に浮かぶ光景。

 彼の頬を両手で挟んで、何かを言っている記憶。


「君がおれの言葉を信じられないのは分かった。だからこれからは信じてもらえるように、努力をするよ」


 エメラルドの瞳がどんどん、どんどん近づいてくる。


 これは、もう逃げられない。

 直観でそれを悟るリシェリアだった。



    ◆◇◆



 ルーカスが十歳の頃、母が亡くなった。

 国葬は滞りなく行われ、愛された王妃の死に多くの人々が涙を流していた。

 そのはずなのに、ルーカスの心はぽっかり穴が開いたかのように落ち着かなかった。


 厳しい王太子教育でルーカスの心はすっかり凍りついてしまったみたいだ。実の母親で、いつも自分の姿を見つけるとおっとりと微笑みかけてきて、勉学の授業や剣術の授業でいい成績を残すと頭を撫でてくれた。

 あの細い手を思い出す。ルーカスが物心を吐いた時にはほとんど寝たきりで、一緒に庭園を散歩したのも数えるほどしかない。それですら母は歩けないから車椅子だった。


『ごめんね、ルーカス』


 物心つく前はルーカスも無邪気に笑っていたらしい。だけど王太子教育により、ルーカスの表情はすっかり凍りついてしまい、その顔を見た母は目尻に涙を浮かべた。


 その時のことを思い出していた。


(お母様……)


 涙を流せたらどんなにいいだろうか。ルーカスの心はすっかり干からびてしまっているらしい。

 泣いている参列者をぼんやり眺めていると、近づいてくる影に気づいた。

 婚約者のリシェリア・オゼリエだと気づいたのは、両頬を掴まれて、目の前に銀色の瞳があることに気づいた時だった。


 婚約者のリシェリアが、オゼリエ家の血筋を継いでいるのか怪しい――と、社交界で噂になっていたこと思い出す。オゼリエ家は当主や傍系も含めて銀髪、または灰色の髪の人間が多い。 

 それなのにリシェリアの髪色は違った。王国では珍しい黒髪。しかも分厚い眼鏡を掛けていて、とてもじゃないけれど他の貴族令嬢に比べると華やかさに欠ける。

 だから貴族たちの都合のいい噂話の的になっているのだろう。


 そのリシェリアの瞳を間近で見たのは初めてだった。

 眼鏡越しに見た彼女の瞳には溢れんばかりの涙が浮かんでいた。


 なぜ、彼女が泣いているのだろうか。王妃とリシェリアは対面したことがないはずだ。

 それなのにどうしてリシェリアは大粒の涙を流して泣いているんだ。銀色に輝く瞳から溢れる涙がキラキラ輝いているようにも見える。


 その瞳から目が離せない。どうして、だろうか。


 王太子であるルーカスにこんな乱暴に接しても許されるのは彼女ぐらいだろう。

 いままでリシェリアはルーカスのことが苦手なのか、対面してもすぐに目を逸らしたり、こそっと逃げ出そうとしたり、そんな姿ばかり見ていた。

 だから自分のことを嫌っているのだと思っていた。


 それなのに――。


「泣きたいなら泣きなさい! 堪える必要はないの」


 なんでそんなに必死に泣けと言ってくるのか。

 意味がわからず、ルーカスは呆けることしかできなかった。



 これが、ルーカスがリシェリアの存在を認めた、最初の出来事だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る