第5話 な、なんのことでしょう?
「リシェ。馬車から降りないの?」
「ま、待ってヴィクトル。周囲を確認しないと」
リシェリアとヴィクトルは、オゼリエ家のタウンハウスから王立学園に通っている。今日はたまたま家を出るタイミングが一緒になったので、一緒の馬車に揺られて学園に到着した。
ヴィクトルは文官を目指しているはずなのに、なぜか武術の中の剣術の授業を選択しているのだ。そのため朝早く自主練のためにリシェリアよりも早く登校しているのだけれど、今日は違うみたいだ。
馬車を降りてエスコートするために待っているヴィクトル越しに校門を覗いたリシェリアは、いま顔を合わせたくない人物がいないことを確認して、馬車から降りる。
馬車から降りると、顔を隠すようにして足早に校門を抜けて、昇降口に向かった。
「リシェリア、おはよう」
「う、うわぁっ!?」
靴を履き替えてすぐに声を掛けてきたのは、顔を合わせたくない人物であるルーカスだった。リシェリアの悲鳴に、周囲の人々が何事かと足を止める。
「リシェリア?」
ルーカスはいつもと変わらない氷のような表情で首を傾げている。
(昨日あんなことしてきたのに、どうしてそんな済ました顔をしているのよ)
記憶から消したいのに、昨日の放課後、図書室でルーカスが顔を近づけてきた時のことを思い出してしまう。
彼はそのままリシェリアの唇を奪ったのだ。
その時間は数秒にも満たなかっただろう。
抵抗したリシェリアがルーカスの体を押しのけたことにより、その熱はすぐになくなった。
だけどその後しばらく、リシェリアの顔から熱は引かなかった。
「……リシェリア、昨日のことだけど」
「き、き、き、昨日ですか! な、なな、なんのことでしょう?」
後退ると、背中に下駄箱が当たった。
(やばい)
昨日と同じシチュエーションだ。どうにか逃げないと。
絶体絶命とも思えたが、助け船はすぐに出された。
「リシェ? 殿下も、どうされましたか?」
「あ、ヴィクトル」
ヴィクトルの登場により、近寄ってきていたルーカスが足を止める。
そのままじっとりとヴィクトルの姿を眺めて、すぐに顔を逸らした。
「リシェリア。昨日のこと、ちゃんと憶えていてね」
エメラルドの瞳と視線が合う。
だけどリシェリアは頷くことができなかった。ルーカスは少し悲し気に眉を歪めると、歩いて行ってしまった。教室に向かったのだろうか。リシェリアとルーカスは同じクラスだ。この後教室でも、また顔を合わせることになる。
「ルーカス……」
「リシェ、昨日殿下と何かあったの?」
「え、べ、別に何もないわよ」
「そう? 昨日帰ってくるのがいつもよりも遅かったんでしょう? 使用人から聞いたんだけど。殿下と、一緒だったんじゃないかと思ってさ?」
「……そ、その、いろいろあったのよ」
「いろいろねぇ。……まあ、あまり使用人に迷惑を掛けないでよね」
言葉遣いは刺々しいけれど、ゲームをプレイしたリシェリアは知っていた。
攻略対象であるヴィクトルには、コアなファンが多い。彼の言動は常にトゲトゲとしているが、なにかとヒロインを気にかけるその姿に、「胸がキュンとなっちゃう~」というSNSの呟きを目にしたこともある。
ヴィクトルは、極度のツンデレだ。
「リシェ、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
ふふっと笑いながら言うと、ヴィクトルはわかりやすく眉を顰めた。
彼がオゼリエ家の養子になってから五年ほど経っているけれど、初対面の頃に比べたらこうして気安い態度をとってくれることに、微笑ましさすら感じる。
(初めて会った頃は、警戒心剥き出しの猫みたいだったものね)
ヴィクトル・オゼリエは傍系の伯爵家で産まれたが、彼は髪色以外は両親とは似ていない容姿で産まれたため、家族から冷遇されて育ったのだ。
そしてゲームのリシェリアは、そんなヴィクトルの姿を悍ましく思い、虐げていた。といっても直接的な暴力はなく、たまに嫌味を言ったり、父である公爵にあることないこと吹きこんだりしてヴィクトルを追い込んだ。陰湿だ。
だからヴィクトルは自分に自信がなく、相手の好意に甘えることができずに育ってしまった。
(そんなヴィクトルを救ったのが、屈託なく笑うヒロインの笑顔だったのよね)
ゲームのヒロインとヴィクトルは、同じクラスで隣の席。いままで居場所のなかったヴィクトルは、ヒロインの隣に自分の居場所を見つける、恋愛エンドも友情エンドも楽しめるキャラだ。表ルートは比較的平和で、ルーカスの次に攻略しやすいキャラでもある。
だけど裏ルートでは、悪役令嬢リシェリアの蛮行により、オゼリエ家の一員として処刑されたり、国外に追放されたり、かわいそうな結末をおくることが多い。
(ヴィクトル。私は絶対にヒロインを虐めないし、ルーカスを殺そうとしたりしないから、安心してね)
「え、なに、その顔」
思わずヴィクトルの珍しい金色の瞳を見つめてガッツポーズをすると、嫌そうに顔を逸らされてしまった。
◇◆◇
「リシェリア様!」
昼休憩の時間、ルーカスから逃げるように教室から出た瞬間、待ち構えていたらしいヒロインに声を掛けられた。
「……あ、アリナさん、だったかしら?」
「はい! アリナです! 覚えていていただき光栄です!」
昨日までのアリナは前世の学生みたいに砕けた口調を使っていたのに、今日はなぜか敬語だった。
「それでお話があるのですが、昼休み一緒に食事をしませんか?」
「……えーっと」
「あ、ルーカス様……殿下と約束していたり」
「していないわ! 大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!」
ルーカスとふたりっきりになると考えただけで胸がドキドキしてしまうので、アリナの誘いはありがたかった。
それに学園に入学してから誰かと一緒に食事を摂るのは初めてだ。ルーカスから逃げるのに忙しくて、それどころではなかったというのもあるけれど。
だから少し油断していたのかもしれない。相手はゲームのヒロインで、転生者かもしれないのに、私は迂闊にも彼女の後をついて行ってしまったのだ。
人気のない空き教室に案内された時点で怪しんで、二人っきりになる状況を作らないようにしていればよかった。
お互いに弁当を広げる。二人とも購買で売っている弁当だ。因みにゲームでは体力回復の効果のあるアイテムでもある。
そして西洋をモデルにしているはずの世界なのに、なぜかある箸でおかずを掴んだ瞬間、アリナはとんでもないことを問いかけてきた。
「あの、リシェリア様。もしかして『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』というゲームを、ご存知ですか?」
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