第31話 練習
(王子の気持ちが、よくわからないな。……どうすればわかるんだろうか)
ルーカスが演技をするのは初めてのことだった。
だけど、ルーカスは光の王子の気持ちがいまいちわからなかった。
(どうして王子は、初対面の姫に一目惚れしたんだ? 胸を熱く焦がす思いって、なんなんだ?)
『光の王子と眠り姫』は、ウルミール王国の建国神話とも云われている童話だ。
ウルミール王国の王族は、代々強力な光属性の魔法を受け継いで生まれる。それはルーカスも変わりなく、幼い頃から能力の制御の為に感情を抑える教育を受けてきた。
王族の光魔法は強力で、制御がままならないと癇癪などで周囲一帯を吹き飛ばしてしまう威力があるからだ。
その影響で、王族は凍りついた表情をしているからか、臣下からは畏れられ敬われている。
芸術祭の演劇で、王子役を推薦されたときは、断るつもりだった。
だけど、ふと脳裏に黒髪おさげで眼鏡を掛けたリシェリアの顔が浮かんだ。
もしかしたらこれで少しは彼女の気持ちが――いや、自分の気持ちがわかるのかもしれない。
だから彼女が姫役をやるのならと、王子役を引き受けたのだけれど。
(演技は難しい)
台詞はすぐに覚えることができた。
だけど肝心の演技は、いまいちよくわからない。
「『これが、姫なのか? ……美しい人だ。いままで感じたことのない感情を感じる。この、胸を熱く焦がす思いはいったい、何なのだろうか……。もしかして、これが恋』――どうだ。少しはよくなっているか?」
「うーん。厳しいですねぇ」
ルーカスの問いかけに、首を傾げたのは王国屈指の劇団に所属している、劇団員のひとりだった。今回、演技指導のために特別に先生として雇っている。齢三十ぐらいの優男のような見た目をしているが、これでもひとたび舞台に上がれば、正義の味方から悪役まで幅広い演技で観客を魅了するスターらしい。
劇団員は「どうしたものかなぁ」と、どこか遠くを見る眼差しで天井を見上げている。
「正直お手上げ……だなんて口にしませんが。……そうですね。つかぬことをお伺いするのですが、王太子殿下はいままで誰かに恋をしたことはありますか?」
「……恋?」
「はい。ついつい目で追っちゃうーとか。彼女がいなければ僕が生きている意味なんてないーとか。なんかそういう激情を感じたことは?」
「……リシェリア」
自然と口から出てくる言葉に、自分ではっとした。
そうだ。彼女のことはいつも目で追ってしまっている。
母の葬儀の時、眼鏡の奥で溢れんばかりに涙をこぼした銀色の瞳が、いまでも脳裏に焼き付いて離れない。
彼女の銀色の瞳をまともに見たあの日から、彼女のことを考えると胸を熱くする感情が常にある。
それなのに、リシェリは自分と婚約解消をするつもりだったようで――それを阻止したいがために、つい唇を奪った日のことを思い出した。
「リシェリア様って、もしかして婚約者の方ですか?」
「ああ」
「へー。王太子殿下は、婚約者様に恋をされていらっしゃるんですねぇ」
「彼女は、おれの気持ちが、信じられないみたいだけどね」
「え?」
「……いや、いまのは聞かなかったことにしてくれ」
「わかりました。とりあえず、王太子殿下は恋をしていらっしゃるということでよろしいですか?」
「ああ」
「それなら、話は簡単ですよ。その婚約者様のことを考える時、胸に疼く感情とかはありませんか?」
「どうだろう。あるような気がするけど……」
「それならその気持ちを演技に乗せるのです」
「気持ち……」
「よし。では、まずは試してみましょうか」
劇団員の言葉に、ルーカスは頷く。
リシェリアに対する感情の疼き。もしそれが王子の気持ちと同じなら――。
「『これが、姫なのか?』」
銀色の瞳を目にした時、感じたこと。
そうあの時、ルーカスはリシェリアに惹かれたのだ。その瞳が美しいと思った。
だけどリシェリアは、ルーカスと婚約解消しようと考えていた。
図書室で感じた胸騒ぎを思い出す。
「『……美しい人だ。いままで感じたことのない感情を感じる。この、胸を熱く焦がす思いはいったい、何なのだろうか……。もしかして、これが恋』」
台詞を言いきり劇団員の顔を見ると、彼は眉を顰めていた。
「うーん。さっきよりは感情が乗っていると思うのですが、それだと恋というよりも――遠くに行ってしまう恋人を強引にでも引き戻そうとしているようで……なんというか、光の王子の気持ちとは違うような……」
「そうか。駄目なのか」
「はい。すみません。でも、最初よりかは良くなっていますよ! だから、そうだ!」
劇団員は良いことを思いついたというように、掌を打ち鳴らした。
「その婚約者様と一緒に練習をされてはいかがですか? そうだ。そっちの方がいい。相手が恋する人なら、もっと自然に演技ができるかもしれませんよ」
◇◆◇
「『これが、姫なのか?』」
じっと、ルーカスが見てくる。そのエメラルドの瞳に力強さを感じる。
「『……美しい人だ。いままで感じたことのない感情を感じる。この、胸を熱く焦がす思いはいったい、何なのだろうか……。もしかして、これが恋』――どうだろうか、リシェリア」
呼びかけられて、ハッと正気に戻った。
棒読み口調は相変わらずだけれど、ルーカスの瞳に射止められてしばらく身動きができなかった。
「前よりは良くなっていると思います」
「この台詞は、これで大丈夫そうだな」
「あ、でも」
思わず口にしてすぐ口を噤むが、ルーカスにはしっかり聞こえていたようだ。
観念して、リシェリアは口を開く。
「えっと、すこし勢いが強いというか……。光の王子はもう少し無邪気な感じなので、イメージが違うというか」
「違う?」
「ルーカス様の演技ですと、棒読み――じゃなくって淡々としているんです。でも光の王子は、眠り姫を見つけたときに、胸に湧き上がる思いで少しテンションが上がるんです」
「テンション?」
「はい。気分が高揚して、胸がドキドキして、それが抑えられなくって」
「気分が高揚。胸がドキドキ……なるほど、少しわかった気がする」
本当かと疑ったが、ルーカスの目は本気のようだ。
もう一度、ルーカスが同じ台詞を口にする。
(何も変わっていない)
頭を抱えそうになる。
芸術祭まではもう二週間弱しかない。
それまでにこの棒読みのルーカスの演技は、見えるようになるのだろうか。
そう悩んでいたからか、リシェリアは少し油断していた。
「リシェリア」
呼びかけられて顔を上げると、すぐ傍にルーカスの顔があった。
じっと呼吸も忘れて、リシェリアはエメラルドの瞳を見上げる。
「……なるほど、これか」
吐息が鼻先に触れる。
ルーカスはその状態のまま、光の王子の台詞を口にした。
「『……美しい人だ。いままで感じたことのない感情を感じる。この、胸を熱く焦がす思いはいったい、何なのだろうか……。もしかして、これが恋』」
「!?」
「『どうしたら目覚めるのだろう』」
台詞を続ける。どうやらルーカスはもう台本を完璧に覚えているようだ。
「『美しい姫。早くその瞳を開けておくれ』」
(まって、この後に王子は姫にキスを――!?)
思わず目を閉じる。だけど意識していた感触は訪れなかった。
目を開けると、ルーカスの顔は遠ざかっていた。
「リシェリア、台詞は?」
「あ、あ……」
そうだ。これは演技の練習だ。台本にも、キスは振りだけと書かれている。
それなのに――。
(もしかして、私いま期待していた!?)
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