第25話 【幸運の癒し手】


 こそっと目で追っていたクラリッサ・オルサがシオンの元に向かったのを見届けると、リシェリアはあまり目立たないように壁際に移動した。本当ならどうにかリシェリアが誘導してシオンのところに連れて行く予定だったのだけれど、その必要はなかったみたいだ。


 どうやらアリナとクラリッサは意気投合してテラスに向かったみたいだけれど、もしここでクラリッサの機嫌を損なってしまうと、メンヘラルートまっしぐらになる可能性がある。 

 アリナは『時戻りの少女』を相当やりこんでいるらしく、攻略には自信があると豪語していた。その言葉を信じたいけれど、ここはゲームの世界ではなく現実だ。もしかしたら想定していなかった事態が起こるかもしれない。


 そう思いながらチラチラとテラスを見ているとヴィクトルがやってきた。会場に入った時はオゼリエ公爵家の後継者として、いろいろな人に囲まれていたけれど、ようやく落ち着いたみたいだ。


「リシェ、何してるの?」

「えっと、人間観察?」

「え? そんな趣味、あったっけ」

「さっきできたのよ」

「ふーん。ところで、殿下は一緒じゃないんだ」

「ルーカス様は……」


 アリナの様子を見守るのに夢中で、ルーカスがどこにいるか確認していなかった。

 楽団員による音楽が始まり、すっかり会場内はダンスの雰囲気になっている。

 見渡していると、ルーカスがこちらに向かってくるところだった。


「あ、じゃあ、僕はそろそろ」


 ルーカスの氷のような表情を見た瞬間、ヴィクトルが離れて行こうとする。

 その時、どこからか悲鳴が聞こえてきた。


「なに、いまの?」


 どうやら悲鳴は、テラスから聞こえてきたようだった。

 大きな悲鳴ではなかったものの、会場内の一部がざわつき始める。


「あそこってッ」


 アリナとクラリッサがいるテラスじゃなかったっけ?

 胸騒ぎがして駆け寄ると、テラス付近は少し荒れているようだった。乱れたカーテンに、会場内に飾られていた花瓶が床に落ちて花とガラスが散乱している。


 テラスを覗くと、そこには驚きの光景が広がっていた。


 口を押さえて呆然としているアリナと、クラリッサを抱えて鋭い視線を向けるシオン。二人の視線の先には、緑と赤のツートンヘアーの変わった髪型をした男がいた。


 『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の四人目の攻略対象者である、【魔塔の問題児】ケツァールだ。

 リシェリアが驚いたのは、何よりもいまこの場にケツァールがいることだった。


(ケツァールの登場シーンはまだ先のはずなのに)


 少なくともこのサマーパーティーに彼が登場したことはなかったはずだ。


「何見てんだよ。見せもんじゃねーぞ」


 テラスを覗き込む生徒たちにガンを飛ばすケツァールは、ゲームで見るよりも迫力がある。


「ケツァール。あなた、自分が何をしたのかわかっているのですか?」

「あ? ああ、坊ちゃんじゃねぇか。何って俺いまちょっと急いでいるからよ、後にしてくんねぇかな」

「坊ちゃんて呼ばないでください。それよりも、あなたの所為で怪我人が出ているのですよ。パーティ会場で強力な魔法を使うなんて、始末書を書いてもらわないと」

「あはは、坊ちゃんは真面目だなぁ。誰も言わなきゃバレねぇって。……おい、そこのお嬢様、怪我させて悪かったな。俺は治療魔法は使えねぇから、保健室に行って治してもらえ。じゃあ、俺はいま追われてっから」

「後始末はどうするのですか! 待ちなさい、ケツァール!」


 シオンの呼び声も虚しく、ケツァールは風を起こすとテラスから飛んで行ってしまった。

 やれやれとあきれ顔でシオンは、抱えているクラリッサの心配をしている。

 その隙に、リシェリアは固まっているアリナに近づいた。


「あ、リシェリア。……なんかおかしいの、どうしてここにケツァールが」

「それは私も気になるけど、いまここでできる話じゃないわ。……アンぺルラ卿。オルサ嬢の怪我の状態はどうですか?」

「腕が折れているかもしれません。すぐに治療が必要です」


 血こそ出ていないが、シオンの顔色が悪い。


「……だれか、治療魔法を使える方はいますか?」


 シオンが周囲を見渡して問い掛けるが、すぐに答える者はいない。治療魔法は使い手が少ないため、希少な能力なのだ。


(でも、治療魔法を使えるキャラといえば……)


「はあ、リシェが血相を変えて走っていくから何があったかと思えば……。アンぺルラ卿。人払いをお願いできますか?」

「オゼリエ公子ですね。っ、そういえば……!」

「治療魔法は集中力が必要ですので、場所を移すか人払いをお願いします」

「わかりました! アリナさん、少しの間クラリッサをお願いします」

「わ、はい!」


 ヴィクトルの登場に動揺していたアリナだったけれど、シオンからお願いされてすぐに返事をした。ヴィクトルから顔を隠すように、クラリッサの体を支える。


 一分ほどで、テラスの扉が閉ざされる。ざわめきが遠のいていき、テラスには静寂が訪れていた。


「さて、オルサ嬢。腕に触れてもよろしいですか?」

「も、もちろんよ」


 痛みに耐えながらも、クラリッサは弱々しく応える。


「失礼します」


 床にはシオンが羽織っていた上着が敷かれている。その上に座り、壁に背を預けたクラリッサの腕にヴィクトルが振れる。


 ヴィクトルが祈るように目を閉じる。その瞬間、クラリッサの腕を淡い光が包み込んだ。

 数秒ほどだろうか。光が消えると、ヴィクトルが目を開ける。


「どうですか?」

「すごいのだわ! さっきまで痛かったのが嘘のように、痛みも違和感もなくなっているの。……あ、もしかして今年の入学生にいるという噂の【幸運の癒し手】って、あなたのことだったのね!」

「……そう呼ぶのはやめてください。僕のことは、ヴィクトルと」


 【幸運の癒し手】というのは、ヴィクトルの二つ名だ。

 金色の瞳は純粋な治療能力を持つ証である。だけど百年以上もの間、金色の瞳を持つ人間は現れず、人々の記憶から金色の瞳の由来は語られなくなり、金色の瞳は黒髪と同じように珍しいものとされてきた。


(だからヴィクトルの両親は、金色の瞳を怖れたのよね。自分が理解できないのを忌避するのはやりすぎだけれど)


「あわわ、ヴィクトル様の能力ッ! 直接この目で見られるなんて感激……!」


 傍にいるアリナが目をカッと見開いて口許に手を当てているのは、気にしない方がいいのだろうか。


 クラリッサとシオンの距離を縮める作戦は、突然の事態により幕を閉じたのだけれど、クラリッサの心配をするシオンと天真爛漫に笑うクラリッサの様子を見るに、問題はなさそうにも思えた。



    ◇



 サマーパーティがあと数十分で終わるという頃。

 リシェリアはルーカスとダンスを踊っていた。

 アリナはクラリッサが心配だからとシオンと共に会場を後にしていて、ヴィクトルは能力を使って少し疲れたからと先に馬車に戻っている。


「……騒動があったと聞いたけれど、リシェリアは怪我はなかった?」

「はい。巻き込まれたのは私じゃなかったで」

「それならよかった。……けど、あまり無茶はしないで」


 ルーカスとのダンスは今回が初めてではない。幼い頃はお互いの息が合わなくてルーカスが粘って何度も練習したけれど、いまは会話をする余裕もあるほど息がぴったりだ。


 懐かしいことを思い出していると、ルーカスの視線を感じた。


「どうされましたか?」

「……いや、リシェリアは笑うとかわいいな、と思って」

「かわっ……そんなことありません」


 こんな地味な格好をしているのに、可愛いなんてありえるのだろうか。


「おれは、リシェリアの笑顔が見たいんだ。だから、もっと笑ってほしい」

「……頑張ります」


(笑えって言われても、どうしたら……)


「もうすぐ、リシェリアの誕生日だよね?」

「は、はい」


 リシェリアの誕生日は九月に入ってすぐだ。ちなみにヴィクトルの誕生日は三月の初め頃。


「とっておきのプレゼントを用意してあるから」

「とっておき?」

「それはその時の、お楽しみだ」


 ふっと、ルーカスが微笑んだ気がした。

 その笑顔を見た瞬間、胸が痛む。


(ルーカスは、私のことをどう思っているんだろう)


 その後、馬車の前で別れる時、頬に挨拶をされてしまった。

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