第27話 ヴィクトルの苦悩


 王立学園の二学期が始まってすぐ廊下の片隅で、隣の子爵令嬢と特待生のアリナがコソコソと会話しているのを見かけて、ヴィクトルは足を止めた。


「……で、……そうなの。それで、推し活の極意なんだけど……」


(推し活?)


 そういえば前もアリナは推しという言葉を使っていたような気がする。それもヴィクトルに向けて。


 人の会話を盗み聞きするのは趣味ではないが、特待生であるアリナのことは少し気になっていた。

 最初の頃はよく視線を感じるのに、目を向けるとすぐに顔を逸らしたり背中を向けて明らかに避ける様子に不満もあった。


 ヴィクトルとアリナは夏祭りの時まで、まともな会話をしたことがないはずだ。

 入学して暫くしてから嫌がるリシェリアの手を取って、ゲームだとかヒロインだとか謎の言葉を発していた時に、やっと彼女の顔を見たぐらいだった。それほどまでにアリナはヴィクトルが視線を向けると逃げるように去って行ってしまう。


 関りがないのになぜか避けられている状況というのは、あまりいものではない。

 だけどこちらから問いただすのも委縮してしまいそうだし、ヴィクトルはあまり気にしないように努めていた。


 それが夏祭りの時に少し変わった。

 あの日、平民に紛れるために平民の服を着て帽子を被ったことにより、いつもより近づくことができたのだ。

 最初こそこちらを疑ってきていたようだが、少しだけでも話す機会を得ることができた。


 アリナがなぜ自分を避けるのかは知らない。

 リシェリアとは身分の壁を感じないほど仲良くしているみたいだし、ビリーとして接していた時は気さくに接してもらえたし、悪い人ではないのかもしれないと思った。


「そ、それが推し活の極意なの?」

「うん。推し活の極意は……相手の色のアイテムを身に着けること……! そうすれば遠くにいるのに傍で見守ってくれるような感覚になり、というか温もりというかなんというか、とにかく日常が楽しくなること間違いなしなんだから!」

「そ、それで、相手の色というのは」

「誰しもその人を表すカラーというものはあるよね。例えば王太子殿下であれば瞳の緑色とか、アンぺルラ卿だったら紫色とか」

「それなら、その……オゼリエ公子の色は……」

「金色です! あの瞳の色、治癒能力を使うと輝きが倍増するんだよ~。実は私、サマーパーティで間近で見ていて……」


 なぜか食い気味になりながら「推し」について語っているアリナの瞳は驚くほど輝いている。拳を握りしめて熱く語る彼女を見つめていると、ふと視線が合いそうになりヴィクトルは顔を逸らしてしまった。

 会話を盗み聞きしてしまい、バチ当たりのような気がしたからだ。


(それにしてもイメージカラーか……)


 もうすぐリシェリアの誕生日があり、渡すプレゼントの用意はもう済ませてある。

 夏祭りの時に目を奪われたルーカスの瞳の色のようなネックレス。

 あれに似たものを探したものの、ネックレスは見つからなかったので、初めて足を運んだとあるブティックで彼女に似合いそうなブローチを見つけてある。


(リシェは喜んでくれるかな)


 王太子の婚約者であるリシェリアは、なぜか婚約破棄されることを怖れている。

 よくわからないけれど、処刑されるのが嫌だァとブツブツ呟いているのも見かけたことがある。


 ヴィクトルから見ても――いや、きっと他の人から見ても、ルーカスがリシェリアを婚約破棄したり処刑したりすることなんてありえないと思うのだけれど、彼女はいったい何を怖れているのだろうか。


(それよりも問題は、その肝心の殿下、だよね。あの誘拐事件のあとからなにかにつけて僕を呼びつけてきてさ――)


 頭を抱える問題は他にもあった。



    ◇



 ヴィクトルを悩ます問題が歩いてやってきたのは、リシェリアの誕生日パーティの後の、昼休みの時間のことだった。


「話があるんだ」

「……わかりました」


 二学期が始まってから昼休憩の時間になると、ルーカスがヴィクトルを訪ねてくるようになった。夏休み前は、どこかに逃げ隠れしているリシェリアを探して、学園内を捜し歩いていたルーカスをよく見かけたものだが、なぜかそのルーカスがヴィクトルに話しかけてくるようになったのだ。


 ルーカスに連れてこられたのは、生徒会室の隣の空き教室。中に入ると机が並べられていて、食事の用意もされている。前も思ったけれど、学食の料理よりも豪華だ。王族であり、王太子でもあるルーカスの食事は特別製なのかもしれない。


「いつもリシェリアのために用意しているんだけれど、今回は特別に君に譲るよ」

「……ありがとうございます」


 前と同じセリフに、同じ返答。

 ルーカスが腰かけたのを見計らってから、ヴィクトルも椅子に座る。


 向かい合わせの中、しばらく緊張する時間が続いた。

 無言で食べているからだ。ルーカスはもともと口数は多いほうではないけれど、黙々と向かい合わせで食事をするというのは気まずいものだ。


 先にルーカスが食べ終えたので、ヴィクトルも最後のスープを喉に流し込んで、スプーンを置く。


「それで、相談なんだけれど」


 ルーカスはそう前置きをすると、少し目を伏せた。表情はあまり変わらないけれど、これはきっと少し寂しそうな顔だろう。リシェリアが前にそう言っていた気がする。


「リシェリアがおれのことをどう思っているのかわかるかい?」


 前の質問は、リシェリアが好きそうなものだった。だからイメージカラーらしい緑色の物をお勧めしておいた。そうしたら誕生日にエメラルドの婚約指輪をプレゼントしたらしく、父がリシェリアのいないところで不貞腐れていた。「あの王子め……」と他の人に聞かれたら不敬罪に思われそうな呟きをしていたのは内緒だ。


(リシェが殿下のことをどう思っているか、ね……)


 五年ほど前、オゼリエ家の一員になったヴィクトルは、ルーカスよりもリシェリアと一緒に過ごす時間は長かっただろう。だから彼女の気持ちは、おそらくルーカスよりも知っているはずだ。


 だけど彼女の気持ち軽く口にすることはできない。それにこれはあくまでもヴィクトルの主観が入ってしまう。

 家族だからこそ、プライベートなことを人に言いふらしたら、大切な絆を傷つけてしまうかもしれない。


(やっとできた家族だからね)


 ヴィクトルの産みの親たちは、常にヴィクトルを見下してきた。

 家族とは言えない冷たい視線に打ちひしがれて、自身を失くした時もある。


 だからヴィクトルは嘘を吐くことにした。王族に嘘を吐くのは不敬罪になる可能性もあるが、この学園では基本的に身分関係なく平等を謳っている。

 少し卑怯かもしれないけれど、ここは将来の家臣としてではなく、学友のつもりで答えよう。


「リシェが殿下のことをどう思っているのかはわかりません。ですが、貰ったプレゼントは大切にしているみたいですよ」

「そうか。何か、おれのことを話したりは……」

「聞いていないですね」

「……そうか。……リシェリアに振り向いてもらうのにはどうしたらいいんだ」

「普段はどんなことをされているのですか?」

「それは……キスをするとか?」

「っ!? え???」

「キスをしたら、おれの気持ちに気づいてもらえると思ったんだ」

「な、なるほど……」


 衝撃的な話を聞いて動揺してしまったが、よくよく考えると学園に入学してからのリシェリアは、前にもまして挙動不審なところがあった。特にルーカスと会った後に、なぜか顔を赤くしていたり――。


(キスって、さすがに口じゃないと思うけど。……そういえば、前に殿下がリシェの手の甲に挨拶のキスをしていたときいつもより長かったようなぁ……。いや、どちらにしてもお父様にバレたらとんでもないことになりそうだ)


 とりあえず少し釘をさしておくかと、ヴィクトルは口を開く。


「あの、キ、キ……過度なスキンシップは逆効果かもしれません」

「そうなのか?」

「そ、それにこんな言葉もあるようですし、確か押して駄目なら引いてみろ、だったかな」

「推して駄目なら引いてみろ?」

「はい」


 これは前に誰かが話していたことだ。クラスメイトだったと思う。

 恋愛の駆け引きには、重要なことらしい。


「推しすぎると逆に嫌われる場合がありますので、一度引いて相手の反応を伺ってみるのも、良いような気がします」


 かくいうヴィクトルは、リシェリア以外の女性と親しくしたことはほとんどない。婚約者選びも、学園を卒業するまで待ってもらっている。

 だから恋愛の駆け引きとか正直よくわからないけれど、リシェリアにも少し考える時間は必要だろう。


「そうか。すこし、考えてみる」


 凍りついた表情のままじっと見られると、なんだか気まずい。

 エメラルドの瞳は何かを探ろうとしているように見えたが、そっと逸らされた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る