第45話 疼き
彼女の瞳に最初に惹かれたのは、母である王妃の葬儀の時だった。
眼鏡越しの銀の瞳に、溢れんばかりの涙をこぼしたリシェリアの表情を見た瞬間、ルーカスはそれまで干からびていた感情に何かが宿ったような気がした。
それを確かめるために、王太子教育の合間を縫ってよくオゼリエ家のタウンハウスに赴いた。
目を合わせようとしたら逸らされたり、近づこうとしたら逃げるように行ってしまったり、ルーカスの婚約者であるリシェリアは変わった令嬢だった。
そんな彼女と一緒にいると、胸の奥が疼くような感覚が何度もあった。
(これはなんなのだろうか)
胸の疼きがなんなのか、ルーカスはずっとわからずにいた。
だけどあの日――。
図書室で、リシェリアの口から「婚約解消」の言葉が囁かれたときに、その疼きは全身に広がって、胸の内から湧き上がる衝動を抑えられなくなった。
あの美しい銀の瞳が嫌がるように逸らす視線さえ、手放したくないと思った。
だから衝動的に唇を奪ってしまった。
(でも、リシェリアは変わらなかった)
そんな彼女の視線を少しでも独り占めしたいと思った。
挨拶と称して手や頬などに口づけをしても、銀の瞳はいつも狼狽えたように逸らされてしまう。
だからこの疼きは一方的な思いなのだと思っていたけれど、それに名前が付いていることを知ったのは劇団員が口にした「恋」という言葉がきっかけだ。
(もしかして、おれの気持ちは、恋なのだろうか)
演劇の台本を読んだとき、最初は一目見ただけで心を惹かれる光の王子の気持ちがわからなかった。
だけどリシェリアの銀の瞳をじっと見た時に、その気持ちを理解することができた。
リシェリアと演技の練習をすればするほど、その気持ちは次第に大きくなっていき――。
そしてついに、芸術祭二日目の本番中に気づいてしまった。
自分の気持ちと、それから……。
照明に照らされて月のように輝く美しい銀髪。寝台に寝転がり、目を閉じているその姿を目にした瞬間、胸の奥にあった疼きが、さらに熱を伴った気がした。
練習や、本番一日目も眠っている彼女の姿を目にして鼓動がおかしくなったが、今日は段違いにおかしかった。
激しくなる鼓動に、鼓膜が揺れて、自分の声まで聞こえない。
それでも何とか台詞を口にして、彼女に唇を近づけようとして――。
彼女は普段と違って、上目遣いや逃げ出しそうな素振りなど見せずに眠っている。
これまでのリシェリアの行動。それが脳裏に浮かんでは消えて行く。恥ずかしそうに逸らす顔も、至近距離に見た彼女の顔も。
そのすべてが物語っていた。
リシェリアが、ルーカスに恋をしていない、ということに。
(……だったら、これはもう最後にしよう)
ルーカスはもう気付いてしまっていた。
彼女がどうして自分を避けるのか。
もしこの口づけの後にも、リシェリアがルーカスのことを避け続けるのであれば、その時は――。
(彼女とは距離を置こう)
そう心に決めた。
そして、口づけを交わしたあと、ルーカスは囁いた。
「――ごめんね、リシェリア」
◇◆◇
芸術祭二日目の劇が終わって、制服に着替えてからも、リシェリアは控室で呆然としていた。
ルーカスからの熱い口づけの後、リシェリアはなんとか最後の台詞だけは口にすることができた。
たくさんの拍手に包まれるように、劇が終わったのも覚えている。
だけどそれ以外は曖昧だった。
鏡の中の自分の姿を見ながら、指先で唇に触れる。そこはまだ熱を持っている気がした。
「――ッ」
鏡の中の自分の顔が赤くなる。
そうこうしているうちに時間だけが過ぎて行って、次に舞台を使う人たちが控室に来たので、リシェリアは慌てて講堂を後にした。
「あ、リシェリアだ。――って、その髪どうしたの?」
教室に戻るかどうしようか迷いながらも、当てもなく歩いていると、アリナがやってきた。
髪、と言われて自分の頭に手をやる。黒髪のウィッグは踏まれてしまっていて使い物にならなくなってしまったから、なんとか地毛を三つ編みに結って眼鏡を掛けたのだ。
「えっと、実は黒髪のウィッグを駄目にしてしまって――」
名前は伏せてミュリエルたちのことについて話すと、アリナはわかりやすく頬を膨らませた。
「うわあ、その人たち嫌だね」
「確かに前から私に対して当たりの強い人たちだったわ。でも、準備期間中はそうではなかったのよ。前よりも優しくしてくれて、憑き物が落ちたように推し活について話していたり……。今日は、まるで人が変わったようだったわ」
それが今日の様子はおかしかった。前に戻ったといえばそうなのかもしれないけれど、それにしては何か違和感みたいなものがあった。
「うーん。急に人が変わったねぇ……。リシェリアは、なにか心当たりがある?」
「そうね、しいて言うのなら……。あっ、体調が悪いとよく保健室に行っていたわ」
「っ、それだよ!」
保健室。そして、彼女が口にしていた
もしそれが隠れキャラである、ダミアンのことなのであれば――。
(あれ、でもそれだと私の髪のことをダミアン先生が知っているということになるんじゃ……。会ったこと、ないはずだけれど)
「うーん。ダミアン先生のことは、これからどうにかする予定だし――。よし、確かリシェリアって、午後フリーだよね? これから一緒に、芸術祭回らない?」
「ええ、私はいいけれど」
「やったぁ! あ、そういえば聞いたよー。午前中の劇、大成功だったんだって?」
劇という言葉に、リシェリアはまたルーカスとのキスを思い出してしまい、顔が熱くなる。
「ルーカス様の演技が本当に恋している人のような顔で、口づけのシーンも本当にしているみたいで観ているこっちがときめいたって、クラスの子が言っていたの。いいなぁ、私も当番が無かったら観に行ったのになぁー」
残念そうにしているアリナが、赤くなって縮こまりそうになっているリシェリアをみて、意味ありげな視線を向けてきた。
「――ねえ、もしかして本当に、したの?」
「え、な、なにが?」
「キスだよ、キス」
「――ッ、キスなんてしてないわ!」
「ほんと、ほんとに?」
「もう、しつこいわ。芸術祭を見て回るのでしょう? 早く行くわよ!」
なおも聞き出そうと食い下がるアリナの腕を、リシェリアは引っ張る。
(そういえば、キスの後にルーカス何か囁いていたような……)
思い出そうとすると、また頬が熱くなる。
きっと気のせいだと思い、リシェリアは芸術祭を回るのに集中することにした。
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