四方備忘録~風ノ祀リ
しろめしめじ
第1章 予告
「四方ちゃーん 暇? 」
いつもの様に、宇古陀はドアを開けるなり失礼な一声を上げた。
彼にとっては、これが挨拶代わりになっているのか。
五十歳半ばの大人にしては節度に掛ける発言だが、四方達もそれに慣れてしまっているのか、嫌な顔一つしない。
習慣が常識という感覚を麻痺させてしまう顕著な例と言えた。
そもそも、ルポライターの彼が四方の事務所に始終出入りするのは、秘密厳守が必須の探偵業においては、マイナス要素しかないと思うのだが、彼自身が仕事をアテンドする事もあるので、それはそれでよいのかもしれない。
「漸く暇にはなりましたね。たった今、仕事を終えたばかりなので」
四方は机上のパソコンのキーを叩き終えると、宇古陀に答えた。襟足まで伸びた艶やかな黒髪は、清廉な光沢を放ち、色白の肌を際立てている。決してフェイクではない長い睫毛が、つぶらな瞳に映え、大人の色香を醸していた。
「仕事って、またオカルトなやつなの? 」
宇古陀が眼を光らせる。仕事のネタになると踏んだのだろう。彼の手には既に小型のレコーダーが握られている。
「残念でした。浮気調査ですよ」
「なあんだ」
四方の答えに、宇古陀はつまらなさそうに答えた。彼は廃墟とか心霊スポット関係のルポを得意とするのだが、最近は怪談師としてもSNS発信やライブ活動をしており、その手のネタを四方からおすそ分けしてもらっているのだった。無論、大元の話や個人の特定が出来ない様には、取り計らってはいる。
「宇古陀、今日も暇なのか? 」
事務所の奥から、ウエイトレス姿のつぐみが珈琲カップを三つトレイに載せて現れた。
大きな眼に高い鼻筋。ギリシャ彫刻の様な整った顔立ちで、無表情のまま宇古陀を嘲る彼女の口調に悪気はなく、不思議と嫌味は感じられない。
彼女は四方の助手の傍ら、時折一階のカフェのヘルプに入っており、今日も昼時に参上したようだ。
「いやあ、一日一回はつぐみちゃんの顔を見なきゃ元気が出なくてさあ」
四方は口髭を摩りながらにやにやと笑った。
「本当は美夏ちゃんを見に来てるんでしょ。外から見てるだけじゃなくて、店に入ればいいのに」
四方は微笑みながら席を立つと、宇古陀の座る応接セットへと向かった。
黒いスラックスに白いブラウス。そのシンプルさが、四方の美貌をより際立てていた。
「まあ、そうだけど。この恰好で入って言ったら、帰れって言われそうだしな」
宇古陀はまんざらでもない表情を浮かべながらも、少し寂しそうに呟いた。
信楽焼の狸が、迷彩色の帽子とカーゴパンツ、モスグリーンのカットソーを纏い、髭面の坊主頭になった様な彼の風貌は、思春期の娘にとってはちょっとぶっ飛び過ぎて恥かしいのかもしれない。
因みに彼の娘――美夏は大学生で、一階のカフェでアルバイトをしており、心配症の彼が、何かと四方の事務所に立ち寄る都合を作っては、ウインドウ越しにそっと彼女の働き振りを確認しに来ているのだ。
「ま、ここなら珈琲ただで呑めるし、いいや」
宇古陀は大きく口をおっぴろげて笑った。
「宇古陀、今度から金をとるぞ」
つぐみが憮然とした表情で一言呟いた。
「そんなあ。仕事のアテンドするし、大目に見てよ」
宇古陀が気持ち悪く身悶えした。つぐみの冷ややかな態度にかえって喜びを感じているらしい。
「四方ちゃん、つぐみちゃん、これ知ってる? 」
宇古陀は徐にリュックから一枚のパンフレットを取り出した。
「風の祀り? 」
パンフレットのタイトルを見たつぐみが首を傾げる。
タイトルのその下には、『風が、全てを祓い清めてくれる――招神祓清』と仰々しく書かれたサブタイトルが並んでいた。
「そう、風の丘緑地公園で今度開催されるイベントだよ」
宇古陀はそう言いながら、パンフレットのページを捲った。
インディーズのアーティストたちの野外ライブや、出店、フリーマーケットが開催され、最後に花火を打ち上げるらしい。
「何だか変だな。この『祀り』って漢字、使い方間違っているよ」
四方が眉を顰めた。確かに、本来なら『祭り』とすべきなのに。
「確かにな。『祀り』は神を崇め奉るという意味だ」
つぐみが口元を歪めながら頷いた。
「その通り。流石つぐみちゃん」
宇古陀は嬉しそうにほくそ笑んだ。
「ただの言葉遊び? 」
四方が宇古陀に問い掛ける。
「俺もそう思ったんだけど、調べたら妙な事が分かってさ」
宇古陀の眼が鋭い眼光を湛える。
「どう言う事ですか? 」
四方は首を傾げ乍ら、珈琲カップをテーブルに戻した。
「主催の企業はどうやら某宗教団体が経営に関わっているらしい。噂だけどね。イベントの流れを見ていると、最後の花火大会の後に、参加者全員で祈りを捧げるらしいんだ。『風よ、全てを遥か彼方へと吹き飛ばし、この世界を清めたまえ』ってね」
宇古陀が眼を細めた。
「宇古陀さん、このイベントの取材に行くの? 」
四方は両手を膝の上で組むと宇古陀に問い掛けた。
「まあ、そのつもり。一緒に皆さんもどう? 」
宇古陀が二人の顔を見回した。
「うーん、やめておく。余り関心が無いかな」
「私もだ、宇古陀」。
二人があまりにも素っ気ない返事をしたものだから、宇古陀はすっかりしょげ返ってパンフレットをごそごそとバックに戻した。
「ごめんください」
不意に、事務所のドアが開き、若い女性が一人、入室した。
「ここって、探偵事務所ですよね? 」
彼女は部屋の中を見渡すと、訝し気に四方達を凝視した。
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