第21章 忌場

「幸ちゃん、お前すっげえ美人さんを連れて来たな。今度は芸能事務所でも始めたのか? 」

 坊主頭に柿色の渋い作務衣を着た壮年の僧侶が破顔一笑した。丸いお地蔵様の様な温和な面立ちで、黒縁眼鏡のレンズ越しに見える眼は優しく波打っている。

「やだお父さんたら、実の娘をつかまえてそんな、恥かしいじゃない」

 祥子は波目で照れながら体をくねくねさせた。

 苦笑する幸甚の横で、四方とつぐみはリアクションに困った挙句に狛犬化していた。

「電話で話した件だけどさ」

「ああ、まあ上がってくれ。中で話そう」

 僧侶に案内され、四方達は客間に通された。

 彼は閏間玄信――前述の下りで察しがつくように、祥子の父だ。

「お二人とも探偵さんなのですか。驚いたな」

 挨拶の折に四方とつぐみが差し出した名刺を見て、玄信は心底驚いたようだった。

「失礼します」

 玄信と同じく作務衣を着た長髪の女性が、お盆にお茶とお茶菓子を載せて現れた。

 何となく面影が祥子に似ている。

「あら、幸ちゃんいいわね。美人の若い娘さん達と一緒で」

 彼女はにこにこしながらお茶とお茶菓子の栗羊羹が載った皿をテーブルに並べた。

「お母さん、その中に私は言ってるのかなあ」

「あら、入れて欲しいの? 」

 彼女は祥子に意味深な台詞を残し、部屋を退出した。

「祥子、そなたの母は面白いな」

 つぐみがにんまり笑う。

「ちょっとずれている所があるんで、困ってるんですよ」 

 苦笑いする祥子をチラ見しながら、四方は口元に意味深な笑みを浮かべた。

「まずはこれをお見せしましょう」

 玄信は古びた細長い木箱をテーブルの上に置き、中から巻物を取り出した。

 彼はそれを慎重にテーブル上に広げた。

 『阿鼻』が僧にのより丘に封じ込まれる一連のストーリーが描かれた絵巻物だった。

「本堂には、これのレプリカを展示しています。この巻物も丘同様に毎年供養しておりますから、障りは無いのでご安心ください」

「確かにそうですね」

 四方はしげしげと僧侶の祈りに苦悶する『阿鼻』の姿を見つめた。

「それにしても困ったものですよ。あの丘でイベントをやるなんて。普通の催し物ならいいんですが、今回のは何というか、嫌な胸騒ぎしかしないんですよ」

 玄信は吐息をついた。

「今回のイベント、父は最初からずっと反対していたんです。私よりそちらの能力に長けていますので、何か感じたんでしょう」

 祥子の表情が硬く強張った。

「私の力なんか、四方さんや戸来さんに比べたら赤子みたいなもんだ」

 玄信は眼を細めながら首を横に振った。

「いえいえ、我々もまだまだ若輩者ですから」

「日々修行と鍛錬を怠ってはならぬ身。まだまだです」

 つぐみが厳かに答える。

「あのイベントだけど、町長とかは反対しなかったの? あそこはここの檀家だし」

 幸甚は絵巻物を見つめながら玄信に尋ねた。

「町長も反対してくれたよ。あと、この辺りの町内会も一斉に反対の狼煙を上げてくれたんだけど、市長がむりくり押し切った。地域の発展の為とか言って、この辺りの著名人を抱き込んだんだ。あの丘を公園としてお花畑にするとか、呼び名をかえるとかはまだよかった。他のイベントの時も、特に問題は無かったからか反対の声は上がらんかったんだが、今回は違った。昔からここに住む者達はずっとあの伝承を聞いて育ったからな」

 玄信はそう、しみじみと語った。

「伝承と言うのは、この絵巻物の? 」

 四方が、玄信にそう問いかけた。

「実はこれ以外にも口伝がありましてね」

「それは、どのような? 」

「『阿鼻』がまさに屠られる寸前、今際の際に残した言葉があるのです。奴は、丘の地に身を沈めながら、恨めし気にこう呟いたのだそう――己をこの地に縛り付ける要が倒れた時、再びこの世に現れて災いを齎すと」

「その要ってどのようなものなのです? 」

「直径およそ一メートル、高さがほぼ二メートルの、御影石で出来た円柱です。高さと言っても地表に出ている分なので、実際には分からないんですよ

「でかいですね」

「ええ、これが丘を取り囲む様に五ヵ所に立てられているんですけど、そのうちの一つが先日折れてしまって」

「折れた? 」

「ええ、公園のそばに新しいマンションを建てるんだっていって、要のすぐそばの崖を重機で削ったんですが、その時に誤ってぶつけたらしいんです。業者は謝罪に来ましたが、どうも怪しかったですね。恐らくはわざとぶつけて壊したんだろうと。我々が伝説を盾に都市開発をしつこく反対するので、要が壊れても何も起きない事を証明したかったのでしょうね」

「実際、何も起きなかったのですか? 」

「それが起きたんです。重機を操縦していた担当者はここの公園のはずれで自死を遂げ、建設会社の社長は家族で外出中に車ごと崖から転落して全員死亡。しかもその現場を線でつなぐと裏鬼門と表鬼門になるんです」

 祥子が表情を曇らせる。

「亡くなった方をどうこう言うつもりはない。むしろ何とか我々の力で災いを回避できなかったものかと悔やまれてならんのです。彼らも自分達の意志でやった事じゃない。背後に何者かから指示を受けて、それに従っただけの事」

 玄信は目を伏せると、絵巻物を静かに片付け始めた。

「あの後、要は元に戻し、折れた部分を補強してしたんだが、明らかに違った。何かしら気が抜けたような感じだったな」

 幸甚が苦虫を噛みつぶしたような顔で呟いた。

「全てを障りに結び付けるのは良くない事ですが、今回は余りにも条件がそろい過ぎていた」

 玄信は静かにそう語った。

「これだけ不穏な動きが見え隠れしているというのに・・・イベントを任された会社の方も中止を進言したそうですけど、駄目だったんですよね」

 祥子が忌々し気に呟くと目を伏せた。

「ええ。もしやるなら、今回は手を引かせて欲しいとまで言ったらしいです。でもそれすら認めてくれなかったらしいですよ。手掛けた以上、最後までやる様に言われたそうです。衣川さんの性格なら、反対にブチ切れて契約を破棄しそうなイメージなんですけどね」

 四方は首を傾げた。確かに、彼女の性格を知る者からすれば、今回の彼女の対応は何となくおかしく見える。

「分からぬな。ここまでしてやる必要があるのか」

 つぐみは不満気な表情で小皿の羊羹を口に放り込んだ。途端に、彼女の表情が甘露に緩む。

「つぐみくらい分かり易かったらよかったのにねえ。今回のキャストはみんな、何かしらの皮で素顔を隠しながら踊っている様にしか見えないんだよ。死んだ連中も含めてだけど」

 四方は優し気な笑みを浮かべながらも、こっそりと彼女の羊羹を狙おうとするつぐみの手をぴしゃりと叩いた。

「なかなか鋭い所を突き成さる。実はもう一つ伝承があってね。それは我が一族の間だけで語り継がれてきた話なんですが・・・」

 玄信は眼を細めながら、ゆっくりと言霊を綴り始めた。

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