第22章 暗躍
「皆さんも忠告して下さったのですか・・・」
上月未央は吐息をついた。
「全く聞く耳を持たないって感じでしたね」
四方は淡々と語ると、つぐみの入れた珈琲を口に含んだ。
四方の探偵事務所は、珍しくどんよりとした空気に沈んでいた。
ムードメーカーの宇古陀がいないせいもあるのかもしれないが、未央と四方、つぐみは暗い表情で額を突き合わせていた。
「私、もう我慢できなくて、今回の企画からは降りさせてくれって、直接衣川と交渉したんです。多分、契約違反だとか手を引くなら賠償金を払えとか騒ぎ立てるだろうと思ったんですが・・・私の今後の仕事を飛躍させるチャンスだから、絶対にやめては駄目だって、こんこんと説得されたんです」
未央は切なげにそう語った。
「信頼されているんですね」
四方は感慨深げに頷くと、手を膝の上で組んだ。
「そうだと思いたいんですが・・・正直のところ、複雑な気持ちです」
「まあ、そうですよね」
「私の勝手な思い込みかもしれませんが、衣川は私に罪滅ぼしをしたくて色々と手を差し伸べてくれるのかもしれんせん」
「罪滅ぼし? 」
四方の眉毛がピクリと動く。
「私には姉がいたんですが・・・衣川のいじめが原因で自殺しているんです。学校の屋上から飛び降りて」
暗く沈んだ表情で伏目がちに語る未央の予期せぬ言葉に、四方とつぐみは眼を見開いた。
「自殺・・・されたんですか」
四方の視線が揺らぐ。
「ええ。姉は衣川と同じクラスだったんですが、衣川とその取り巻きから執拗ないじめを受けていました。何故虐められたのか、理由は分かっていません。姉は担任の先生には相談していたみたいなのですが、話は聞いてくれるものの、何も手を差し伸べてはくれませんでした」
未央は憂いに満ちた表情で、恨めし気に言葉を紡いだ。
「それは・・・大変だったんですね」
四方は言葉を選びながら未央に語り掛けた。
「でも、学校は事故死で片付けようとしたんです。遺書もあったのに・・・」
「それは妙な話ですね」
「おかしな話です。姉は両親と私、そして担任の先生宛に遺書を残しているんです。でも先生は受け取っていないの一点張りで。私が受け取った姉の遺書には、私以外に誰に渡したかも書いてあったんですよ」
「教育委員会や警察は何をしていたのか」
つぐみが腹立たし気に爪を噛む。
「衣川の親が全てを抑え込んだんです。彼女の両親は、財界や政界に顔が利く地元の名士ですから。それでも父は訴え続けました。けれど突然会社を解雇されたんです。父の勤めていた会社は、衣川家が経営する企業と取引があり、どうやら裏で圧力をかけて来たようです。おまけに彼女の母親は事実無根のデマを風潮したとして私達家族を名誉棄損で訴えたんです」
「無茶苦茶な・・・」
四方が眉を顰めた。余りにも理不尽な話に、揺れ動く彼女の瞳には紅蓮の輝光が宿り、夥しいプロミネンスを解き放たっていた。
「無茶苦茶でした。そのせいで父と母は心を病み、姉の後を追うかのように自ら命を絶ちました。私一人だけが残されたんです。その後、私は叔父の家に引き取られました。叔父や従妹達が優しく私を迎え入れてくれたのが、唯一の救いでした」
未央は静かに息を吐いた。
眼が涙で潤み、一文字に結んだ唇が、小刻みに震える。
四方は席を立つと、未央の横に座った。
「辛かったですね」
四方が、そう未央に囁いた。
彼女の瞼が、一気に緩む。
決壊した瞳から涙が止めども無く流れ落ちる。
そんな彼女を、四方は優しく抱きしめた。
未央は四方の胸に顔を埋めると、声を上げて泣きじゃくった。
つぐみは二人のその姿を感慨深げに見つめながら、優し気な微笑を浮かべた。
「四方ちゃーん、暇? 」
能天気な声と共に、事務所のドアが開く。
久し振りの宇古陀の登場だった。
「え、何かあったの? 」
事務所に入るなり、宇古陀は四方の腕の中で泣き崩れる未央を見て、きょとんとした表情で立ち竦んだ。
「残念だったな、宇古陀。ひょっとしたら四方の役回りはお前だったかもしれんぞ」
つぐみが、呆気にとられる宇古陀をニヤニヤ笑いを浮かべた。
「ありがとうございます。もう、大丈夫です」
未央は四方の胸から顔を上げた。
「泣いたら、何だかすっきりしました」
未央は晴れやかな笑みを四方達に向けた。心の奥で息を潜め、長年にわたって彼女苛み続けた負の感情を全て洗い流したかのような、安堵に満ちた表情だった。
「宇古陀、突っ立っていないで、座ったらどうだ。今、珈琲を入れて来てやる」
つぐみはそっと席を立った。その際、さり気なく目じりを拭ったのを未央は見逃さなかった。
「有難き幸せ! 」
宇古陀は満面の笑みを浮かべながら、つぐみの温もりが残る席に腰を降ろす。
「つぐみさん、優しい人なんですね」
未央は部屋の奥のキッチンに向かうつぐみの後姿をじっと見つめた」
「そうですよ。不器用な娘なんですけどね。彼女も色々苦労してきましたから、人の心の痛みが分かるんです」
四方の優しい言霊は、未央にこの上ない安らぎを与えていた。
四方はつぐみを信頼し、彼女の人間性を理解している。恐らくつぐみも、四方に対して同じ感情を抱いているのだろう。所長と助手と言う関係にも拘らず、二人の間にそう言った上下関係が齎す軋轢や壁はなく、むしろ同等とすら感じられた。
パートナー。
そう言った方がしっくりくるかも知れない。
未央は二人の関係に羨望の思いをはせた。
今の自分には、そのような存在はいない。
思い悩みながら自ら命を絶つことを得らんだ姉や両親、そして一人残された自分を我が子同様に育て、父母が残した遺産には一切手を付けずに大学まで行かせてくれた叔父家族の為にも、必死になって努力して来た。
頑張って来たと思う。
例え、仕事の得意先が家族を死に追いやった衣川一族だとしても。
生きる為に割り切って。
今までに何度か、家族の後を追おうと思い悩んだ時があった。
でも。
何とか踏みとどまって生きて来た。
せめてこの世に生を受けた以上、魂が燃え尽きるまで疾走しよう。
そう、思った。
両親が無理心中を選択せず、二人だけで逝ったのも、自分には生きろと言うメッセージでもあったのだろう。
両親が残した遺書には、姉の苦しみに気付かなかった苦恨の思いと、一人ぼっちになってしまう私への謝罪の言葉が書き連ねられていた。
私は生きる。どんなことがあっても。
心に誓い、挫けそうになった時もネガティブな迷いを断ち切って来たのだ。
でも、自分を追い込むことで、知らず知らずのうちに負のスケールが意識にこびりつき、手枷足枷となっていた。
自分でも、それは感じていた。
どうする事も出来ない。これが自分に残された・・・自分が選択した運命なのだから。
そう思わざるを得なかった。
だが同時に、心の動脈硬化が進んでいる事に気付いていた。
多忙に振り回されるだけの、達成感の無い生活。
不条理な条件ですら呑み込まざる負えない、社会のしがらみ。
努力すればする程に、我慢すればする程に、自分の中の狂気が暴走するのが分かった。
仕事に没頭する余り、優秀なスタッフも何人かやめて行った。それも、彼らの再雇用先が衣川の会社と知った時、錯乱しかける程にまで、意識がおかしくなっていた。
自分よりも、あの憎むべき衣川を選んだ事に。
既にブラック企業のうわさが飛び交っていた企業に転職するなんて、言わば自分の会社はもっとブラックだという事か――。
衝撃の事実に打ち震え、仕事への意欲を削がれてしまった彼女の元に舞い込んだのが、今回のイベント企画だった。
彼女の元スタッフも運営に加わっているらしい。
衣川は一体何を考えているのか。
皆目見当が付かない気味悪さもあったが、仕事と割り切って受ける事にしたのだ。
実際のところ、未央の元に残っているスタッフは現在二人だけ。そうなれば、そうでもしなければイベントを成立させることは不可能なのは確かだ
でも、今回の騒動で、未央はこの事案から手を引くことを決断した。自分達の部下に何かあってからでは遅すぎると感じたのだ。
そんな彼女を、衣川は凄まじい圧を放ちながら必死で引き留めた。
その態度を目の当たりにし、ますます衣川と言う人物が分からなくなってきた。
何かを企んでいる――そんな気がして仕方が無いのだ。
思い悩んだ矢先、気が付くと未央は四方の元を訪れていた。
彼女達に、あの日以来封印して来た心の闇を洗いざらい打ち明けた事で、未央は不思議と今までにない心の安らぎを見出していた。
涙を流していた未央を不思議そうに見ていた宇古陀に、四方は事の成り行きをかいつまんで説明した。勿論、未央同意の上でだ。
未央の身の上を聞いた宇古陀は、顔を真っ赤にして衣川への嫌悪をあからさまにすると、彼女の一族のビジネスに関わるスキャンダラスな情報を未央に話し、関係を断ち切ることを切に説得した。
衣川財閥は新規分野に進出する際、難癖をつけて合法的に会社の吸収を勧め、成長し続けているらしい。
宇古陀が言うには、恐らく成長株の未央の会社もそのターゲットに入っているという。
ふと、キッチンのドアが開き、トレーを持ったつぐみが姿を見せる。
「お茶菓子も持ってきたぞ。今度カフェに出す期間限定の新メニューだ。よかったらどうぞ」
つぐみは宇古陀の前に珈琲カップを置き、殻になった未央達のカップに新たに珈琲を注ぐと、ごろごろした果肉入りのブルーベリーソースがたっぷりかかったチーズケーキの小皿を置いた。
「わああ、美味しそう・・・」
未央が眼を見開く。
「私の手作りだ。ちなソースもな」
「つぐみさん、凄いです」
「つぐみはお菓子造りも料理も得意だもんね。私は全然駄目だけど」
「いや、唯一お好み焼きは旨いぞ」
フォローになっていないつぐみの一言に、四方はハの字眉毛で苦笑いを浮かべる。
「では早速頂きます」
未央がフォークで一口ケーキを口に運ぶ。
途端に、表情が加熱した蕩けるチーズになる。
「美味しい・・・マジ旨過ぎですよ、これ」
「よかった・・・喜んでもらえて」
つぐみが嬉しそうに顔を綻ばせる。
「つぐみちゃん、これホールでもいけるよ」
宇古陀はチーズケーキを瞬食すると、満足げにに眼を細めた。
「宇古陀、もっと味わって食べろ。おかわりは無いからな」
つぐみは呆れた目線を宇古陀に注ぐ。が、彼にとってはこれも至福のデザートの様だ。
「未央、何かあっても無くてもいつでもここに遊びに来ていいぞ。仕事とは別でな」
つぐみの素っ気ない口振りに秘められた優しさが、再び未央の涙腺を緩ませる。
「有難うございます」
未央はぽろぽろと涙を流しながら笑みを浮かべた。
「狐の嫁入りだな」
宇古陀が温和な眼差しを未央に向けた。
「うーん、それはちょっと間違った日本語っぽい」
四方がちょこっと首を傾げる。
「宇古陀、珍しく忙しそうだな」
つぐみはチーズケーキを口に運びながら、隣の宇古陀に話し掛けた。
「まあ、忙しいって程でもないんだけど、今回の件で気になった事があってね。『慈愛の杜』を調べてたんだ」
「『慈愛の杜』? ああ、衣川が経営しているホスピス? 」
四方の眼が鋭い眼光を放つ。今まで『衣川さん』だったのが、敬称無しの呼び捨てになっていた。彼女の中では、衣川は特に重要なクライアントという訳でもないし、実際に直接仕事の依頼を受けた訳でもない。それどころか、彼女にとっては、衣川はもはや人と呼ぶに値しない存在と言っても過言ではなかった。
「そう。師匠に言われて気になって調べたんだけど、とんでもないことが分かった」
「とんでもないこと? 」
「うん。あのホスピスは、衣川のハラスメント被害者を世間から隔離するものだった」
「それって、どういうことです? 」
四方が前のめりに上体を傾ける。
「ハラスメントを受けて心の病を発症した社員を、会社として誠意を示すためだとか言って、補償を支払いながら入院させているんだけど、マスコミは一切シャットアウト。入院患者と極秘にコンタクトを取って色々聞き出したんだけど、働いていた時と同様に給与は支給される上に全員個室があてがわれられ、快適極まりない生活を送っているらしいよ」
「へええ。意外とちゃんと補償はしているんですね」
「でも、会社への批判は一切禁止。SNSへの書き込みもしない様、誓約書に署名を強要されるらしい。もし誓約違反となるような行為をしたら、多額の罰金が請求されるそうだ」
「何か恩着せがましいですね」
「それと噂では、入ったら最後、二度と出られないらしい。ホスピスには衣川の息がかかった専門医がいて、回復の見込みが出てきた患者に対しても退出許可を出さない上に、家族との面談もかなり制約されているらしいよ」
「まるで座敷牢ですね」
「衣川は一族の発展に水を差す障害が出ると悉く隠密に闇へと葬って来たからな。上月さんのご家族の事もそうなのだろう。まさに胸糞ものだよ」
宇古陀は、肺の奥の呼気を絞り出すかのような深い吐息をついた。
「それと、これは余談なんだけど。上月さんのお姉さんの元担任、自殺したらしい」
「えっ? 」
未央は驚きの声を上げると、表情を硬く強張らせた。
「彼女の中学生の娘さんが学校でいじめに合い、校舎の屋上から飛び降りたらしい。ただ学校からは、いじめの事実は無かったとの一点張りで、遺書はあったものの、その内容は本人の勘違い――被害妄想によるものだと訴えを退けられたんだ。彼女が過去に起こした上月さんのお姉さんの事をマスコミがかぎつけた途端、衣川が動いて火消しに回ったものの、本人と彼女の夫は耐えられずに娘の後を追って自死。過去の惨劇を繰り替えす事になった」
「知らなかった・・・」
未央は驚愕をかろうじて言葉に絞り出す。
「それともう一つ。上月さんのお父さんを解雇した会社はしばらくして倒産し、衣川財閥に吸収されたよ。その際に、社長は経営難を苦に自殺している」
「因果応報、だな」
つぐみが吐息と共に言葉を紡いだ。
「まあね。まあ、その事があってか、衣川は、とある思いに駆られるようになった」
宇古陀は一呼吸置くと、ゆっくりと言葉を綴った。
「自分は、上月さんのお姉さんに呪われているんじゃないかって」
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