第18章 怒涛

「あなたもイベントを中止しろって言うんですかっ! 」

 衣川詩音は憤怒の怒号をぶちまけた。

「上月も宇古陀も急にイベントを中止しろだなんて言い出すし、おまけに、何も関係の無い探偵ごときまでもが」

 詩音は眼を吊り上げると、四方を上目使いにねめつける。

「宇古陀さんにイベント中止の助言を入れて頂くよう依頼したのは私です。彼の意志ではありません」

 感情を露骨にぶちまける詩音とは対照的に、四方は毅然とした態度で彼女に対峙した。彼女が紡いだ言葉の一つ一つには強い意志が込められており、口汚く騒ぎ立てる詩音とは比較にならない重厚な存在感を秘めていた。

 衣川詩音のオフィスである。

 構想ビルの最上階にある彼女のオフィスは、俗世間を見下ろす事で自身の高尚さを保とうとする自身の気位を満足させるにふさわしい環境だった。

 オフィスには彼女と四方以外には、秘書の女性が一人。小柄で、色白の日本人形のような面立ちだが、表情に感情の色は感じられない。白いブラウスに黒いタイトスカートといった装いだが、是非着物姿を見てみたくなるような清楚な雰囲気を醸している。

 彼女は、ソファーに腰を降ろす四方の後方に立ち、対面の詩音の目線をじっと追っていた。

 詩音の忠実な僕――そんなイメージを四方は感じ取っていた。

「衣川さんに送られてきた『呪いの書状』絡みで、もう五人の方が亡くなっているんです。冷静に考えてみれば、自ずから出る答えではないでしょうか」

 顔を真っ赤にして睨みつける衣川をものともせず、四方は彼女の眼をじっと凝視した。とどめを刺すべく紡がれた彼女の言霊は、感情のコントロールを失った衣川の精神を容赦なく捻じ伏せていた。

「関係無いわよ・・・だいたい、最初に送られてきた私は何ともないんだし」

 詩音は四方から目線を逸らすと、毒を吐いた。

「恐らくですが、それはフェイクです」

 四方は静かに言葉を綴った。

「フェイク? 」

 詩音が怪訝な面持ちで四方を見た。

「あなたを油断させるためのね。でも、もう一つ大きな役割があった」

「えっ? 」

「連日の様に呪いの訴状が届けば、流石にあなたは追い詰められて、有名どころの霊能師に相談に行くだろう――そう思った施術者の狙い通り、あなたは行動した。それが施術者の狙いだった。頼った相手が次々に命を落せば、あなたをどんどん追い詰めることが出来る、そう考えたのでしょう。その結果、彼らは怨嗟に憑りつかれた鬼の贄にされ、大地を走る龍脈を穢してしまったんです。曰くつきの霊能師やその関係者の汚れた血でね。それはいずれもっと禍々しいものを生み出すことになる」

 詩音は黙って四方の語りに聞き入った。

 心を開いたのでも反省した訳でもない。

 反論する糸口を探そうとしているのだ。

 不意に、詩音は口元に冷ややかな笑みを浮かべた。

「分かったわ・・・」

「分かって頂けました? 」

「そっちじゃないわよ。あなたの目論見、がよ」

「目論見、ですか」

「そう。あなた、私の不安を煽って雇ってもらおうと思ってない? 」

「まさか」

 どや顔で得意気に言い放った詩音の台詞を、四方は呆れ顔で受け止めた。

「とにかく、イベントは中止しません。お帰り下さい」

「しかし・・・」

「お帰り下さい」

 詩音は真っ向から四方にそう言い切ると、秘書に目配せをした。

 秘書は黙って頷くと、携帯電話を取り出した。

 急に社長室のドアが開く。

 長身で屈強な体躯の男が二名、足早に入室して来る。ダークのスーツにノーネクタイで白いワイシャツを爽やかに着こなしている体ではあるが、隆起した筋肉には見事なまでに似合わない。

 衣川自身が、あちらこちらで問題事を起こしているからか、トラブルを想定し、ボディガードを雇っている様だ。

「この方をお連れして」

 衣川の声に、男達は目を吊り上げて威嚇しながら四方との間合いを詰めた。

「分かりました。やはり無理でしたか」

 四方は口元に苦笑を湛え乍ら立ち上がると、振り向き、男達と対峙した。

 四方が腰掛けていたソファーの真後ろに回った所で、男達はぴたりと歩みを止めた。

「見送り無用です。では、失礼します」

 四方は衣川に深々と頭を下げると、男達の間を擦り抜け、ドアへと向かった。

 途中、直立したまま眼を見開いている秘書に一瞥を投げ掛けると、四方は部屋を後にした。

「仁平、久土、何を躊躇ているのよ。いつもの様に、両腕引っ張って引きずり出せばよかったの――!? 」

 衣川の罵声が二人のボディ―ガードに飛ぶ。

 同時に、二人は声を上げる事無く体をくの字に折り曲げ、ソファーに倒れ込んだ。

「えっ! 」

 衣川は驚きの目線を二人に降り注いだ。

 眼は開いているものの、視点が中空を向いたままになっている。

 二人とも、意識を失っていたのだ。

 と、ほぼ同時に、無機質な衣擦れの音が力無い音色を奏でた。。

 秘書が、その場に座り込んでいた。

 ただでさえ白い顔が、更に青白く血の気の失せたそれになり、ぺったりと床についた彼女の脚と足の間には、淡い黄色を帯びた水溜まりが生じていた。

「何が、起こったの・・・? 」

 衣川は得体の知れぬ畏怖に身震いすると、四方が去って行ったドアの向こうをじっと見つめた。


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