第19章 騒気

「有難う、お待たせ」

 ハンドルを握ったまま路肩で待機中のつぐみに、四方が声を掛けた。

「お疲れ。どうだった? 」

 助手席に滑り込む四方に、つぐみは労を労った。

「予想通り、駄目だった」

 四方は苦笑しながらシートベルトを装着した。

 つぐみはハザードランプを切るとサイドブレーキを解除し、ウインカーで合図を出しながら路肩から本線に合流する。

 本来、つぐみも同席するはずだったのだが、パーキングに空きが無く、かと言って路上に駐車するのも気が引けたので、彼女には車で時々移動しながら待機するように頼んだのだ。

「つぐみ、行かなくて正解だったよ」

「どうして? 」

「たぶん、つぐみなら衣川さんの態度に腹を立ててオフィスを廃墟にしてしまったかも」

「そんなに酷かったのか? 」

「酷かったよ。宇古陀さんの言ってた通りだ」

「それも想定していたのだろ? 」

「まあね。想定通りと言えば想定通りだったね」

「衣川は何故、そこまでイベントにこだわるのか」

 つぐみが眉を顰めた。

「だよね。このまま開催したとして、今までの事件との関連性をメディアがかぎつけたら大騒ぎだ。ていうか、宇古陀さんが絡んでいるからもう遅いと言っちゃ遅い」

「この前、ネタとして暫く温めとくって言ってた」

「あ、それね。多分、自分がイベントに出るからじゃない? とりあえずイベントが終わってから書くのかも。今はもう余り出たくなさそうだけど」

「だろうな」

 つぐみがそっとほくそ笑む。

 車は市街を抜けると、郊外に延びる道路を突き進んで行く。車窓を流れる風景も、繁華街から住宅街、そして果樹園や水田と、次第に装いを変えていく。

 つぐみはリアウインドウを少し開けると、嬉しそうに鼻孔を膨らませた。

「四方、海鮮丼の匂いがするぞ」

「それを言うなら潮の香でしょ。大分海に近付いて来たんだね。昼ご飯は海鮮丼にしようか」

 四方がくすりと笑った。

「賛成! 」

 つぐみは嬉しそうに白い歯を見せて笑うと、アクセルを踏み込んだ。

 やがて車窓の風景に建造物が目立ち始める。飲食店や土産物屋が軒を連ねる向こうに、幾つもの高層マンションが影を落とし、そのすぐそばに大型スーパーやホームセンターが立ち並んでいた。どの建物も比較的新しく、最近開発された地域である事は確かだった。その道の突き当りに、濃厚な緑で埋め尽くされた広大な空間が広がっている。

『風の丘緑地公園』だ

 平日にもかかわらず、公園の入り口付近に整備された広い駐車場には、何台もの車が止められていた。

 つぐみは駐車場の奥に車を止めると、エンジンを切った。

「有難う。お疲れ様」

 四方は、つぐみに声を掛けると車から降りた。

「ここが全部公園なのか? 」

 つぐみは嬉しそうに眼前に迫る木々を見つめた。

「うん。あちらこちらに季節の花が植えられているらしいよ。今は薔薇が見頃だって」

 四方は携帯で公園のホームページを見ながらつぐみに説明した。

「私は薔薇よりバラ肉の方がいい」

 つぐみが鼻孔を膨らませる。ここからは見えないが、公園の中には要所要所にキッチンカーが並んでいる。彼女の鋭い嗅覚が、早々とそれをキャッチしたようだ。

「行こうか」

「まるでデートだな」

「まあ、そう見えてもおかしくは無いかもね」

 四方の横につぐみは肩を並べると、連れ立って歩いた。

 自動発券機で入場券を買い、公園へのゲートを通過する。

 公園ごときで入場料を取るのかと不満気なつぐみだったが、公園内に足を踏み入れた刹那、彼女の価値観は一変した。

「凄いな・・・」

 感嘆の吐息がつぐみの口から零れ落ちる。

 視界に迫る幾種類もの薔薇がおりなす耽美な造形に、彼女は完全に心を奪われていた。

 だが、その艶やかな情景の中でも、二人の美貌は霞むどころか、むしろ御際立ってすら見えた。

 薔薇の醸す上品な香に満たされた小径を寄り添い歩く二人の姿に、通行人達は薔薇を愛でる以上の驚きと感嘆の吐息に喉を震わせていた。

 薔薇の奏でる美しい情景すら退けてしまう美し過ぎる二人は、まるで別世界からの異邦人であるかのように、透明感のある幻想的なオーラを纏っていた。

「ここは・・・? 」

 つぐみが歩みを止めた。

 広葉樹の林の中を真っ直ぐ突き抜ける道の正面に、地肌がむき出しになった小高い丘が見える。

 つぐみは眉を顰めた。

 公園の名にも記されたように、季節の花々で彩られたこの敷地のメインステージとも言うべき場所でありながら、余りにも殺風景な光景に、彼女は一気に興醒めするのを覚えた。

「五月初旬頃まではネモフィラが咲き乱れているんだけど、今は丁度端境期だね。これからの季節に向けてコキアを植えるんだけど、その準備段階ってとこか」

「それでか」

 四方の説明に、つぐみは納得したらしく、大きく頷いた。

「この時期は公園の訪問者が落ちるから、イベントをやれば一時的でもそれが防げる。この地域の開発会社や県の要職者は衣川の親族だからね。そんな思惑もあるのだろうな」

「成程な。そっちの件も腹に入った」

 つぐみは唇を歪めると静かに頷いた。

「だけど四方、ここは長居無用だ」

「だね」

 つぐみが忌々し気に台詞を吐き出す。と、間髪を入れずに四方が頷く。

「奇遇だな。お二人も来られてたか」

 聞き覚えのある声が二人の背後から響く。

 伊佐内幸甚とその弟子、閏間祥子だ。幸甚は藍色の作務衣に草履、閏間は淡いピンクのブラウスに黒いミニスカートといった装いで、にこやかな笑顔を浮かべながら近付いて来る。

「お久しぶりです。幸甚さんと閏間さん、どうしてここに? 」

 四方は挨拶もそこそこに二人に問い掛けた。

「多分、四方さん達と同じ理由だな」

「成程」

「これから丘のてっぺんまで登るけど、四方さんとつぐみさんもどうだい? 」

 幸甚の提案に二人は顔を見合わせた。

「何、大丈夫。気の淀みは私が蹴散らしたからな」

 二人の思案顔に察するものがあったのか、幸甚はそう答えると腹を揺らして笑った。

「確かに、思ったほど淀んでませんね」

 四方はちらりとつぐみを見た。

「まあ、な」

 つぐみは横目で四方を見ると渋々頷いた。

 幸甚と閏間に従い、四方とつぐみも丘の頂上へと続く道を歩み始める。

 道は緩やかなカーブを描きながら蛇行し、頂上へと続いていた。

 丘陵は次の季節を彩るコキアの植え込み作業の真っ最中のせいなのか、観光客達が訪れるのも途中のバラ園までで、ここの歩道を歩くのは四方達以外に人影は皆無だ。

 丘の上に着くと、眼下には鉄工所らしい建物と港が控えており、視界の両端には大きくせり出した半島が見えていた。

「ここは湾の奥だからな。それだけに開発がしやすかったんだろう。元々は漁港しかなかったんだが、近年はセメント工場や鉄鋼関係の工場が立ち並ぶようになった。工業地帯と昔ながらの漁港が隣り合わせでありながら共存している。人のによっちゃアンバランスに感じるかもしれん風景だな」

「向かって左に見える半島の中央部に、最初の被害者――玉水の道場があります。そして、向かって右の半島の中央部に、この前の事件現場が・・・」

 閏間はそこまで言うと口を閉ざした。

「幸甚さん達も気付いたんですね」

 四方は二人の説明を聞くと、静かに頷いた。

「ああ。一連の事件現場をテレビで映したのを見て気付いたよ。皆、龍脈の真上とはな。慌ててここに飛んできたものの、既に遅しって感じだった。龍脈を穢れの壁で閉ざされてしまったどころか、見事な五芒星を成しているもんだから、負の結界みたくなっちまった。現場の浄化が終わらん限りは、ここも時々来ては淀みを散らさないとならん」

 幸甚は忌々しげに呟いた。

「事件現場の浄化は誰か手掛けているんですか? 」

 四方は幸甚に尋ねた。

「被害者の弟子や関係者が受け持っている。俺はこの前の件の絡みで凪ちゃんのぶんもひっくるめてやってるよ」

「有難うございます。私の方は全く動けてなくて。申し訳ありません」

「いや何、謝らなければならないのは俺の方だ。殺された五人のうち二人は俺の知り合いだ。あの二人の悪行に今まで気付かなかったのは情けない。それに、大事な弟子の心に深い傷迄負わせてしまった」

 幸甚は苦悶に表情を歪めた。握りしめた拳が小刻みに震えている。

「幸甚さん。私達は鬼を」

 吸い込まれるような四方の瞳に、紅蓮の炎のような輝光が宿る。

「頼みます。流石に奴は俺らじゃ手に負えん」

 幸甚は眉間に深い皺を刻みながら、静かに頷いた。 

「四方」

 つぐみが四方のそっと囁く。

「うん。私達の会話に触発されたのかもね」

 四方は刃の様な眼光を周囲に向けた。

「蹴散らして大人しくなったと思っていたが、様子を伺っていたのか」

 二人の会話を耳にした幸甚は、不満気に辺りをじっと見渡した。

 閏間はと言えば、一言も発さずに印を結ぶと、ただ一心に呪詛を紡ぎ始めた。

 地肌がむき出しになった丘陵の斜面に不可解な影が蠢いている。

 それも、一つ二つではない。

 ぼんやりとした無数の白い影が、雨後の筍の様に地面から浮き上がっている。

 辛うじて人の形状は成しているものの、顔や性別までは分からない。

 ただ、寒中に晒された鉄塊の様な、とてつもなく重く冷たい気配を孕んでいた。

 絶望。恐怖。後悔。苦悶。嫉妬。怨嗟。

 様々な負の感情が渦巻く混沌とした思念を、影は孕んでいるのだ。

「浮遊霊ばかりじゃない。本来、因縁のある地から動けないはずの地縛霊もいますね」

 四方は、じっと影を見据えながらそう呟いた。

「無理矢理連れてこられた感じだな」

 つぐみは周囲を見渡さすと、何処か切なげな吐息をついた。

「お二人の神眼は素晴らしいな。まさしくその通り。俺も最初はこの地に溜まる負の気が呼び寄せたのかと思ったんだが、そうじゃなかった。こやつらは無理矢理連れてこられたんだ。ここの主にな」

 幸甚の眼の奥が鋭利な刃の様な眼光を湛える。

 影達がぞわぞわと動き始める。

 彼らの思念に焦燥と迷いが浮かんでは消えている。

 目の前の格好の獲物に、憑依するかどうか躊躇い困惑しているようだった。

 痺れを切らした後続の霊が一斉に四方達に飛び掛かった。が、一瞬にして粉々に飛散し、中空の中に消えた。

「閏間さんの結界ですね」

 四方が、感心したように呟く。

「彼女もなかなかやるだろ」

 幸甚が嬉しそうにほくそ笑んだ。

 が、刹那、夥しい霊達が地面との束縛を断ち切り、一気に四方達目掛けて攻め込んで来る。

 瞬時にして仲間が無に帰すのを見て怯えるのでは思ったのだが、かえってそれが彼らの怒りを増幅させてしまったらしい。

 だが、閏間の結界はそれでも持ちこたえ、最初の様に昇華させるまでには至らないものの、ぎりぎりの所で奴らの進行を留めていた。

「四方、海鮮丼が待っている。一気に片を付けるぞ」

「そだね」

 迫り来る例の集団目がけて、つぐみが凄まじい殺気を孕んだ一瞥を投げ掛ける。

 刹那、目前にまで迫っていた霊体の群れが一瞬して粉砕し、消失した。

 つぐみに続き、四方は両掌を霊群に向けた。

 無数の白い人形ヒトガタが彼女の掌から飛び出し、霊体を貫いていく。

「三人とも凄いな。こりゃあ、俺の出る幕はねえな」

 幸甚が愉快そうに笑った。

「師匠、私、そろそろヤバいです。特に眼の前のこいつ、やだ」

 閏間が泣きそうな表情で幸甚を見た。見ると、彼女の目の前に、淫猥な笑みを浮かべながら隙を伺っている霊体がいた。

 色情霊のようだ。ごり押しで閏間に憑依し、何か良からぬことをしでかそうと企んでいる顔だった。

「おーし、よくぞ持ちこたえた。昔なら弱音を吐かずにやれって言うところだけどな。今の時代、そんな事言ったらハラスメントで訴えられるものな」

 幸甚はにやにや笑みを浮かべながら閏間の傍らに立つ。

 そして、好色そうな目で閏間をなめ回すように見ているその霊体の顔を、むんずと掴んだ。

 四方は呆気にとられて幸甚を見た。彼のその技は初めて見た訳ではなかったが、

余りにも大胆な行動に驚きを隠せない。

 霊体を掴む――こんな芸当をやって残る者はそうざらにいない。四方の知る限りでは同郷の知り合いで一人はいるものの、極めて稀といっていい。

「ぬん」

 気合の一声が幸甚の喉元を震わせる。

 霊体は驚愕に顔を強張らせると、かっと眼を見開いたまま粉々に粉砕した。

 が、それだけでは終わらない。

 霊体を破壊した轟気は更にそばの霊体に伝播し、次々に霊体を昇華させていく。

 圧巻の光景だった。

 最初の一体の巻きぞえを喰らった者が更に後続と隣を巻き添えにし、新たに巻き込まれた者がまた更に周囲を巻き込んでいく。

 まるで波状に倒れていくドミノ倒しのワンシーンの様だった。

「とりあえずは、これでいいだろう」 

 幸甚は大きく息を吐くと周囲を見渡した。

 丘陵を覆っていた霊群は見事に消え去っており、淀んだ気は一掃され、本来の爽やかな風がそよいでいる。

「なかなかるな」

 つぐみが幸甚に笑みを投げ掛ける。

「いやあ、つぐみちゃんに言われると照れるな」

 幸甚は頭をがしがしと掻いた。

 と不意に、閏間のお腹がぐぐうとなった。

「師匠、そろそろ十二時です」

 彼女は顔を赤らめると幸甚にそっと囁いた。

 



 

 


 



 





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