第12章 駆除

「今度は俺の番ってことか」

 伊佐内幸甚は大きく息を吐いた。白髪交じりの短髪に、萌黄色の作務衣を纏っている。恐らく宇古陀よりも遥かに齢を経ているはずだが、日焼けした肌は張りがあり、恐らくは格闘技経験があるのだろう、むき出しになった腕も筋肉が異様な盛り上がりを見せていた。

 彼は元ジャーナリストで、元々は占いやお祓いの類を完全否定するアンチスピリチュアル派の現実主義者だったのだが、かの震災を経験し、自身も被災しながらも仕事を放棄してボランティア活動に没頭した時、ありえない奇跡を目の当たりにし、突如目覚めたのだという。

 その奇跡が何だったのかは、彼は決して口にする事は無かった。ただ、その日以来、彼の思考は百八十度変わってしまったのだから、余程強烈な経験をしたに違いない。

 その後、彼は昔から鍛錬し続けてきた武道を通じて修行を積み、その結果、荒っぽいながらも悪霊を払う霊能師として開眼したのだ。

 エピソードだけを聞けば、強面の武闘派を想像しがちなのだが、その表情はいたって穏やかで、好好爺と言う表現がぴったり当てはまる風貌だった。

「伊佐内さんの所に、呪いの訴状が届いたのはいつ頃なんですか」

 四方が幸甚に尋ねた。

「あれは、二週間ほど前かな。確か衣川さんが私を訪ねて来た一週間後だった」

 幸甚は首を傾げると、遠くを見つめるような眼差しで中空を見つめた。

「衣川さんも訴状を持参して? 」

「そう。何者かが呪いを掛けようとしているから、助けて欲しいって頼まれた」

 四方の問いに幸甚は何度も頷いた。

「その後、何回か来られました? 」

「いや、その一回だけだな。あの紙を見ても、何の呪詛も掛けられていなかったから、ただの悪戯だから気にしなくていいって伝えたんだ。けど、怒って帰ってしまってそれっきりだな」

 幸甚は苦笑いを浮かべた。

「師匠、確か宗教関係の情報通でしたよね」

 宇古陀が幸甚に尋ねる。

「師匠? 伊佐内さん、宇古陀さんの師匠なんですか? 」

 四方が眼を見開いて隣の宇古陀を見た。

「うん、怪談の話術をレクチャーしてもらっているんだ。師匠はその道のレジェンドだからね」

 宇古陀が鼻を膨らませながら興奮気味に四方に答えた。

「巧ちゃん、師匠は大げさだよ。ま、先輩は先輩かも知れんけどな。儂も元々フリーのライターだったし」

 幸甚は豪快に笑声を上げた。

「師匠、前から不思議には思ってたんですが、衣川さんの会社、バックボーンに宗教団体の存在があるって噂なのに、なぜそっちを頼らないんですかね」

 宇古陀が幸甚に問い掛けた。

「『慈愛の杜』のことかい? ああ。あれはね、宗教団体じゃないんだ。どちらかと言うと、心を病んじゃった人を救うホスピスっていえばいいかな。非営利の団体で、衣川さんが理事を務めている。どちらかと言うと、彼女の会社がその団体を支えているって言った方がいいね」

 幸甚の話では、衣川は今の会社が成功すると同時に、先のNPO法人を立ち上げたらしい。ハラスメントの噂が絶えない彼女が、何故そのような団体を立ち上げたのかは不明だ。中には売名行為だと嘲り批判する者もいるらしいが、彼女は特に反撃する訳でもなく、じっと息を潜めているとの事だった。

「失礼します」

 奥の間のドアが開き、一人の若い女性と長身の男性が姿を現せた。

「ああ、皆さんに紹介します。彼女は閏間、私の弟子だ。その後ろの青年は不動産業を営んでいる千歳さんだ。」

「閏間祥子と申します」

 幸甚の紹介を受けて、閏間は深々と頭を下げた。長いしなやかな髪が静かに流れる。白いブラウスにグレーのミニスカートと、一見地味な装いだが、その容姿は四方達に引けを取らない美貌の持ち主だった。

「千歳不動産の千歳登也と申します。主に事故物件を専門に取り扱わせていただいておりますので、御用命がございましたらどうぞお気軽にご連絡ください」

 千歳はそう言うと、名刺を四方達に配り始めた。紺の上下のスーツにノーネクタイ。きらきらと輝く少年の様な瞳が印象的な、清潔感の溢れる好青年だ。

「心的瑕疵物件のお祓い絡みの依頼が最近多くてね。閏間さんは土地の浄化に長けた能力をもっているから、彼女に任せっぱなしなんだ。依頼はもっぱら千歳さんが紹介してくれる」

 幸甚はうれしそうに目を細めて二人を見た。

「先生、物件の下調べに行って参ります」

「ああ、頼むね」

 閏間が一礼すると、千歳もそれに従い、会釈をする。

 二人の姿が事務所から退出するのを見届けると、幸甚の顔に暗い影が落ちる。

「二人はいない方がいい。何が起きるか分からんからな」

 幸甚は頬を強張らせながら呟いた。

「何か、感じるものがあるんですか? 」

 四方が身を乗り出す

「あいつらはろくでもない奴らばかりだったが・・・あの死に様は酷過ぎる」

 静かに語る彼の顔に、怒りの形相が宿る。

「私の調べでは、彼らに共通する点がいくつかあります。衣川さんから呪いの訴状の相談を受けている点、その後、依頼を受けた者にも呪いの訴状が届く点、そしてもう一つ、何かしらのトラブルを抱えている点ですね」

「俺もみんな当てはまるんだよな。特にトラブルなんざしょっちゅうだよ。元々アンチの立場にいた者が、今やその世界でふんぞり返ってんだから。まあ、同業者もそうだけど、ライターの連中だって面白くないって思ってる奴はごろごろいるもの。なあ、巧ちゃん」

 四方の説明に聞き入っていた幸甚が、苦笑いを浮かべながら言葉を綴った。

「師匠、俺はそんなことないですよ。懐具合はうらやましいけど」

 すかさず宇古陀が豪快に笑いとばす。

「凪ちゃんは今の所無事なの? 」

 幸甚が心配そうに四方に尋ねる。

「はい、今の所は。私の張った結界の中で生活してくれていますから」

「そうか・・・有難うございます。彼女も私の弟子でね。素直ないい娘だったんだが・・・」

 幸甚は苦悶ともとれる複雑な表情を浮かべた。

「彼女と何かあったんですか? 」

 四方がさり気なく彼に問い掛けた。

「まあ、本人というより、彼女のマネージャーとね」

「アイドル時代のマネージャーだったって方ですか? 」

「そう。成沢多恵って奴な。歳は凪ちゃんより三つ上と言う事もあってか、彼女にとっては頼れるお姉さんみたいな存在なんだろうな。分からんでもないが・・・ただ、恐ろしく金に汚いのが許せんのよ」 

 幸甚は露骨なまでに嫌悪の表情を浮かべた。

「四方さん達も、凪ちゃんに会った時にパワーストーンを勧められなかったかい? 」

「勧められました。買いませんでしたけど」

「無茶苦茶な値段だったろ? あれをやり始めたのが成沢なんだ。凪ちゃんのパワーを込めれば百万出しても安い位だけど、多くの人を救うために価格は安く抑えましょうなんて言いながら、二、三十万で売りつけるんだ。あの石、実際に卸している連中から聞いたんだけど、他じゃ三千円くらいで売られている代物らしい」

「ぼったくり過ぎですね」

 四方が呆れ顔で吐息をついた。

「凪ちゃんは成沢の口車に載せられて、自分は人の為になる事をしているんだと思い込んでいるし、また困った事にそんなたっけえやつを喜んで買う馬鹿がいるからどうしようもない」

 幸甚が忌々し気に吐き捨てた。

「はっきり言って詐欺ですね。あのパワーストーンには何の力も宿ってませんから。弱小の低級霊ですら祓えませんもの」

「その通りさ。四方さんなら一目で分かるわな」

 幸甚は表情を綻ばせると何度も頷いた。

「そもそも凪ちゃんには霊視や祓う力なんざないんだから。タロットカードはそこそこの素質はあるだがな。成沢が霊能師アイドルとして売り出そうとして無茶な仕事まで取って来るからこうなった。そのうち、訴訟問題になったらやばいと思って成沢を交えて話をしたんだが、口論になっちまってそれっきりだ」

「確かに、凪ちゃんのやることはどうも胡散臭い。彼女が一躍有名になった廃病院の一件も、本当は四方ちゃんがぶっ壊したんだから」

 宇古陀が不満気にぼやく。

「ああ、あの廃病院の件か。凪ちゃんがお祓いをした翌日に何故か崩壊してたってやつか。やっぱりな・・・おかしいと思ったんだ」

 幸甚は腑に落ちたような表情を浮かべた。

「まあ、手加減はしたんですが・・・」

 四方が気まずそうに呟く。

「話題造りの為にこっそり書いた嫌でも雇ったのかと思っていたよ。そう言う事か」

「その話、宇古陀から聞いた時は驚くというより呆れたな。四方が放っておけっていうから、私も大人しくしていたが」

 つぐみは四方の対処に納得していないのか、宇古陀同様不満気に口元を歪めた。

「私は目立ちたくなかったから、丁度良かったと思ってはいましたね」

 不満たらたらの二人とは対照的に、当事者の四方は涼し気な表情で笑みを浮かべた。

「四方さんは人間が出来ているねえ。感心するよ」

 幸甚が大口を上げて笑う――と、不意に口を閉ざした。

「四方さん」

 幸甚が一転して真顔で四方を見つめた。

「来ましたね」

 四方が椅子から立ち上がる。

「宇古陀、そこを動くな。四方の式神が守ってくれる」

 つぐみが宇古陀に声を掛ける。

「お、おう」

 宇古陀は緊張した面持ちで相槌を打った。宇古陀の周りには、いつの間にか無数の人形ヒトガタが円陣を組んで宇古陀を取り囲んでいた。

「一ヶ所だけ、結界を緩めておいた箇所がある。恐らくそこから奴は来るな。場所は――ほう、言わぬとも二人とも分かっておるのか」

 幸甚はにやりと笑みを浮かべた。

 四方とつぐみは、既にある方向に視線を注いでいた。幸甚が座る椅子の、背後の空間に。






 

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