第11章 伝播
「呪いの訴状って、これの事かしら」
喪服を彷彿させる黒いワンピース姿の女性が、テーブルの上に和紙の半紙を置いた。
和紙には、毛筆で書かれた『呪』の一文字が、異様な存在感を誇っていた。
衣川や怪死した霊能師達の基に送られてきたものと同じだった。
「そうです。咲間さんの所にも届いていたんですね」
四方が興味深げに頷いた。
心霊写真の除霊で有名な祈祷師、咲間凪の事務所兼祈祷所に、四方とつぐみ、そして宇古陀の姿があった。
今回もまた宇古陀のアテンドではあったものの、会話は四方に集中していた。咲間の関心が、何故か四方だけに向けられていたのだ。
四方達が通されたのは、事務所横の応接室。祈祷所は別室らしく、ここは事前に打ち合わせをする控室として使用している様だ。
「玉水ら名の知れた霊能師が次々に怪死を遂げている話はご存じですか? 」
四方は彼女に語り掛けた。
「知っていますよ。私達の界隈じゃあ、ちょっとした話題になってる。きっかけが、どうやらこの『呪』の訴状から始まっているという噂が広がって、同業者達は戦々恐々としているわ」
彼女――咲間凪は呆れた素振りで言い放った。壁から調度品から白色尽くめの部屋の中で、全身黒装束の彼女は異質な存在だった。
衣裳だけでなく、長く伸ばした髪も漆黒で艶やかな輝きを放っている。但し、それとは対照的に、肌は透明感のある白さで、眼には神秘的な奥深い輝きを宿していた。
年齢は公表していない。落ち着いた物腰と口調からはもっと人生経験を重ねた年代のように見受けられるが、容姿から察するに、恐らくは二十代後半から三十代前半と言ったところか。
「咲間さんは、不安じゃないんですか? 」
四方は口元に笑みを浮かべながら凪を見つめた。
「不安? ないわよ。 こんな紙っぺら一枚くらいで」
「喜邑さんはかなり動揺していましたよ」
四方がそう言うと、凪はふんと鼻で笑った。
「あいつは何にも分かってないし、元々才能もスピリチュアルな力も何も無いから、呪詛が込められていないただの紙でビビっていたのよ。あいつが人より秀でているのは、強いて言えばベッドの上くらいなものよ」
凪はけらけらと声を上げて笑った。
「ベッドの上、ですか。よくご存じで」
四方は眉を顰めると苦笑を浮かべた。
「ところで、衣川さんの依頼はまだ受けられているのですか? 」
「いいえ。向こうから断って来たのよ」
「断って来たんですか? 」
「そうよ。お祓いした後に、御守りにとパワースト―ンをお勧めしたら、突然怒りだりて」
「それって、どんなパワーストーン何です? 」
四方が興味津々に尋ねると、凪はその一言を待っていたかのように気持ち悪い笑みを浮かべた。
「これよ」
凪が両腕を四方の前に突き出した。彼女の腕には、無数のパワースト―ンで彩られたブレスレッドが幾つも掛けられていた。
「紫水晶をベースに、何種類かのパワーストーンを組み込んだ私のオリジナルよ。私が常に身に着けているから、霊力もしっかり宿っているし、これを身に着けていれば悪霊なんか近寄ることも出来ないからね」
「へええ。何だか腕が重そうですね」
四方は引き気味に素直な感想を紡いだ。
「宇古陀さんの話だと、四方さんはスピリチュアルな依頼も受ける探偵さんなんでしょ? お守りに一つお持ちになってもいいかもよ」
「うーん、でもお高いんでしょ? 」
「石によりけりだけど、引き合いが多いのは三十八万のものかなあ」
「私の稼ぎじゃあ、ちょっと手が出ないですね」
四方は苦笑いを浮かべながら目を細めた。
「またまたあ。若くしてビルやカフェのオーナーをされているのに、そんな事は無いでしょ」
凪が更に熱い目線を四方に注ぐ。四方の紹介は宇古陀が事前にしたらしいのだが、どうやら彼女の関心はそこにあったらしい。
つまりは金蔓。
四方なら、旨く言いくるめば高価なパワーストーンを買うとでも思ったのだろうか。
残念ながら、眼の色を変えて話し掛ける凪を、終始冷ややかな目で見ていた四方に彼女は気付いていない。
欲に目が眩む余りに、相手の心情を把握する冷静さに欠如していたのだ。
「四方には不要だ。そなたなら分かるだろう」
つぐみが静かに凪に語り掛けた。
「ま、そうよね・・・」
凪はつぐみに諭され、言葉を濁した。
彼女は感じ取っているのだ。四方の身体から立ち昇る凄まじく清廉された神気の波動を。
金欲にまみれてはいるものの、喜邑とは違い、それなりの霊力は備え持ってはいるようだ。
「衣川さんには持っていてもらいたかったんだけど、値段を言ったら怒って帰っちゃったのよねえ。お金には困っていないはずなのに せこいと思わない? 」
凪は不服そうに呟いた。呆れた事に、彼女はぼったくろうとしている自分の行為に、少しも引け目を感じていないらしい。
ここまで独自の価値観を貫こうとするのは、ある意味見上げたものだった。
「咲間さん、因みにですが、結界は何重にも張った方が良いです。今のままですと簡単に突破されますよ」
四方が心配そうに渚に忠告する。
「いいのよ。返り討ちにするつもりだから」
「凄い自信ですね」
「まあね。それに、これで敵を仕留められれば、私の知名度爆上がりだもの」
彼女はけらけらと声を上げて笑った。
刹那、四方の眼が鋭利な輝きを放つ。
「来るっ! 」
四方が叫ぶ。
「えっ? 」
凪は怪訝な表情を浮かべる。
刹那、彼女の両腕のパワーストーンが飛び散る。
課っと眼を見開いた彼女の表情が硬く強張る。
彼女の頭部が前のめりに垂れると、そのままごろりとテーブル上に落ちた。
一閃の内に切断された彼女の首から、夥しい鮮血が自噴井の様に吹き出す。
「うわああああっ! 」
凪の血しぶきを顔にあびた宇古陀が、絶叫を上げながらソファーから転がり落ちる。
首を失った凪の背後には、巨大な黒い影が四方達を見下ろし、佇んでいた。
鬼だ。
喜邑の基に現れたものよりも、より実態化を成しており、筋肉の隆起や体毛の様子までもがはっきりとしている。
四方は右手を大きく薙いだ。
中空を舞う白い影――無数の
四方の背後から、俊敏な動きでつぐみが跳躍。
戸惑う鬼を彼女の鋭利な爪が襲う。
鬼は反撃する間すら与えられないうちに、体が真っ二つに裂ける。
強大な躯が左右に倒れながら、黒い灰と化して中空に呑み込まれていく。
「手ごたえはあった。でも、所詮使い魔。本命ではないな」
つぐみが淡々と呟く。
不意に、部屋のドアが開く。
「驚いたな、あれが鬼なんだ」
美久里は部屋に入るなり、驚愕に表情を強張らせながら四方に話し掛けた。その後ろに宇古陀が、そしてその後ろには血の気の失せた顔で部屋の惨状を食い入るように見つめる凪の姿があった。
「俺、無事だったみたいだな」
床に昏倒したままの自分を、宇古陀はうれしそうに眺めた。
「戻っていいよ、ありがとう」
四方はそう呟くと、陰を結び、呪詛を紡いだ。
ソファーの上の骸と化した凪と床に横たわったままの宇古陀の身体が無数の
乾いた無機質な音が、ソファーの上で響く。
無数のパワーストーンがソファーの上に堆く積み重なっている。四方の式神が成りすましていた凪の両腕に掛けられていたものだ。
「鬼に気取られない様にと、咲間さんの気が込められたパワーストーンを使わせてもらったのですが、うまく騙されてくれたようです」
四方は満足げにそう言った。
「囮作戦は成功と言えば成功だったな。倒したのは使い魔レベルだが、主が目的を成したと勘違いしてくれるかもしれん」
つぐみが鬼の消えた中空をじっと睨みつけた。
「私の・・・パワーストーンの力が、効かなかった・・・」
凪が、床に崩れ落ちた。
ソファーの上に転がるパワーストーンを、彼女は震える眼で凝視した。
「殺される…このままじゃ殺される」
凪は視線を不規則に泳がせながら、熱病に魘されたかのように譫言を繰り返す。
無造作に開いた彼女の膝と膝の間から、黒々と染みが広がっていく。
「この部屋の結界は私が張り直しておきますから。しばらくは外出を控えて下さい」
四方の手から四柱の式神が飛び出し、四散すると消えた。
「四方さん・・・」
凪が重い口を開く。
「ここに残って、私を守ってくれませんか? 」
凪は大粒の涙を流しながら四方に懇願した。
「残念ですが、それは出来ません。あと一人、命を狙われている方がいますので。その方の安全を確保出来たら、再び参ります」
四方は落ち着いた口調で凪を諭した。
「有難うございます」
凪はしおらしくそう答えると、四方に手を合わせて頭を垂れた。
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