第15章 事変

「四方ちゃん、どう思う? 閏間の証言」

 宇古陀が車のハンドルを握りながら四方に話し掛ける。

「まあ、予想通りですよね」

 四方はそう言うと、ゆっくりと頷いた。

 閏間が震える声で語ったのはこうだった。

 突然、黒い影が現れ、鬼の形状を成すと、瞬時にして成沢と千歳の衣服を引き裂いた。

 愕然としたまま立ち竦む二人を、鬼は両腕で抱きしめる様に締め付ける。

 二人の顔は、見る見る間にうっ血して紫色に変色し、やがて肋骨が砕ける無機質な音が響く。

 二人は苦悶に身悶えしながら絶叫し、挙句の果てには床に糞尿を撒き散らすと、その上に倒れ、息絶えた。

 鬼は二人の躯には目もくれず、ゆっくりと閏間に近付いた。 


 殺される。


 底知れぬ恐怖が閏間を精神を打ちのめす。極度の緊張が彼女の自律神経に楔を打ち据え、自制を失った尿道口から恥辱が音を立てて迸る――彼女の記憶はここまでだった。

 鬼は主犯のみに裁きを下し、彼女には恐怖を植え付けただけで消え失せたという。

「敵もなかなか狡猾ですよね。幸甚さんが狙われていると見せかけて私達の注意を引き付けている間に、いとも簡単に本命を仕留めたのですから」

 四方は吐息をつくと、シートに深々と身を沈めた。

「呪詛を紡ぐものの狙いは何なんだ・・・」

 四方の隣で、つぐみが不満気に腕を組む。残念ながら彼女は助手席ではない。事あるごとに太腿をチラ見する宇古陀に、『わき見運転ばかりしていると事故るぞ』と釘を刺し、そそくさと後部シートに乗り込んだのだ。

 因みに幸甚は現場に残った。落ち着きを取り戻した閏間の事情聴取が署で行われるというので、付き添っていくことにしたのだ。

「今回の事件、不思議と思う事が多々あるんだよね」

「どんなところが・・・ぐえっ 」

 四方の呟きに振り向きかけた宇古陀の頬に、つぐみに鉄拳が食い込む。

「わき見はするなと言ったろっ! 」

 つぐみが怒りの三角目で宇古陀をどやしつけた。

「あ、ごめん」

 宇古陀は何故か嬉しそうな笑みを浮かべながら、慌てて前を向いた。

「呪いの訴状をさ一緒に受け取った者には、危害が及んでいないんです。まあ、相談した相手が悉く不幸にはなっていますけど」

 四方は腕組みをしながら首を傾げた。

「うーん、確かに」

 宇古陀が唸る様に呟く。

「そうなると、我々も排除のターゲットかも知れんな」

 つぐみが面倒臭そうに言った。

「だね。呪いの訴状は送りつけられてはいないけど、可能性は十分にある」

「まじか・・・しばらく四方ちゃんとこに泊めてもらおうかな」

 宇古陀は心細そうに呟いた。

「断る」

 つぐみが即答で宇古陀に返す。

「宇古陀さんは大丈夫だと思うよ。恐らく、自分の目的を邪魔する者に絞って仕掛けて来るだろうから」

「本当? ――びえっ」

 宇古陀が振り返り、四方に問い掛けた刹那、再びつぐみの鉄拳が彼の鼻っ柱に食い込んだ。

「懲りない奴だな。少しは学習しろっ! 」

 つぐみが呆れた口調で宇古陀に吠えた。

「多分だけど、呪詛を紡いでいる者は術者じゃない。素人だね。やり方を誰から教わったのかは分からないけれど、技術や知識が無い分を己の情念だけで呪詛を仕掛けている」

「ひょっとして、魂を喰わせている? 」

 四方の言葉に、つぐみの眼が妖しい輝きを放つ。

「多分。だから、願いを達成する前に自分が消えない様、推し量りながら使い魔を生み出しているような気がする。恐らく、今回の一件では、かなり気を消耗したはずだから、インターバルを取るような気はするけどね」

 四方の言葉に、つぐみは黙ってに頷いた。

 車はオフィス街を抜け、商業施設の立ち並ぶ通りに出ると、小さな雑居ビルの前で止まった。

 平日とは言え、歩道を行き交う人影に絶え間は無く、すぐそばのカフェも、ウインドーから見る限りはほぼ満席の盛況ぶりだった。

「着いたよ。お疲れ様」

 宇古陀が、四方達に声を掛ける。

「有難うございます」

 四方は宇古陀に礼を言うと車から降りた。

「すまんな、宇古陀。珈琲でも飲んでいくか? 」

 つぐみが珍しく宇古陀に優しい声を掛けた。

「有難う、つぐみちゃん。でも今日はいいや」

 宇古陀は嬉しそうに笑みを浮かべながらも、これまた珍しくつぐみの申し出に断りを入れた。

 四方とつぐみは宇古陀の車が立ち去るのを見送ると、事務所のある雑居ビルへと向かった。

「つぐみ」

 四方が、そっとつぐみに囁く。

「ああ」

 つぐみの眼に、鋭い刃の様な眼光が宿る。

「思ったより、インターバルが短かったね」

 四方は周囲に目を向けた。

「だな」

 つぐみは頷くと、静かに拳を固めた。

 街は、静寂に沈んでいた。

 先程まで歩道に影を落としていた雑踏や、カフェに溢れていた人影が、一瞬にして消え去っていた。

 じっとりと湿った風が、二人の身体の間を擦り抜けていく。

 つんと鼻を突く酸味と硫黄が入り混じった様な異臭が、四方達の体に纏わり付く。

 不意に。

 二人が左右に跳ぶ。

 刹那、黒い影が音も無く二人がいた場所に降り立った。

 こめかみから捻じれながら天を突く鼈甲色の二本の角。唇からはみ出した白い犬歯。発達した筋肉で覆われた体躯は、漆黒の剛毛で覆われている。

 鬼だ。

 二人を切り裂いたはずの奴の爪は、アスファルトの路面を大きく抉っていた。

 鬼は悔しそうに顔を上げると口から泡を吹きながら四方をねめつける。

 次の瞬間、つぐみの回し蹴りが背後から鬼の首を捉える――寸前。

 鬼は、つぐみの右足首を掴むとそのまま上空に放り投げた。

 つぐみの身体は隣接する十階建ての雑居ビルを優に凌ぐ高さまで達すると、緩やかに自由落下し始める。

 彼女は中空で器用に身を反転させると、音一つ立てる事無く着地した。

 つぐみの右足首は、鬼の爪が食い込み引き裂いた傷が痛々しく口を開け、夥しい鮮血が溢れ出ている。が、見る見るうちに血の流失は止まり、裂傷部は断裂部分が融合して跡形も無く消えていく。 

 鬼は驚愕ともとれる奇異の視線をつぐみに向けた。

 その一瞬の隙を四方は逃さない。

 四方が解き放った式神が鬼の身体と交差する。

 鬼の首が、胴が、腕が、次々にずり落ちる。

 頭と四肢を切断された鬼は、為す術も無く地に伏した。

「やったか」

 つぐみが安堵の表情を浮かべる。

「いや、まだの様だよ」

 四方は呟くと、緊張した面持ちで周囲を見渡した。

 禍々しい瘴気があちらこちらの建物の陰で蠢き、四方とつぐみの様子を伺っていた。

「ホームグランドだと、使い魔も際限なく呼べるようだね」

 四方は忌々しげに呟いた。

「こそこそしないで、出てきやがれっ! 」

 つぐみの怒りに震える咆哮が響き渡る。

 まるでそれに応えるかのように、物陰で息を潜めていた瘴気が次々に鬼の姿へと変化した。

「ふん。馬鹿正直にも程がある」

 つぐみはひとくさり吐き捨てると、実体化を遂げた鬼どもに怒りの気迫をぶつける。

 鬼達は一瞬動揺したものの、次の瞬間、一斉にも御陰から飛び出すと二人に襲いかかった。

 四方の手から無数の人形ヒトガタが舞い散る。

 彼女が放った式神は燕の様に高速飛行し、鬼達の身体と交差する。 

 鬼達の身体は瞬時に四肢がばらばらに転がった。

 進軍を止め、狼狽する鬼達。

 だがそんな奴らを見逃す程、つぐみは甘くない。

 轟。

 凄まじい風音と共に、猛禽類の嘴の様なつぐみの鋭い爪が鬼達を裂く。

 鬼達の眼でしても、彼女の動きを捉える事は出来ない。

 至近距離に迫る彼女の存在に気付いた時には、鬼達は反撃の思考が四肢に伝わることなく肉塊と化していた。

 僅か数分の内に、四方とつぐみの周りは足の踏み場もない程に鬼の躯で埋め尽くされていた。

「いくらホームグランドとは言え、パワーアップする訳ではないようだね」

 四方は、何処か哀れみともとれる表情で、累々と重なる鬼の躯を見据えた。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる的な考えか・・・それにしても手ごたえが無さすぎだ」

 つぐみは眉を顰めた。彼女のその表情には、目の当たりしている現実が、何やら不可解に感じる訝し気な思いが刻まれていた。

 不意に、鬼が動いた。

 復活して立ち上がったのではない。ばらばらになった四肢が小刻みに打ち震えると、眼に見えぬ力に引き寄せられるかの様に、筋肉と皮膚を器用に波打たせながら、摺り摺りと路面を移動し始めた。

 その異様な動きに、四方達は目に闘気を湛え乍ら、しなやかな動きで間合いを取る。

 二人は感じ取っていた。

 骸と化した鬼達のなれの果てに悍ましい嫌悪と憎悪が渦巻き、底知れぬ殺意に満ちた慟哭の咆哮を奏でているのを。

 鬼達は融合していた。肉塊は元の部位の形状を失い、黒色の汚泥と化すと接触した他の肉塊を呑み込み、一つの塊となっていく。

 まるで失敗した粘土細工の人形を達を、再び集めてこね直すかのように、集結した残骸は融合し合いながら、次第に不気味なモニュメントを形成し始めた。

 全ての鬼の残骸が周家とすると、それは更に変貌を遂げ、巨大な人型を成していく。

 否、人ではない。

 鬼だ。

 鬼はゆっくりと体を起こし、立ち上がると、四方達を見据えた。

 でかい。

 鬼の頭はすぐそばの雑居ビルを優に越し、脚は二車線の道を片足一つで封鎖している。

「これが本命って訳か」

 四方が鬼を凝視する。

「だな」

 つぐみは頷くと、生唾をごくりと嚥下した。

 鬼の身体からは、今までの輩とは比べ物にならない程の禍々しい瘴気が強烈に発せられていた。常人ならば、間違いなく近寄るだけで命を刈り取られてしまうだろう。

 四方は呪詛を紡ぐと、右手で大きく十字を切った。

 四柱の式神が、白い残像を描きながら中空を滑る様に舞う。

 鬼は無造作に右手を薙ぐ。

 そして、握りしめた拳をゆっくりと開いた。

 掌から、くしゃくしゃに握り潰された式神がひらひらと落下した。

「くっ・・・」

 四方は悔しそうに表情を歪めながら、再び呪詛を紡いだ。

 刹那、鬼が右手を振り、面倒臭そうに裏拳で四方をぶっ飛ばした。

 四方の身体は大きく空を舞い、遥か後方の路面に容赦なく叩きつけられた。

「四方っ! 」

 駆け寄ろうとするつぐみを、背後から鬼の左拳が襲う。

 つぐみは即座に反応し、大きく反転しながらそれを躱す。

 が、干ばつを入れず、鬼の右拳はつぐみを正面から捉えていた。

 つぐみの身体が、弾丸の様に空を飛び、後方の雑居ビルに激突した。

 ビルの中腹の外壁に無数の亀裂が走る。

 壁からずり落ち、路面に転がったつぐみの上空を黒い影が過ぎる。

 鬼だ。

 つぐみは血置けると大きく跳躍し、漸く立ち上がった四方の足元の転がり込む。

 同時に、上空を舞った鬼が地に舞い降りると、つい先程までつぐみがいた路面を足で踏みつけた。

 体がでかい割には、動きは驚く程敏捷だ。

 鬼は振り向くと、方向転換し、大きく跳躍。

 猛スピードで四方達との間合いを詰める。

 刹那。

 四方とつぐみの足元に白いものが二体、突如として姿を見せた。

 手だ。手が、路面からにょっきりと生えていた。

 その手は四方とつぐみの足首を掴むと、一気に地中へ引っ張り込む。

 鬼の脚が二人を襲う――より速く。

 二人の姿は地面の中に消えていた。

 



 



 





 




 

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