第16章 帰還
四方は、ゆっくりと瞼を開いた。長い睫毛が気だるげな軌道を描き、彼女の視界に光を呼び戻す。
「四方、大丈夫か? 」
つぐみが心配そうに四方を覗き込む。
「有難う。流石にちょっとヤバかった」
四方は口元に笑みを浮かべる余裕を見せたが、その表情は彼女には珍しく疲労困憊の翳りを湛えている。
「こっちに戻した式神もへろへろになってたよ。もう四方ちゃんの中に戻って行ったけど」
上下黒のシャツとスラックス姿の青年が、眼を細めながら四方に話し掛ける。
「平ちゃん、有難う。思ってたより手ごわかったからな」
四方は上体を起こすと、その青年――平城に頭を下げた。
彼女は、公園の東屋のベンチに横たわっていた。
公園は、高層マンションの吹き抜けを利用して作られたもので、東屋はその公園の中央に立てられていた。
吹き抜けと言っても、結構広く、野球場位の敷地面積を有している。その周囲を取り囲む様にマンションが連なり、五角形の布陣を敷いているのだ。
不思議な造りのマンションだった。
だが、この不思議な造りは風水や方位学に基づき成し得たもので、決して新興設計士の奇抜な独創性が生んだものではなかった。
平城は新鋭の若手作家で、このマンションの住民であり、四方とは同郷の関係にあった。
彼はその人脈の広さから、四方から仕事の協力依頼を受ける事が多々あった。因みに、それ以外のスペックを頼られることも多いのだが。
「四方さんが手こずる程の相手がいるとは驚きですね」
平城の隣で佇む、濃紺のスーツ姿の青年が、感慨深げに呟く。
「南雲さん、私とて無敵な訳じゃないですからね」
四方が苦笑いを浮かべながら、その青年――南雲を見つめた。
「最近、次元の歪があちらこちらで起きていたのは、その鬼の仕業だったんですね」
南雲が納得したように頷く。
彼はこのマンションを管理する不動産屋の社員で、平城は勿論の事、四方とも親交が深い。
それには、彼自身の特殊能力と、このマンションの特異性が関係していた。
このマンションには、不思議な裏の顔があった。
至る所に異世界への扉が隠されているのだ。
普段、自然に開錠される事は無いのだが、必要に応じて開錠される仕組みになっている。
ストーカー被害で命の危険に晒されている者や、事件を目撃したばかりに犯人から付け狙われている者を一時的に座標の近い異世界に匿ったり、反対に加害者を異世界に葬ったりするのだ。
南雲には、その異世界への扉を開閉する能力があった。入居者の事情により、時には部屋のドアそのものと直結するらしいのだが、多くの場合、通路に対象者しか見えないドアを作るのだという。こちらの世界との関係を保ちつつ、異世界で就業する者や、異世界を経由して人知れずこちらの世界の学校や職場に通う者もいるからだ。
でも、周囲に悟られずに異世界からこちらの世界に合流できる仕組みはどうなっているのか不思議だが、南雲曰くそれについては企業秘密らしい。
「四方さんも厄介な代物を相手にする羽目になったんですね」
南雲が切なげに呟く。
「と、言いますと? 」
四方が南雲に問い掛けた。
「四方さん達が――と言うより、式神が取り込まれた異世界は、普通の異世界じゃないです」
「それは、どういう意味ですか? 」
「鬼の思念そのものです」
「鬼の・・・思念? 」
「ええ。想念の層が凄まじく厚くて、ここを使っても平城ですら手までしか入れなかったですから」
南雲はそう言うと、重い吐息をついた。
異世界との連結を行う中で、最も強力な力場なのが、ここ――公園の東屋だった。
「でも、式神を飛ばしたのは正解でした。本体が取り込まれていたら、どうなっていたか」
南雲は目を細め、安堵の表情を浮かべた。
話を少し前に戻そう。
宇古陀に車で事務所のある雑居ビルまで送って貰った四方達だった。が、降りる寸前、四方は待ち受ける畏怖の存在に気付き、自分とつぐみそっくりの式神を変わりに降車させた。
刹那、二柱の式神は掻き消すように消え、異世界に取り込まれてしまう。
四方は宇古陀に頼んで、平木の住むマンションへ向かった。
途中、四方は意識を失い、マンションに着くや否や待機していた南雲と平木とともにつぐみにお姫様だっこされてここまでやって来たのだ。
宇古陀は東屋の外から心配そうに中を伺っている。
常人には危険だからと、少し離れている様に南雲に言われたのだ。
「宇古陀さん、もう大丈夫ですよ」
南雲が、宇古陀に声を掛けた。
「本当? 」
宇古陀は南雲に問い返すと恐る恐る東屋に足を踏み入れた。
「宇古陀さん、有難う御座いました」
四方は笑みを浮かべると宇古陀に礼を述べた。
「あ、いやあ、俺、大したことはやってないし・・・それより、大丈夫? 」
宇古陀が心配そうに四方を見つめた。
「ええ、大丈夫ですよ」
「一応、着替え有るけど・・・つぐみちゃん用の」
「大丈夫ですよ? 」
四方がきょとんとした表情で宇古陀を見た。
「宇古陀、さっき着替えは閏間に貸しただろ? 」
つぐみが訝し気に宇古陀を睨みつける。
「大丈夫、余分にあと二着常備している――ぐべっ! 」
得意気に答える宇古陀に、つぐみの正拳がとんだ。
「あの、俺、気付いたんだけど」
宇古陀がしょっていたリュックに中をごそごそとあさり始めた。
「宇古陀さん、回復早いですね」
つぐみの一撃を受けても平然としている宇古陀に、平城が驚きの声を上げた。
「ああ、もう慣れてるからね」
問題発言ともとれる台詞を紡ぐと、宇古陀はにやりと笑った。
「これなんだけど」
宇古陀は徐に折りたたんだ印刷物を取り出すと、四方達の前に広げた。
ウェブから引用した地図をプリントアウトしたものに、赤色のボールペンで何箇所か印がつけてある。
「この赤丸は、最近立て続けに起きている例の殺人事件の現場。これ、このマンションの敷地に似ていない? 」
宇古陀が四方に問い掛ける。
「確かに」
「更にそれぞれを対角線で結ぶとこうなる」
宇古陀は地図に赤ペンで線を書き入れた。
「五芒星・・・」
つぐみが呻くように呟いた。
「因みに、このど真ん中が、今度のイベント会場になっている」
宇古陀の説明に、皆、言葉を失っていた。
「南雲・・・」
「ああ・・・」
平城と南雲が顔を見合わせる。
「皆さん、ちょっと私の部屋に来ていただけませんか」
平城が神妙な面落ちで四方達を見渡した。
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