第31章 激渦

 黒い影が動く。

 地を這う様な低い唸り声を上げながら、鬼達が一斉に丘陵を駆け下りた。

 四方の両サイドに二つの影が降り立つ。

 つぐみと石動だ。

「四方、先に参るぞ」

 つぐみは四方にそう囁くと、石動に目配せをした。

 にやりと不敵な笑みを浮かべる石動。

 二人は大きく跳躍した。黒い影が中空を舞い、同時に、衣服が抜け殻の様に地に落ちた。

 四方の前に、二体の獣が降り立った。虎の様な体躯と四肢。胴は褐色の毛で覆われ、鞭の様なしなやかな尾が真っ直ぐ伸びている。だが顔は、その風貌に反して極めて人間に近い。

 鵺だ。

 つぐみと石動の本来の姿だった。

 二人は咆哮を上げ、鬼の群れに威嚇した。

 刹那、彼らの身体から凄まじい雷光が迸り、迫り来る鬼を一気に吹っ飛ばした。

 一瞬、怯む鬼達。だが再び立ち上がると、四方達に襲いかかる。

 刹那、閃光が奴らを過ぎり、その身体と四肢が瞬時にして寸断された。

 つぐみと石動の爪と牙が、鬼達の身体を容赦なく切り裂いて行く。

 だが、多勢に無勢だ。二人の攻撃をかいくぐった鬼達が、四方達に襲いかかる。

 四方は落ち着き払った仕草で呪詛を紡ぐと、大きく手を薙いだ。

 同時に、無数の小さな白い人形が中空を舞う。

 四方の放った式神が鬼と接触。

 同時に、鬼達の身体が塵と化して四散。鬼達は慄き、四方達への攻撃に二の足を踏み始めた。

 四方を避け、後方支援の者にターゲットを変える鬼達。

 夏音は指先で空に呪詛を綴る。空に綴られた文字は、黒々と実体化し、中空にその軌跡を刻んでいく。

 夏音は更に呪詛を紡ぐと、早九字を切った。

 呪詛が左右に増殖。迫り来る鬼と対峙する。

 鬼達は呪詛には目もくれず、夏音に飛び掛かる。

 が、呪詛に触れた刹那、鬼達は瞬時に燃え上がり、灰と化した。

「夏音さん、凄いですね」

 南雲が感心した面持ちで夏音を見つめた。

「四方さんに比べたら、大したことないです」

 夏音が照れながらも嬉しそうに答えた。

 鬼達は見ていた。

 南雲が自分達から目線を切っているだけでなく、隙だらけである事を。

 四方達の快進撃に油断していると見て取ったのか、無防備に佇む南雲に、南雲が殺到する。

 鬼達が勝ち誇った笑みを浮かべながら、鋭い爪を南雲の顔に突き立てようと――刹那。

 鬼達は跡形も無く消え去った。

「掛かったな。名付けて鬼人ホイホイ」

 南雲が腰に手をあて大威張りのポーズで鬼達を見据えた。

「南雲さん、凄い・・・鬼達は何処に行っちゃったの? 」

「地獄の門前まで。知り合いの獄卒には話をつけてあるんで、そのまま閻魔様の前に連行されるでしょうね」

 南雲は平然とした表情でとんでもないことを口走る。

 だが鬼達にとっては、畏怖を駆り立てる呪詛に相当したらしい。

 閻魔様の名を聞いた鬼達が急遽狼狽え始めた。

 突然、鬼達が中空に舞う。

 自力で飛んだのではない。

 皆、体をくの字に折り曲げ、悶絶しながら吹っ飛んでいた。

 鴨川の体技だった。

 慌てて反撃に出る鬼達も、鴨川の身体から発する闘気に呑まれ、瞬時にして闘争本能が萎えていく。

 鬼の思考が明らかに闘争から逃走へと変貌を遂げていく。

 だが、鴨川の拳は、狼狽える鬼達を容赦なく吹っ飛ばしていく。

 鬼達は動揺した。

 自分達の力を遥かに凌ぐ人間の存在に。

 同時に、奴らは悟った。

 この丘から、決して動けない事実に。

 紗代と陽花里、それに祥子、幸甚夫婦と玄信夫婦の七人が築く結界が、彼らを完全にこの空間に押しとどめているのだ。

 鬼達は次々に倒されていく仲間達を目の当たりにしながら、突破口を探していた。

 戦いを好転させるのではなく、逃げる為のだ。

 この空間から逃げ出せば、非力な人間達が沢山いる場所に辿り着ける。人を狩り、生気を腹いっぱい啜れば、目の前の人間達に勝てるかもしれぬ――奴らは、浅はかにもその結論を導き出すと、攻め込むのに最も期待できる所を品定めする。

 答えはすぐに出た。 

 中年の男と女が守護するエリアが、最も狙い目だと。 

 鬼達は目配せすると、即座位に行動に移した。

「俺達が一番弱っちいと思いやがったな」

 突然、徒党を組んで迫り来る鬼達を見て、幸甚が苦笑いを浮かべた。

「香賀美、都喜美、来るぞ」

 玄信が、妻――香賀美と、その妹で幸甚の妻――都喜美に声を掛ける。

「なめられたものね」

「そうね」

 香賀美と都喜美が、ふらりと前に進む。 

 歓喜の雄叫びを上げながら突進する鬼達。

 が、不意に鬼達の前から二人の姿が消えた。

「鬼さんこちら」

「手のなる方へ」

 声のする方を眼で追った鬼達の表情が強張る。

 香賀美と都喜美は中空にいたのだ。

 巨大な龍の背に乗って。

 香賀美は黒龍の背に、都喜美は白龍の背に乗り、上空から鬼達を見下ろしていた。

「お前達、地獄にお帰り」

「我らが引導を渡してあげる」

 二柱の龍神が咆哮を上げる。

 刹那、凄まじい落雷が鬼達を貫いた。

 一瞬にして焼け焦げる仲間を目の当たりにして慌てふためく鬼達。 

 切羽詰まった鬼達が、苦し紛れに幸甚に襲いかかる。

「やれやれ。やっぱり守りだけって訳にはいかないわな」

 幸甚はひゅううと息を吐く。

 迫り来る鬼。

 刹那、鬼の腹部を銀輝が貫く。

 槍だった。

 幸甚の手に握られたそれは、鬼の背を貫き、どす黒い体液で白銀色の刃を穢していた。

 彼は一体どこに其れを隠し持っていたのか。

 いやそれよりも。

 鬼をじっと見据える彼の顔には、赤い炎を湛えた四つの眼が、怨嗟の輝きを放っていた。

 幸甚の隠されたもう一つの姿。

 彼は疫病を媒介する妖魔を狩る生き神――方相氏だった。

 迫り来る鬼の足を遥かに凌ぐ槍さばきで、奴らを次々に切り裂いて行く。

 思わぬ伏兵の存在に、鬼達の思考は停止した。

 闇雲に逃げ惑う余りに、玄信と祥子の張った結界に引っ掛かった鬼は瞬時に燃え上がり、灰と化していく。

 激戦が繰り広げられる中、平城は中空に幾つもビジョンを展開していた。

 丘を多方向から捉えた画像が、中空に浮かぶ。

 彼はつぶさに画面を確認しながら、一つずつビジョンを閉じていく。

 そして、最後の一つとなった時、平城は満足げな表情を浮かべた。

 彼は確信した。このビジョンの中に、奴らの生みの親が潜んでいる事に。

「四方ちゃん、奴は丘の頂上だ! 今、道を創る。陽花里ちゃん! 、鴨ちゃん! 」

 平城は陽花里と鴨川に声を掛けると、呪詛を唱えながら、左手の掌を前に突き出した。

 閃光が空を駆り、帯状になって真っ直ぐ中空を走る。

 平城の両サイドで、陽花里と鴨川がすかさず呪詛を紡ぐと、拳を前に突き出した。

 同時に迸る気の弾道。

 二人が放った凄まじい気の弾幕が、渦巻きながら平城の「道」に並走する。

 四方は跳躍すると、「道」の上に降り立った。

「道」彼女を乗せると、真っ直ぐにターゲット目掛けて丘を突き進む。

「道」に並走する気の弾幕は、四方の進撃を阻止しようとする鬼達を次々に弾き飛ばしていく。

 衣川は足元にまで到達した「道」を忌々し気に踏みつけ、気の弾幕を両掌で受け止めた。

「道」は一瞬にして砂の様に砕け散り、気の弾幕も両掌の中で四散した。

 衣川は、憤怒に顔を歪めながら、正面を睨みつけた。

 彼女の前には、静かな表情で佇む四方の姿があった。

「降参しますか? 私は仲間の御陰で力をほぼ手付けずの状態で温存しています。でも、あなたはかなりの力を消耗している。申し訳ありませんが、あなたに勝ち目はありませんよ」

 四方の放った言霊が、容赦なく衣川を追い詰める。

 だが、衣川は動じなかった。

 能面の様な表情で、じっと四方を凝視している。

「忘れたの? まだ終わっちゃいないのよ・・・風の祀りは、これからが本番なの」

 衣川は不可解な含み笑いを浮かべると、大きく息を吐いた。

  

 

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る