第30章 劫禍

 空気の流れが変わった。

 先程まで無風に近かった丘に、生暖かい風が吹き始めた。

 それはまるで獣の息のような生臭い不快な臭いを孕み、頂上から麓へと、丘陵の地表面をなめる様に流れていく。

「衣川さん、お疲れさまでした」

 四方が、闇に向かって声を掛けた。

「皆さんこそ、有難うございました。お陰様でイベントは大成功でした」

 闇の中から、衣川の声が粛々と響く。

「じゃあ、お約束通り、一億円を私の口座に振り込んでいただけますね」

 四方が、そう言った刹那、衣川の甲高い嘲笑が丘中に響いた。

「何がおかしいんですか? 私はジョークを言ったつもりは無いのですが」

 四方は衣川の奇態に動じることなく、淡々と彼女に語り掛けた。

「四方さん、残念だけど、まだ終わっていないのよ」

 衣川は申し訳なさそうに四方に答えた。

「終わっていない? 」

 四方は訝し気に衣川の声がする闇を凝視した。

「そう、本当のイベント――風の祀りがね」

 刹那、獣臭を孕んだ烈風が、四方達の間を駆け抜ける。

 ぞっとする異様な寒気を醸す禍々しい忌気が、丘の斜面を埋め尽くしていく。

「やっぱり、あなたの自作自演だったのですね」

 四方は静かに言葉を紡ぐと、大きく吐息をついた。

 その声に、怯えや焦燥の色は全く宿っていない。

 それどころか、目の前の呪師に対する哀れみすら感じられる悲し気な表情を浮かべている。

「いつから分かっていたの? 」

 衣川が感心した口振りで四方に問い掛けた。

「未央さんからあなたの捜索願を受けた時からです」

「最初からってこと? 」

「そうですね。最初はあくまでも推察でしたが、あなたにお会いして『呪いの訴状』を拝見した時に確信しました。あれには、あなたの念しか感じられませんでしたから。呪詛の効力はありませんでしたけどね」

「ふうん、分かってたんだ」

 四方の言葉に、衣川は驚きの声を上げた。

「一連の霊能師と関係者殺害もあなたの仕業ですよね。その前にも人を呪い殺していますし」

 四方が、淡々と衣川に話し掛ける。

「誰を? 」

「要を壊した重機の担当者と、工事を請け負った建設会社の家族です。あなたが最初に犯した罪はこちらですよね。玉水に依頼して呪詛をかけたのでしょ? 何故そのような事を」

 とぼける衣川に、四方はすかさず応酬した。

「祖父達の無謀な都市開発を阻止する為よ」

 衣川はぶっきらぼうに答えた。

「本当にそうですか? あなたは親族が開発計画にとん挫して失脚する事を狙ってはいませんでしたか? 」

 四方の抑揚の無い声が、夜気に静寂を齎した。

「そこまで調べたの。大当たりよ」

 衣川の声色が変った。今までの何処か人を食ったようなしゃべり方ではなく、苦悶に満ちた重苦しい声で、彼女は汚物の様な嫌悪の色を絡めながら吐き出した。

「あの人達はいつも私を除け者にした。どんなに掛け合っても、自分達の会社組織には私を入れなかった。頭にきて会社を創った時は、まるで縁の切れ目とばかりに資金は援助してくれたけど。経営の才能は私の方があるのに、あの爺共は寄ってたかって難癖付けて、私を主軸から遠ざけたのよ。馬鹿としか言いようがない」

「だからと言って、その為に罪にない人を死に追いやるなんて」

 四方の声のトーンが暗く沈む。

「罪の無い? 何処がよ。死んだ連中だって、爺が積んだ札束に目が眩んだだけじゃない。死んで当然よ」

 四方の同情が解せなかったのか、衣川が呆れたように言い放った。

「命を奪う必要は無かったでしょうに」

 四方は怒りに震えていた。落ち着き払った話し方とは言え、声には明らかに怒気を孕んでいた。

「あれくらいしないと、あの馬鹿どもは動揺しないから」

 そんな四方を気にも留めず、衣川は口汚くそう吐き捨てた。

「じゃあ玉水を殺したのは何故? 証拠隠滅の為? 」

「そうよ。あの女、依頼をネタに私を脅迫したの。噂を流して欲しく無かったら、お金と体をよこせってね。うっとおしいから死んでもらった」

「それを月姫萌花に頼んだんですね? 」

「そう。彼女には生霊を鬼化する術を教わったの」

「術を教わったにせよ、素人があれだけの魔物――鬼を生み出すのは凄いですね・・・」

 四方が溜息をついた。それは決して衣川の能力を賛美するのではなく、むしろ揶揄したものだった。だが、当の本人はそう捉えてはいないらしく、カラカラと甲高い笑声を上げた。

「私には才能があるの。普通の人とは違うのよ。それは月姫も言ってた」

「その鬼をつかって、月姫の口も封じましたね」

「そうよ。月姫は私が玉水を殺すとまでは思っていなかったみたい。急に怖気づいて私に説教し始めたから消したわ。その時、気が付いたのよ。鬼が人を殺す度に大きく強く成長している事に」

「それで、他の霊能師達も」

「そうよ。中にはエセもいたけど。でも、ただ闇雲に殺した訳じゃないのよ」

「と言うと? 」

「ここの丘の伝説を耳にしたのよ。それで、ここに封印された魔物を解放して喰らえば、最強の鬼になるかもってね。でも、どうやって封印を解けばいいか分からなかった。それで私なりに色々調べたの。そうしたら、ここって幾つもの龍脈が重なっている事に気付いたのよ。ひょっとしたら、これを何とかしたら、封印を解けるんじゃないかってね。偶然にも、玉水と月姫の死んだ場所は交差する龍脈上だったし」

 恐るべき事実だった。やはり、衣川は全てを計算の上で、事を進めていたのだ。それも、まるで場数を踏んだ霊能師並みの行動力で。

「それで、龍脈上の霊能師を? 」

「そう言う事。霊能師と言うより、悪事に手を染めている穢れを背負っている者どもをね。作戦は成功だったわ。今までの丘の爽快な雰囲気が一掃されて、どんよりとした暗い感じに変わったもの。あなた達がご丁寧にここを清浄化してくれたみたいだけど」

「残念ですが、龍脈は復帰しましたよ」

 四方は衣川にさり気なく釘を刺した。

「知ってるわ。御心配無く。ちゃんと楔を打ち据えてあるから。イベントで集まった人達の欲に塗れた気も十分過ぎる程取り込んだからね」

 衣川は少しも動じることなく、自身に満ちた声を張り上げた。

「さっきの祈りですか? 」

 四方が眉を顰める。

「まあね。日々訪れた人々の気も取り込んだし」

「もったいないですね。それだけの力がありながら。もっと違う使い方をすれば、あなたも救われたのに」

 四方が嘆きの言葉を綴る。

「救われた? 救われているわよ。十分な位。これであなた達を喰らってここに眠る『阿鼻』を取り込めば、私は最強の力を得ることが出来る。祖父の会社どころか、この日本を、世界を裏で操る影の支配者になれるかもしれない・・・最高よね」

 衣川は自分の言葉に酔いしれているようだった。自信に満ちた彼女の性格が、更に輪を掛けて独善的な思考に支配されていた。

 こうなると、恐らくはもう誰の忠告も聞こえなくなる。

「暴走し過ぎです。いい加減にしておかないと、取り返しが付かなくなる」

 四方は諦めず、切実な思いを衣川に訴えた。

「どう言う事よ」

 衣川が不機嫌に嘯く。

「あなた自身が、鬼に喰われてしまいますよ」

「それはないな」

 四方の必死の説得を嘲るかのように、衣川はとぼけた口調でかわした。

「どうして、そう言い切れるのです? 」

 四方がすかさず問い掛ける。

「私が、鬼だから」

 衣川は、にやりと口元に冷笑を浮かべた。

 同時に、闇が深紅の妖光に包まれる。

 妖光の中心に、黒尽くめの衣服を纏った衣川の姿があった。

 腕を組み、自信に満ちた表情で四方を見据えている。

 不意に彼女の身体が膨れ上がった。黒いブラウスとボタンが弾け飛び、黒いブラジャーがフロントから音を立てて引きちぎれる。同時に黒いスラックスとパンティーも引き裂かれるように破断した。

 一瞬、彼女の白い裸体が闇に浮かぶ。が、瞬時にしてそれは黒い体毛で覆われていく。 豊かな双丘は分厚い筋肉のそれになり、腹部には縦横に割れた筋肉の板がこれ見よがしに浮き出る。

 顔は元の彼女の顔だが、犬歯が異様に発達し、上唇からはみ出していた。

 眉間には大きくねじくれた日本の角が。

 衣川は鬼変していた。

 彼女が、鬼を喰らったのか。

 鬼が、彼女を喰らったのか。

 同時に、彼女を取り巻くように、丘の斜面に無数の黒い影が蠢き始めた。

 それは見る見る間に実体化し、丘陵を隙間なく埋め尽くしていく。

 分厚い筋肉が隆起する体躯は黒い剛毛に覆われ、闇夜でもその所在が見て取れる冷輝を放つ鋭い爪と牙を持ち、左右のこめかみには、猛禽類の嘴に似た角が天を突き上げている。体毛同様の黒い髪は、能面の様な顔を覆う程に長く伸び、腰ほどにまで達している。

 異形の「鬼」だ。

 風貌が一般的な鬼とは違うものの、全身から放たれている瘴気は尋常でなく、常人ならここにいるだけで立てなくなる程に気力を削がれるだろう。

 殺気を孕んだ体躯に加え、無表情ともとれる面相が、得体の知れぬ畏怖と戦慄を醸している。

「さあ、始めましょう。イベントの本当のフィナーレ――風の祀りを」

 衣川は、腕組みを解くと、右腕を高らかに上げ、振り下ろした。

 

 

 

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