第29章 闘諍

 花火が夜空を彩り、光り輝く蒼い花が丘を埋める。打ち上げられる花火に呼応し、花は深紅のバラや黄色いヒマワリ、緑がそよぐ草原へと次々に変貌を遂げていく。時には陽性がが飛び交い、時には土塊を押しのけて這い上がって来るゾンビに変わったりと、プロジェクションマッピングが成せる映像のアートは、上空を彩る花火以上に人々の心を鷲掴みにしていた。

「凄いな」

 目まぐるしく変化する天と地の情景を目の当たりにしながら、四方がしみじみ呟く。

 「ああ」

 つぐみは険しい表情で周囲を見渡しながら頷いた。

 メイン通路から風の丘へと向かうT字路に、二人は佇んでいた。

 鬼が最初に狙うのは、間違いなく四方とつぐみだ。

 四方の予想では、大勢の人々が風の丘周辺に集うフィナーレの前後が最も一騒動が起きるキーポイントとなっている。

 フィナーレ開始後も滞りなくプログラムが進んでおり、そうなれば終幕直後が次の山だ。

 出来れば、何事も起こらずに済むのが一番だった。

 龍脈が回復し、淀んでいた忌気が一掃された今、それを期待出来ない訳でもなかった。

 人込みの中には、相変わらず浮遊霊らしきものもいる事はいる。

 ただそれは、悪意を抱いているのではなく、興味本位でイベントを覗きに来ただけの、通りすがりの霊ちゃんレベルだった。

 以前、この丘に集結し、ふきだまっていた輩とは全く違う存在だ。恐らくはイベントが終われば人の流れに乗る形で会場を後にするだろう。

 やはり龍脈の復活は、鬼の気を封じるだけでなく、環境の清浄化にとっても極めて大きな出来事と言えた。

 でも。

 まだ安心は出来ない。

 今回の大舞台は、人の情念が大きく絡んでいる。

 そう簡単に収まりがつくものではなさそうだった。

 ただ、はっきり言える事が一つ。

 情念が孕む意志次第で、災いの覚醒のタイミングが大きく二つに分かれる。

 どちらを取るのかは、当人でしか分からない。

 ただ、最悪のパターンにはならない様、四方は布石を打っていた。

 結果、見事にその功を成しており、今のところ、その流れは四方が望んだ方向に舵を取られていた。

 だが、まだ油断は出来ない。

 それ故に、四方はこの三日間で念入りに計画を立てた。

 それには協力者の存在が必須だった。

 不思議な事に、協力者は自ら名乗り出て、ここに集結したのだ。

 まるで、運命の糸に手繰り寄せられるかの様に。

 人込みに紛れて所在は明らかでないものの、四方の仲間達は、皆、配置についている。

 鯛焼き屋は花火が始まれば客足も遠のくだろうと予想した上で、予め焼いたものを保温ケースに入れて対応する事にし、自分の催し物を終えた宇古陀に店番を頼んだ。

 宇古陀もフィナーレ後の大舞台に加わりたがっていたが、マジやばいからやめておけとつぐみに説得され、渋々店番で妥協する事となった。

 花火が終わりを告げ、闇に沈んだ夜空にぽっかりと巨大なハートが浮き上がる。

 夜の帳を漂う花火の煙に、プロジェクションマッピングでハートを描いたのだ。

 立体感のある、巨大なハートはショッキングピンクに彩られ、人々の眼を釘付けにした。


「祈りましょう。皆さんの想いを、このハートに託して」


 ナレーションが静かに流れる。

 未央の声だった。

 声には、この三日間、何事も起きずに無事終えることが出来た安堵感に満ちあふれていた。

 人々は、手を組んだり合掌したり、あるいはただ眼を閉じただけだったり――思い思いの格好で、静かに夜空の巨大ハートに祈りを捧げ始めた。

 同時に、シンセサイザーが奏でる和の旋律が、お祭り騒ぎではっちゃけた意識を鎮静化し、現実世界へと引き戻していく。

 感無量だった。

 感情を揺さぶるような、静かで何処か切ない戦慄に、思わず涙を浮かべる者もいた。

 夢のような三日間が終幕を迎え、また明日から新しい一日が始まるのだ。

 ハレの日に相応しいフィナーレだった。

「そうか・・・これが奴の目的か」

 四方は嘆息を漏らした。

 風の丘は情念の渦に包み込まれていた。

 人々の願い――それは、言わば我欲が生み出した思念。

 中には他の人の幸福や願いを祈る高尚な心の持ち主もいるかもしれない。

 でも四方が見る限り、人々から吐き出された思念は欲に塗れた情念そのものだった。

 それは、ねっとりとした重い粘着質な軌跡を描きながら、ゆっくり中空を漂うと、夜空に浮かぶ巨大ハートに吸い込まれていく。

「四方」

 つぐみの眼が、じっと夜空の虚像を射貫いている。

 つぐみも当然感知しているのだ。

 人が吐き出した情念を貪り食う、ハートの中の異形の存在を。

「まだだな。客が消えるまでは、何も起こらない――否、起こせないのさ」

 四方は口元に冷笑を浮かべた。

 やがてハートはゆっくりと像を闇に同化させると、不意に無数の流れ星になり、白い閃光を放ちながら夜空に消えた。

 代わって、闇のスクリーンに、大きく「FIN.」の文字が浮かび上がる。

 拍手喝采だった。

 ぱらぱらとばらばらに叩き始めた拍手が、一気に会場中に響き渡る。

 やがて「FIN.」の文字も消えると拍手も途絶え、人々は一斉にゲートへと移動し始めた。

「つぐみ、行こうか」

「了解」

 人々の流れに逆らいながら、四方とつぐみは風の丘に向かって歩き始めた。

 四方達が丘のふもとに辿り着いた時、客の姿はまばらになっており、その中で立ち止まり、丘をじっと見据える者達の姿があった。

 幸甚夫婦が。

 玄信夫婦が。

 祥子が。

 紗代が。

 鴨川が。

 石動が。

 夏音が。

 平城が。

 南雲が。

 彼らはじっと、丘を見つめていた。

 丘から全ての客が消え、喧騒が遥か後方のゲートに収束していく。

 イベントのスタッフ達も、無言で丘を見つめている四方達を不思議そうに見ながらも、疲れた表情で退散していった。

 風の丘には、もう誰もいない。

 四方達と。

 丘に潜む、鬼の気を宿した呪師以外は。


 

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