第2章 依頼

 依頼人は上月未央。まだ二十代半ばだが、大学在学中にイベント会社を立ち上げたアクティブな女性だ。現実的なライブだけじゃなく、仮想空間でのイベントを数多く手がけており、ネットを通じて世界のどこからでも手軽に参加出来るスタイルが受けて、大ブレイク中のクリエイターである。

 長い黒髪にスリムな体躯。二重瞼の大きな瞳が、生命力の強さを誇る輝きを湛えている。自分の将来を見据え、夢を叶えるために行動して来た人に共通した眼だった。

「まさか、ここで宇古陀先生と会うとは思いも寄らなかったです」

 未央は嬉しそうに破顔させた。

「俺もだよ。驚いたな」

 宇古陀が眼を細めながら珈琲カップを口に運んだ。

「二人とも、お知り合いだったんですか」

 四方がきょとんとした表情で二人の顔を見回す。宇古陀の人脈の広さは彼女も舌を巻く程で、時には意外な人間関係に驚きを隠せない事もある程だった。

「そうなんです。今度のイベントでは先生にも出演していただくんですよ。それに私、先生の怪談の大ファンなんです」

 未央は嬉しそうに微笑んだ。

「階段? 宇古陀は大工が本業なのか? 」

 つぐみは思いっきり眉を顰めた。

「その階段じゃなくて、怖い方の怪談。トークライブでやったら、結構人気があったんで、最近SNSの番組とかにも呼ばれたりするんだ」

 宇古陀はそう言いながら、一度しまい込んだイベントのパンフレットをテーブルの上に出した。

「パンフのここ見て」

 彼が指差した紙面上に、『快男の怪談ライブ 宇古陀の時間』と書かれたイベントの紹介がデカデカと載っていた」

「紹介文に載ってる『怪談師 宇古陀 巧 』って・・・何? 」

 陽花里が不思議そうに宇古陀を見つめた。

「一応、怪談師って名のるようにしてるんよ。こうすりゃ、色んな仕事が入って来るしな」

 宇古陀が豪快に笑った。この男、ほわっとしたキャラの割には結構狡猾な様だ。

「宇古陀はそれで私らを誘ったのか? 」

 つぐみが呆れた表情で溜息をつく。

「そ。二人に俺の晴れ舞台を見てもらおうと思って」

 宇古陀が得意気に眼を細めた。

「快男というよりも、怪男だな。てより、星乃陽花里が何故ここにおるのか」

 つぐみが、四方の横からパンフを覗き込むピンクのショート髪女子に声を掛ける。

「暇なんでさあ・・・てのは、嘘だけど。ほんとは珈琲ただ飲みしにやって来た」

 陽花里はてへへと苦笑しながら舌をちろっと出した。

 彼女は探偵事務所の上の会で占いの店を開いている。その的中率は凄まじく、メディアでも取り上げられている人気占い師だ。

 四方とは同郷で、昔からの長い付き合いがある。その関係からか、店舗は格安で間借りしているらしい。

 因みに、四方はこのビル及び階下のカフェのオーナーでもある。

「星乃先生も来ていただくと助かります。この後、当日の打ち合わせをしようとアポを取らせていただいておりましたので」

「何、陽花里もイベントに参加するのか? 」

 つぐみが驚きの声を上げる。

「そだよ。たまには野外イベントもいいかなって思ってさ。スケジュールも空いてたし。私も四方ちゃんとつーちゃんに来て貰おうと思ってパンフとか持ってきたんだ」

 陽花里は両手で抱えていたピンクのトートバックからパンフレットと食券のシートを二枚取り出した。

「おおっ、これはっ!! 」

 つぐみは眼を見開と食券シートを凝視した。

「1シートで三千円分の金券が付いてるから。当日、どこの店でも使えるし、これだけあればお腹いっぱいになると思うよ」

「流石、陽花里だな! 宇古陀はまだまだ修行が足りん」

 つぐみは満足げに食券シートを手に取った。

「つぐみ、一枚は私のだかんね。どんな店があるんだろ・・・ん? 」

 四方はパンフレットの出店店舗名を眼で追い、苦笑した。

「それでか・・・急に来るって連絡がはいったのは」

 四方がそう呟くと同時に、事務所のドアが勢いよく開いた。

「おいーっす! 」

 威勢のいい声と共に、ぼさぼさ頭に筋肉隆々のガチムチ男とヤセマッチョ系の青年が現れた。ガチムチ男はダークグレイのスーツにノーネクタイで白いワイシャツを身に着けており、日に焼けた浅黒い顔は野生じみた雰囲気を醸している。その風貌と落ち着きのある風貌から、恐らくは三十代前半か。もう一人の青年は、ベージュのスーツに淡いクリーム色のワイシャツ姿で、彼はガチムチ男より一回り近く若く見える。

「石動さん、鴨ちゃん、お久し振りです」

 四方は嬉しそうに笑顔で二人を出迎えた。

「ごめんな、忙しいだろうに押し掛けちゃって」

 ガチムチ男――石動匠太は申し訳なさそうに四方を見た。彼は知る人ぞ知る陶芸家で、四方とは同郷の関係である。見掛けは無骨なイメージだが、彼は郷に窯を構える若手アーティストで、時折郷を離れては日本各地の百貨店やアトリエで陶芸展を開いているのだ。

「大丈夫ですよ。丁度皆、イベントの関係者ですしね。どうぞお席に」

 四方はそう言うと、二人に席を勧めた。

「あ、本当ですね。上月社長もいらっしゃるじゃないですか! 陽花里さんもいるし、あれ? 宇古陀さんもいる」

 鴨ちゃんこと鴨川響輝が驚きの声を上げる。彼も四方と同郷で、郷に古くからある神社の神職を務める傍ら、石動の陶芸の手伝いをしているのだ。

「産童の郷 峠の鯛焼き屋って、パンフレットに載ってるから、まさかと思ったんだけど」

 四方がしみじみ呟く。

「最初は鯛焼き屋の娘さんが出店する予定だったんだけどさ、娘さん、妊娠しててつわりが酷くてとても無理だってんで、おばちゃんに頼まれたんだ」

 石動が頭を搔きながら恥ずかしそうに答えた。

「まさか、石動さんの子? 」

 陽花里が探るような目つきで石動を見た。

「んな訳ないよ。れっきとした娘さんの旦那の子だよ。ほら、道の駅の隣の蕎麦屋の若旦那」

 慌てて弁解する石動を陽花里がにやにや笑いながら見つめた。

「でも石動さん、食べるの専門でしょ? 陶器は焼き慣れてんだろうけど、鯛焼き焼けるの? 」

 宇古陀が首を傾げる。

「あ、焼くのは俺が担当します。昔、バイトでやってたことあるんで」

 鴨川はそう言うと下げていたビニール袋をテーブルの上に置いた。

 袋から。香ばしい香りがほわほわと立ち上る。

「これ、俺が焼いた鯛焼きです。おばちゃんの所に一週間通って練習しました。キッチンカーはレンタルで上月社長に準備していただいたので、後は当日只管焼くだけです」

「凄いな、鴨ちゃん。じゃあ、石動さんは何するの? 」

 陽花里が首を傾げた。

「俺? 接客。それと豆皿とか置物とかを店先に並べて売るんだ。この日の為に鯛焼きのペーパーウエイトとか箸置きとかを作ってみた」

「石動さんの鯛焼き愛、凄いですね」

 得意気に宣う石動を、四方が感心した面持ちで見つめた。

「いらっしゃいませ」

 つぐみが石動達の珈琲をトレーに載せて現れた。

「つぐみちゃん、いつの間にかいなくなったと思っ・・・!? 」

 宇古陀の顔が驚愕に固まる。

「宇古陀さん、どうしたんですか? そんな驚いた顔して」

 つぐみがそっと微笑む。

 宇古陀だけじゃない。四方も陽花里も、驚きを通り越して動揺した表情でつぐみを見た。

 アイシャドーが神秘的な彼女の眼を更に引きたて、唇にひかれたリップが妖艶で艶やかな輝きを放っている。いつもノーメイクのつぐみが、これでもかっとばかりにばっちりメイクをしているのだ。

「どうぞ」

 つぐみはしとやかな所作で珈琲カップをテーブルに置いた。

「つぐみちゃん、相変わらず綺麗だね」

 石動は眼を細めた。

「石動さん、そんな、恥ずかしいです」

 つぐみは頬を朱に染めると、恥じらいながら俯いた。

 化粧といい、言葉使いといい、仕草といい――全てが、いつものつぐみではなかった。

 そこには、調子に乗った宇古陀を罵倒しながら足蹴にするいつものサディスティックな片鱗は全く無く、まるで借りてきた猫の様な変貌振りだった。

「俺とは、全然態度が違う・・・」 

 宇古陀は悲しそうに呟きながら、ソファーの片隅でいじけていた。

「つーちゃんは分かりやすいな」

 陽花里はにんまりと意味深な笑みを浮かべると、石動とつぐみを見つめた。

「つぐみさん、モデルになりません? 私、そちらの関係者に知り合いがいるんで紹介しましょうか! 」

 未央が興奮した口振りでつぐみに話し掛けた。

「有難うございます。でも私、人前に出るのが苦手ですので、せっかくのお話ですが控えさせて頂きます」

 つぐみは困惑した表情を浮かべながら、未央に頭を下げた。

「そうなの・・・おしいなあ」

 未央は口惜しそうに呟いた。

「四方さん、お願いが・・・」

 未央が四方を見つめる。

「えっ、私もモデルはちょっと」

「あ、そうではなくて、その・・・後でこのまま、ここでイベントの打ち合わせをさせて頂けないかと思いまして。メンツも揃っていますので」

 未央が申し訳なさそうに四方に許しを求めた。

「はははは。そう言う事でしたら、OKですよ。で、上月さん、今回こられた御用件なんですけど」

 四方はほっとした表情で未央に話し掛けた。

 未央は黙って頷くと、ゆっくりと重い唇を開いた。

「実は、イベントの主催者――衣川詩音を探して欲しいんです」


 


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