第26章 回生
「四方、代わろうか」
つぐみは鯛焼き屋の接客に奮闘中の四方に声を掛けた。
「有難う。助かる」
四方は嬉しそうに笑顔でつぐみに答えた。
イベント二日目。最初に店頭に立ったのは四方だった。
その間、つぐみは雑踏に紛れて迷い込んで来る浮遊霊達を蹴散らしながら公園じゅうを徘徊していたらしい。龍脈はまだ全て復活しておらず園内に残る陰の気に導かれて集まって来る霊が後を絶たないのだ。
「しかし、四方、モテモテだな」
つぐみは感心した口調で店頭の大行列を見渡した。
「つぐみ程じゃないよ。でも私の場合、並ぶのは圧倒的に女性なんだ。何故? 」
四方は困惑の表情で客を見つめた。
確かに、つぐみが店頭に立つと圧倒的に若い男性が多く、四方の場合は圧倒的に若い女性が多い。
「うーん、何故だろうな」
つぐみは、にやにや笑いを浮かべながら、さり気なく四方の胸の辺りに目線を投げ掛ける。
「今日から乳製品を大量摂取するよ」
四方がふてくされたように呟く。因みに、どのような効果があるのかは、単に四方の思い込みであって不明だ。半袖のブラウスの下にカットソーを着ているせいか、双丘の成す起伏は生地の張力に抑圧され、見事に封印されていた。
「よかろう。私も今晩から丹念にマッサージしてやる」
つぐみは意味深な発言を残すと店頭に立った。
四方がキッチンカーの裏手に回ると、南雲が濃紺のタオルで汗を拭きながら店内から離脱してくる。
手には冷えたミネラルウォーターを二本。彼は平城と交代で定期的に休憩をとっているのだ。
「四方さん、お疲れ様」
南雲はミネラルウォーターのペットボトルを四方に手渡した。
「有難うございます。南雲さんこそ、慣れない仕事で大変でしょう」
「いえいえ、学生時代、バイトで似たような事をやっていたので。僕が作っていたのはドーナツでしたけど」
南雲はペットボトルキャップを開けると、一気に半分ほど飲み干した。
「本業のお仕事、大丈夫なんですか? 」
四方は心配そうに南雲に尋ねた。四方達とは違い、彼は不動産屋に勤めるサラリーマンなのだ。
「大丈夫ですよ。この三日間は出張扱いになっているんで」
「え、そうなんですか? 」
「実は鯛焼きと一緒に当社のPRが入ったウエットティッシュをお客様にお渡しさせてもらっているんです」
「成程、考えましたね」
四方がふふっと笑みをこぼした。
「私より、鴨川君が凄いですよ。彼はずっと一人で焼き続けていますから。交代しようって声を掛けたんですけど、微妙な焼き加減を習得したもの以外は焼かない様、オーナーさんに言われてきたみたいで」
「ああ、あのおばちゃん、焼き方にこだわり持ってるって言ってたな」
「あの手さばきは真似できませんね。無駄一つ無い動きですし。手が何本もあるように見えます。まるで千手観音ですね」
「確かに、あの動きは真似出来ないな」
「あ、そうそう。もう一人、郷から助っ人が来るみたいですよ」
「毎度~! 助っ人でえす」
南雲に呼応するかのように、キッチンカーの陰から一人の若い女性が姿を現せた。
歳は二十代前半か。ショートヘヤーの黒髪に陽に焼けた肌が彼女のアクティヴなライフスタイルを物語っている。
「カオちゃん、来てくれたんだ」
四方が嬉しそうに表情を綻ばせた。
「お久し振りです。四方さん、南雲さん」
「驚きだな。助っ人は夏音さんだったんですね」
誰が来るかは知らされていなかったらしく、南雲は驚いた表情を浮かべた。
吾妻夏音――彼女は四方と同郷で、郷では役場に籍を置きながら若くして郷社の氏子総代を務めている。元々全国を渡り歩いていたソロキャンパーで、SNSのチャンネルでその活動を発信し、多くの登録者数を保有している。郷に定住したのは二年前で、その時から四方とは交流があった。
南雲も平城に連れられて何度か郷を訪れており、その際に彼女と出会っている。
「夏音さん、レジがいいですか、それとも仕込みにします? 」
夏音は南雲に尋ねられると、にんまりと笑って首を横に振った。
「焼きにはいります。鴨ちゃんの事だから、一人でずっと焼いてるんでしょ? 」
「え、よくお分かりで・・・でも、大丈夫? 」
南雲が心配そうに夏音を見た。
「大丈夫! 鯛焼き屋のおばちゃんにしごかれてきたんで。じゃあ、行ってきます」
夏音は手早くエプロンを身に着けると、キッチンカーの中へと消えた。
車内で歓声が沸き起こる。しばらくすると、それはどよめきに変わった。
「どうしたんだろ。大丈夫かな」
四方がそっとキッチンカーの中を覗いた。その後ろから南雲も中を覗き込む。
夏音はマシーンと化していた。
無駄のないてきぱきとした動きで、生地を型に流し、餡やカスタードクリームを適量ずつ加えていく。
「鴨ちゃん、休んできなよ」
「あ、ああ。有難う」
夏音に促され、鴨川はキッチンカーから退散した。
「お疲れ様です」
鴨川は二リットル入りのスポーツドリンクを大事そうに抱えて現れた。彼は熱源に近いだけあって、塩分も相当失われており、ミネラルウォーターだけでは補え切れないのだ。
「カオちゃん、凄い」
鴨川はそう呟くと、休憩用の椅子に腰を降ろし、スポーツドリンクをぐびぐびと喉に流し込んだ。
「あのおばちゃんの特訓を受けて来たって言ってたよ」
「通りで。でもよくあそこ迄体得したですよね。応援をお願いしたのは三日前なんですよ。流石に焼き手が一人はきついかなっと思って。昔、バイトで経験していたとはいえ、おばちゃんから免許皆伝してもらうのに二週間通い詰めましたからね」
鴨川は口元を腕で拭うと、すっくと立ちあがった。
「さて、本業と行きますか」
彼は昨日から延々と鯛焼きと格闘し続けて来たのにもかかわらず、疲労感は全く見せていない。
夏音も凄いかもしれないが、彼の体力も人間離れしていると言える。
三人は雑踏に紛れると、公園の奥へと向かった。
その先には風の丘がある。
アーテイストによるライブが頂上のスペースで行われ、観客は傾斜に作られた簡易の桟敷でそれを楽しむのだ。
「まだ気が淀んでいますね」
鴨川が眼前に聳える丘をじっと見上げた。
「でも時空の歪は治まりましたね・・・昨日まではかなり不安定でしたけど」
南雲が静かに呟く。
不意に、四方の携帯が鳴った。
即座に応対に出た四方の表情が緩む。
「幸甚さんからです。二つ目の龍脈が浄化を終えたそうです」
「残りは三つか・・・明日のフィナーレに間に合うかな」
南雲が表情を歪める。
「大丈夫ですよ。そちらも助っ人を頼んでいます。最強のね」
四方は丘を見上げながら、落ち着き払った表情でそう答えた。
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