第4章 破界
「この辺りですね」
郊外の住宅地にある公園の駐車場に、四方は車を止めた。
ガンメタリックな光沢を放つ彼女のミニバンには、先程の面々が全員乗り込んでおり、最後部席のつぐみがべったり石動にすり寄っているのを、中席の宇古陀がふてくされながら時折視線を投げ掛けるというちょっとした地獄絵図に、四方はルームミラーを見る度に苦笑いを浮かべながら一時間ステアリングをさばいてきたのだ。
「車はここに止めておいた方がいいです。妃仙先生のお屋敷はすぐそこですので」
未央が四方にそっと声を掛けた。彼女は以前、妃仙玉水主催のイベントを手掛けた事があり、それ以来親交を深めているとの事だった。今回も、突然の訪問の要望にも、未央の頼みならと快く引き受け下さったのだ。
玉水は素性を公に公表しておらず、宇古陀の過去の取材でも、四十代の女性で独身、数人の弟子と暮らしている事位しか分からないらしい。ただスピリチュアルな界隈では有名人で、メディアへの出演やトークライブなどを積極的に行っており、著書も多数あるという。
四方達は車を降りると、未央のナビゲートで妃仙玉水の邸宅に向かった。
「宇古陀さん、妃仙玉水さんてどんな人物なんですか? 」
四方が何気に宇古陀に声を掛けた。
「俺にはスピなイメージよりも守銭奴な感じの方が強いな。取材するのに結構な額の謝礼を請求してきたし。正直、テレビに出るようになってから、何だか変わっちゃったからな」
宇古陀は露骨なまでに嫌悪に顔を歪めた。
「こちらです」
未央は古寺の様な風格のある門の前で停止した。
「古風な趣とハイテクが入り混じった何とも言えない門構えですね」
鴨川が門を見上げながらしみじみと呟いた。
彼が着目しているのは、門柱に付けられた、ちんけなインターフォンの事ではない。門の軒下に隠れる様に設置された弐基の監視カメラと、門前にセットされた対人センサーだ。
カメラは固定のものと動体を感知して追尾するものとが設置されており、四方達の動きをつぶさに捉えていた。
「妙だな」
石動の表情が硬く強張る。
彼だけではなかった。未央と宇古陀を覗く五人は明らかに何かを察知しているらしく、緊張を孕んだ目線で屋敷を見つめていた。
「ごめん下さい。先生との面会をお約束させていただいている上月です」
未央がインターフォンに向かって話し出す。
が、先方の応答はない。
「おかしいなあ。いつもならすぐにお弟子さんが対応に出るんだけど・・・」
未央は首を傾げると、もう一度インターフォンに話し掛けた。
応答はない。ただ無機質なノイズ音だけが、来訪者を拒むかのように味気ない不協和音を刻んでいる。
つぐみは無言のまま前に出ると、門をそっと押した。
門が、弾かれるように開く。
刹那、四方達の目線が一点に吸い込まれる。
屋敷の玄関まで続く砂利道の中程に、浅黄色の作務衣を着た長髪の若い女性が倒れていた。
「大丈夫ですかっ! 」
いち早く駆け寄った四方が彼女を抱き起す。
「助けて・・・先生が・・・先生が・・・」
彼女は息絶え絶えに成りながらも、震える声で言霊を刻んだ。その台詞と服装から、妃仙玉水の弟子の様だった。
「しっかりしなさい! もう大丈夫だから」
陽花里が彼女の手を握りしめた。そして静かに呪詛を紡ぐ。
陽花里の身体が仄かな白い光に包まれる。
温かい気の流れが、心神喪失状態の彼女を呑み込んでいく。
同時に、血の気の失せた彼女の顔に生気が宿り、虚ろな瞳に意識の輝きが戻った。
「ありがとう、ございます」
彼女は大きく呼吸を繰り返すと、陽花里に手を合わした。
「あなたの師匠は何処に? 」
四方が彼女に問い掛けた。
「この屋敷の奥の間・・・です」
「分かった。上月さん、宇古陀さん、彼女を頼む」
四方は頷くと、未央と宇古陀に彼女を託し、屋敷の奥に駆け出した。
同時に陽花里達も後に続く。
「御邪魔します」
四方は引き戸を開け、屋敷に上がり込む。
「四方さん、強い結界を張った形跡がありますね」
長い廊下を駆けながら、鴨川が周囲に目線を巡らせた。
「うん。それも、無理矢理ずたぼろにされた痕跡があるよね」
四方は困惑に眉を寄せた。
廊下が直進と右側の二方向に分かれる。
「四方ちゃん、多分こっちだ。悪意を孕んだくせえ臭いが漂ってきている」
石動は廊下を右に曲るよう、四方に声掛けをする。
「確かに」
四方は頷くと石動の誘導に従った。
廊下を右折。
薄暗い廊下の両側に続く襖の光景が、高速で視界の後方に流れていく。
「ここだ」
石動が、一番奥の襖を開けた。
途端に、白い光が開け放たれた空間から溢れ出る。
刹那、四方達は息を呑んだ。
道場のような部屋だった。
五十畳程だろうか。使い古され、べっ甲色に変色した畳がびっしりと敷かれている。途中、開け放たれた襖がある事から、元々は三部屋の和室である事が分かる。その部屋の突き当りには、壁いっぱいに祭壇が設けられ、白い布で覆われた壇上には、人の頭ほどの大きさの水晶の玉が祀られている。
ただそれだけなら、別段驚く程でもない。
部屋には、異様な光景が広がっていたのだ。
部屋の隅には、先程外で倒れていた女性と同じ、萌黄色の作務衣を纏った女性が七人ばらばらに倒れていた。
だが、四方達の目線は、むしろ祭壇の方に向けられていた。
祭壇の少し手前の敷居の上に、繊細な透かし彫りが施された欄間があった。
天女が優雅に舞う彫刻の間と間に、異様なものが引っ掛かっていた。
恐怖に歪む中年女性の顔だった。
焦点の定まらない半眼の瞳は瞳孔が開き、彼女を襲った恐怖を直視し続けていいるかのように、虚空を見続けている。
妖艶な美貌が故に、その表情は、感情を宿した能面の様な鬼気迫るものがあった。
彫刻の僅かな隙間に顔がめり込む様に挟まり、顎が欄間の内に引っかかっているのだ。
透かし彫りの天女の羽衣の様な紫色の衣装を纏った彼女の身体は、欄間の下にだらりと垂れさがっており、足袋に包まれた両足の指先は真っ直ぐ戸を向いている。その下の畳の上には、苦しさの余りに失禁した痕跡が黒い染みとなって残っていた。
彼女がもはや躯に生命を宿していないのは一目瞭然だった。
彼女の足元には、全裸の若い女性が横たわっていた。僅かに動く胸の稜線が、息がある事を証明している。
彼女の周囲には、本人のものと思われる衣服が散乱していた。
乱れた長い髪が汗ばんだ皮膚に貼り付き、眼は固く閉じられているものの、半開きの唇から涎が筋をひいていた。
だが、不思議な事に、その表情には、恐怖の片鱗は色付けされていない。
あえて例えるのなら、恍惚に近い表情だった。
直前に迫る死に、精神が混濁し、恐怖から逃れるために本能が無意識的に現実逃避を計ったのだろうか。
ただ、無防備に開かれた両脚の奥に息づく淫谷は、明らかに恐怖で漏らした尿とは思えない潤いを湛えていた。
四方と陽花里は彼女の傍らに駆け寄ると、脱ぎ散らかっている衣類を彼女に被せた。
「四方さん、他の人達も命に別状は内容です」
周囲で倒れている他の女性達の様子を確認していた鴨川が、四方にそう告げた。
「先生、詩音さん・・・」
戸口には、驚愕に蒼褪める上月の姿があった。その横には、宇古陀に支えられるようにして立っている玉水の弟子の姿があった。
彼女が二人をここまで案内して来たらしい。
「ひっ・・・」
弟子の女性は、恐怖に体を震わせると、崩れる様に宇古陀の腕の中に倒れ込んだ。
「大丈夫、気を失っただけだ。ただ――後で誰か着替えを用意してやってくれ」
彼女を抱き停め乍ら、宇古陀がそう告げた。
女性の作務衣の下履きに染みが広がり、生地に吸収されなかったものが足元に滴り落ちていた。
その無慈悲な恥辱の旋律が、誰しもが予想だにしない底知れぬ恐怖の幕開けを、静寂の時に刻んでいた。
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