4話  一之宮詣り〈保知〉

 世間知らずの修道寮育ち。ティフィンの言葉はシェマをさげすむのでなく、相憐れむようなものだった。

 吊るし灯籠どうろうのさがる洞穴を、延々とシェマとティフィンは歩いた。


「そういえば。ここは犬鳴いぬなきの洞穴というのです」


 ティフィンは、洞穴を抜ける風の音を昔の人は魔犬の鳴き声だと思ったのだろうと。今、たしかに、ふたりの少し先を、白い毛並みの仔犬が先導しているが。


なりそこないも、一之宮いちのみやへ行くようだ」

 ティフィンは、仔犬の同行をうっとおしく思っているにちがいなかった。


 あれから、シェマの中のユーフレシア皇子は『疲れた』と言って、眠った。 

 元々の身体からだが虚弱なのだ。精霊を使役させる術を発動したらしい彼は、本日の可動域を大幅に超えたにちがいない。


「ユ―フレシア皇子は優れた呪術師であらせられるのですね」

 シェマは感心しかなかった。


「おそらくは天性の。御身体おからださえ丈夫なら、天地あめつちの精霊を従えることもできる方です」

 ティフィンは少し苦しげに見えた。


 そして、進む足元が、あきらかに自然石でなく、石畳いしだたみになった。 

 辺りの岩肌は、内側から見た肋骨あばらぼねのように削られている。それが、どうやら本物で、白く発光しているとシェマは気がついた。


一之宮いちのみやの鳥居です」

 青白く光っている肋骨あばらぼねの鳥居を抜けていく先に、ちいさな石のほこらがあった。


十三詣じゅうさんまいりの最初のやしろですね。祀られている神さまは——、伊奴日女神いぬひめのかみさま」

 それは、シェマも事前学習した。


祝詞のりとを」

 ティフィンは目を閉じると両の手のひらを胸の高さで合わせた。シェマも、それを真似る。


 ここからは、シェマの役目だ。

とお御祖みおやの神、御照覧ましませ」

 祝詞のりとを口にした。


「——もろもろの禍事まがごと、罪、けがれ、あらむをば。はらへたまひ、きよめたまへと。まをすことを聞こし召せと。あまかみくにかみ八百万神等共やおよろずのかみたちととも聞食きこしめせと。かしこみかしこみ、もまをす」


 言い終わるか終わらないかで、ちいさな石のほこらの戸が、ぽんと開いた。

『くるしゅうない』


 白い衣の、ちいさな女神が立っていた。女神の声も頭の中に直接、響く。

 仔犬が、たたたと駆け寄って行くと、はっはっと舌を出して、ほこらの近くに伏せた。それを、女神が、『あれ、保知ぽち。ずいぶん、かわいらしゅうなったもの』と目をほそめた。

 それから、シェマを見上げた。

『おまえが調伏したのか』


「いえ、わたしではございません」


『——よい。おまえのようなものじゃと保知ぽちも言うておる』

 女神は仔犬の言葉がわかるようだ。『そうか』、『そうか』と、うなずいた。『勝手気ままにしておったが、この者たちに、ついていきたいか。行くがよい』


「え」と言ったのは、シェマではない。ティフィンだ。


伊奴日女神いぬひめのかみさま。われらの十三詣じゅうさんまいりは、はじまったばかりにございます。精霊を従えていく余裕は、わたしどもには……」

 ございませんとティフィンは言いたかった。言いよどんだのは、神さまに対しておこがましいが察してくれということだ。


『心配に及ばず。保知ぽちが歩む道筋は豊作になるであろう。みなみなに歓迎されよう。そして、武人よ。おまえにも加護をやろう。連戦連勝の加護でどうじゃ』


「連戦連勝」

 ティフィンの武人としての心が動いたようだ。


『おまえにも。右の手のひらを』

 出せ、と、伊奴日女神いぬひめのかみはシェマに向かって、ちいさな右手を高くあげた。その右手のひらが、ぽうと発光する。

 すると、もやのかかったような水晶の勾玉が、差し出したシェマの手のひらに現れた。ほんの豆粒ほどのおおきさだ。それは、かすかに、つめたい感触を残して溶けていった。

(わぁ)

 そのふしぎに、シェマは、まじまじと手のひらをみつめた。


『いとし子。われの加護と智慧を授けた』

 ちいさな女神の輪郭がぼやけていく。

『行け。 さりともと、なほうことを頼む——』




 気がつくと、ちいさな岩のほこらの戸は閉まっていた。

 その代わりのように、そばの岩肌に、さっきまでなかった洞穴が、ぽっかりと口を開いていた。


「進めということだな」ティフィンの言葉を待たず、たっと白い仔犬が駆けて行った。

 もちろん、シェマとティフィンも、そちらへ歩む。



 しばらく進むと、夜明けが近くなるように洞穴の中が明るくなってきた。出口が近いのか。


 ぐぅぅぅぅ。

 鳴ったのは、シェマの腹の虫だ。


「はは……」

 シェマは自分の、のんきな腹の虫をわらうしかなかった。こんな神聖な場所や時間でも腹は空く。


「この洞穴を抜ければ、人里もあろう」

 ティフィンの足元では、はっ、はっ、はっと熱い息づかいがして、白い仔犬がまといついていた。しっぽを、ぴんと立てて、時折、はげしく振っている。

 ティフィンはつれないのに、仔犬は、いたくティフィンを慕っているようだ。


(ティフィンと戦って負けたから、兄貴分とでも思っているのかなぁ)

 シェマは笑いかけて、あわてて、ゆるんだ口元を引き締める。


 そして、洞穴は、いきなり終わった。

 うららかな日の光に満ちた山間の窪地に、シェマとティフィンは立っていた。

 ふりむいても洞穴はなかった。


 さもありなん。


 だが、仔犬がいなかった。シェマはあわてた。

「仔犬! 名前、何だっけ!」

保知ぽちだ」と冷静にティフィンが応えた。


「ぽちー!」

 シェマが叫ぶと、少し先の木立から白い仔犬が走り出てきた。

「よかった。日の光に溶解するってティフィンさん、言ってたから」


「女神が、にも、なんらかの加護を与えた」

 ティフィンのまわりを、ぐるぐる保知ぽちは巡った。


「なるほど」

 シェマは足元に来た保知ぽちを、おっかなびっくりで見ていたが、思い切って、かるく握りしめた右手を差し出した。

 仔犬は、しめった鼻先をシェマの手に、ふんふんと押し付けてくる。

「見たところ、ふつうの犬と変わりませんね」


「そうだな。だが、じゅうじゅう気をつけろ。腐っても神の一部だ」

「そうですね。頼りになりそうだ」


「……おまえ、話が、かみ合わないと人に言われたことはないか」


「さて、保知ぽち、里はどっちだろうね」

 仔犬は「承知」とでも言うように、ぴんとしっぽを張った。

「案内してくれるようですよ」


「では、今夜の宿でも探してくれ」

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