28話  島渡り 2

 ティフィンは足音を立てずに忍び寄り、素早く、そのわらわの首に、しっかと左腕をまわした。


「だぁっ!」

 わらわは、つぶれた悲鳴をあげた。ティフィンはわらわの首をかるくしめあげたまま持ち上げたから、その足は、じたばたくうを蹴った。


「そこそこ神気を感じますが、たてまつるほどの神ではありません」

 ティフィンは言い切った。


『そこそこで悪かったな!』

 わらわは、かぷりとティフィンの左腕にかみついた。それで、ティフィンの腕がゆるんだ隙に地面に転がり逃げた。


「ティフィンさん、乱暴はいけません。あの、大丈夫ですか?」

 シェマはたたられたのも忘れて、わらわに右手を伸ばした。


『なんだ。おまえ』

 わらわは澄んだ青玉の目で、シェマの右手のひらをみつめた。

一之宮いちのみやの加護と知恵を受けておるのか』


「ん? 伊奴日女神いぬひめのかみさまのことですか?」


『そうよ。われの大叔母さまにあたるのだ』

 わらわは、ぺたぺたとシェマの腕やら足やらをさわった。


『ほお。四之宮よんのみやまでもうでたのか。それに、二之宮にのみやの弟神であらせられる石筒之男神いしつつのおとこがみさまの祝福も、うっすら感じる。おまえは、の神にも礼を尽くしてくれたのだな』

 わらわは機嫌を直したようだ。


「では、失礼ついでにお聞かせください」

 シェマは、かしこまった。

「ここは、どこでしょう。わたしたちは十三詣じゅうさんまいりにもうでし者。此度こたびは、ふいの災難により、この島に漂着しました。ゆるしたまえ」

 うそではない。


『そうか。それは難儀じゃったな。わしは甕星みかぼし。荒ぶる神ではないぞ。急に耳元で、じゃばじゃばやられたから、むぅと思ったまでじゃ。人は食えば出る者、飲めば出す者。この島に、とんと、人は立ち寄ることがなかったゆえに、忘れていた』


 甕星みかぼしと名乗ったわらわは、島の守り神か精霊なのだろうか。

 

「では、早急に、この島から退散しないと。わたしたち、飢えて死ぬんじゃないですか」

 シェマはあせって、ティフィンとカグツチを振り返った。

「カグツチ、せめて人が住んでいるところに戻ろう」


「うーヌ」

 カグツチは右のこぶしをあごに、右のひじを左の手のひらに乗せて、首をかしげた。

「カグツチ、御酒を飲まないと、ちからが出なイ」


「なんと……」

 これは、ティフィンも想定外だったようだ。わらわに向き直った。

甕星みかぼしさまとやら、酒などありましたら、わけていただけませんでしょうか」


『おまえ、神を神とも思わぬ扱いしておいて調子いいな』

 甕星みかぼしは白目に近い視線で、ティフィンを見やった。

『わしはたしかにたいした神ではない』


「そうですか」

 シェマは傾聴をはじめた。


『そこ! いえいえ、そんな、とか言うところじゃろっ!』


「いえいえ、そんな……」

 シェマは急いで言い直した。


『真心がない……。星がいくつか流れる間に人もな……。わしは、ここで空から降る星が人里に落ちぬよう、ずうっと見張っておるのじゃよ』


「え。ありがたくすばらしい御役目ではありませんか」


『そうか?』

 ぱあぁっと、甕星みかぼしの顔が明るくなった。

『ほめてもらうと張りが出るな。では』

 そして、ふっと消えた。


「え!」

 シェマは呆然とした。

「消えちゃいましたよ! わらわさま! 何の加護も知恵もなしで!」


「この島に神がいらしゃるとしても、十三詣じゅうさんまいりには入っておりませぬ。圏外です」

 ティフィンも知らない神だし、島だ。


「この島から出る方法とか、授けてくだすっても!」


「神さまは本来、気まぐれなのです。今までの神が好意的でした」


「本当に。石筒之男神いしつつのおとこがみさまとか、めちゃめちゃ親切な神さまだったんですねっ。もうでたら何かもらえると思いあがってました。いやしい考えでしたっ」


『さて、どうする。ティフィンよ。この島から、どうやって出る』

 シェマの中のユーフレシア皇子もすぐさま、よい案は浮かばぬらしい。


「ティフィンさんは移動魔道など、できるのでは?」

 シェマは、宮殿の朱塗りの柱の廊下でティフィンを見失ったことを思い出していた。


「精神を飛ばすことはできるのです。実体をともなう移動の魔道も可能ではあります。こんな海の真ん中での移動だと、必ず陸地に到達できる保証はありません」

 海の中にドボンとなる確率が高いということだ。


「わたしは鳥を呼んでみます」

 そう言うと、ティフィンは島の高いところへ行くことにした。


「沖を舟が通らないか見てみましょう!」

 シェマは砂浜に向かうことにした。カグツチもついてきてくれた。


 こんなところで遭難とかいやだ。

「チグサさんの宿で焼け死ぬのと、無人島で飢え死にするのと、どっちがよかったかな……」

 思わず、ぐちってしまった。すぐに、ユーフレシア皇子にどつかれた。

『もう、死んだ気か! それにな! わたしたちがいるってことは、この島は無人島ではない!』

 理屈っぽい。


「そんな主張を誰が聞くんです。魚たちですか」


「アー」

 カグツチが、ずっと沖のほうを見ていた。もしかしたら、カグツチは、人よりずっと視力がよいのだろうか。


「カグツチ、何か見えるかい」


「オサカナ」

 カグツチは遠くを見たまま、答えた。


「魚か~。呼んだら助けてくれそう?」

 シェマは、やや自棄気味やけぎみだ。

「助けてくださーい。助けてくだすったら、何でも言うことを聞きまーす」

 海に向かって、叫んでみた。


「オサカナ来ルって」とカグツチが言うのと、『何でも?』と、波打ち際に、ざぶんと誰かが打ちあげられたのと、ほぼ同時だった。


「オサカナ」

 カグツチが、その者を指さした。


 腰布を巻いた他は浅黒い素肌という青年だった。

 うねる銀の髪を一度振ると、水は珠となって散った。

『オレは伊佐波いさはのサヒモチ。ちょうど嫁を探していた。助けてやるから嫁になれ』


 青年が指さしたのは、シェマだった。


「ティフィンさーん!」

 シェマは必死の形相でティフィンを呼んだ。

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