27話  島渡り 1

 遊び宿の離れは燃え尽きて、火事はおさまった。


「すまないねぇ。けがはないかい」

 遊び宿の女主人は、近所の者にあやまってまわっていた。

十三詣じゅうさんまいりの御一行の部屋から火が出ちまって」


「離れになっている部屋で、他に燃え移らんでよかったじゃないか」

 朝になって近所の者どもが、燃え残った材木などを片付けにきてくれた。

「みな、酔って、ぐっすりと眠っておったんだろうな」


 焼け跡からは、大人ふたりに子供ひとりと思える黒焦げの塊がみつかっていた。


 その辺りを、くぅ~ん、くぅ~ん、と鳴いている仔犬がいたが、しばらくするといなくなった。



「離れの土間には灯籠とうろうの油置き場でもあったからさ。あっという間に燃えちまってね」

 あまりのことにか、かえって遊び宿の女将は笑っているようにも見えた。


亡骸なきがらは、こおりの外のどこへでも始末しとくれ」

 遊び宿の女主は下人に言いつけて、あくびした。

「あたしゃ、夕方からの仕事にそなえて、寝ることにするよ」


 下人は、くさった顔で仕事にとりかかった。

 遺体をくわで持ち上げると焦げた塊が地面に落ちて、くずれた。

「こりゃ、川へ流すか」




 一方、シェマたちは飾磨郡しかまのこおりからは、ひとっ跳びして、どこかの丘にいた。

 シェマもティフィンも木陰で休んでいた。

 酒が抜けるまで、とにかく動けなかった。覚醒の薬を用いる手段もあったが、とにかく水筒の水をがぶ飲みして酒精を抜くことだ、薬に頼ってばかりではいけないと、ティフィンが朦朧もうろうとしながらも言うもので。

 無防備な部分は、シェマの中のユーフレシア皇子とカグツチが、おぎなっていた。


「どうして、そんな趣味の悪いことをカグツチにさせたのです」

 シェマは、自分の中のユーフレシア皇子に文句たらたらだった。 


『死んだと思わせた方が好都合だからだ』

 ユ―フレシア皇子の答えは、しれっとしたものだった。


 カグツチの結界に守られてヤチグサの宿から撤退する際、ユーフレシア皇子はカグツチの歯を三本差し出させ、見るからに黒焦げの遺体を作らせた。


『チグサ。あの女は執念深そうだからな』


 皇子本人のせいではないが、ヤチグサは自分の赤子を亡くしたのだ。恨まれてもしかたはない。


「もしかしたら、三之宮さんのみや晶洞しょうどうで襲ってきたおうなも、チグサさんなのですか」

 シェマは、偽神にせがみおうなあめを口に突っ込まれたときのことを思い出していた。


「いや。それはちがいましょう。ものは術者。焼き殺す以外の手段を使うでしょう」

 やっと、ティフィンが木陰から立ち上がった。

「あの偽神の術に使った白練しろねり色の帯は、たしかに産屋うぶやにたずさわる者の持ち物ではありましたが」


『こんなにわざわいに巻き込まれる十三詣じゅうさんまいりなぞ、ありえないぞ』

 ユーフレシア皇子は、そう言いながらも楽しそうではないか。


「わざわいの種をまき散らかしてるのは、皇子のほうな気がします」


 〈身代わり〉の術は、思った以上に暗く重い術だった。

 ぶるっと、シェマは身体からだがふるえた。


『言うねぇ。叔父上。帝位継承権一位のわたしは、よほど誰からか、けむたがられている。今までも何べんか毒殺、暗殺されかけている。そっとしておけば、わたしは遅からず衰弱して死ぬだろうに待ちきれぬらしい』


「毒殺に暗殺? なぜ、そんなことを?」

 シェマは眉をひそめた。


『はっ、はぁ。わたしよりも箱入り息子』

 ユーフレシア皇子の辛らつな調子にも、シェマは慣れつつある。


『わたしが、ここまで生きのびてこれたのも帝の正式な嫡男であり、後ろ盾である大臣おとど家が権力を思うままに行使し、金銀財宝惜しみなくを注ぐことをいとわなかったからだ。叔父上、おまえだって上皇の落としだね。すべからく恩恵を受けて——』


「あー、水をいっぱい飲んだせいですね。小用に行きたいです」

 シェマは、膀胱ぼうこうを刺激しないように立ち上がった。


「お供します」

 ティフィンも立ち上がった。まだ、多少、ふらつくようだ。


『聞いていないな、おまえ——、わっ』

 ユーフレシア皇子が突然、大声をあげたので、シェマは足がもつれた。

『なんだ。ここは丘じゃないぞ! 水に囲まれている!』

 シェマの目でユーフレシア皇子が見たものは。


「おどかさないでくださいよ! ちびったじゃないですか!」


ウミ、ダ」

 ついてきたカグツチが、はるか向こうを指さした。

 そこには真青な海が広がっていた。


『海』

 ユーフレシア皇子は理解が早かった。

『なんか音がすると思ったら、波の音だったか……』

 日の光を受けた、ちいさな光のとげが、きらきらと海面に立っていた。


「カグツチは、どこまで跳んだのですか」

 遅れてきたティフィンが、頭を抱えていた。


『そこはカグツチにまかせたから』

 さぁなと、ユーフレシア皇子は。


「いいいい加減!」

 シェマも海を見たのは、はじめてであったが、それよりは急な用事で、少し離れた大岩の陰にかくれ小用をすませたかった。シェマから放たれた水分は大岩の面をかすめ、流れを作って乾いた地面をつたった。


 空気が鳴動する御声があがったのは、そのときだ。

『わ~れの眼前で小便たれるたァ~、いい度胸だなァ~』


「——」

 声も出ないシェマを、ティフィンがひっつかんで大岩から離した。

祝詞のりとをっ」


 ユーフレシア皇子の声が唱えた。

とお御祖みおやの神、御照覧ましませ!』


 途中から、シェマも唱和する。

「もろもろの禍事まがごと、罪、けがれ、あらむをば。はらへたまひ、きよめたまへと——。かしこみかしこみ、もまをす!」

 途中がぶっ飛んだ。


『省略し過ぎだろ!』

 ユーフレシア皇子に怒鳴られた。


 とりあえず、平伏の姿勢で人ならざる者の出方を待つ。


たたる』

 びりびりとした声が、ただ一言だけ聞こえた。


 シェマは青ざめた。

「どどどどのような祟りでしょうか」

 うろたえついでに聞いてしまった。


『一歩、歩むたびに

 声が告げた。


「……」

 一生? とか聞いたら、もっと怒りを買いそうなのでシェマは押し黙った。


『いや過ぎる』

 シェマの中のユーフレシア皇子がつぶやいた。


「おおおゆるし願えませんでしょうか」

 シェマは姿の見えぬ者に平身低頭、謝る。


 そのとき、ティフィンだけは冷静に、その声の出所を探っていた。

 シェマは祝詞のりとを完全に唱えていない。それで降臨する神とは、はずれ者の可能性がある。もしくは三之宮さんのみやのときのように、偽神にせがみであるやも。

 はたして、大岩の影にひそんでいる、おおきめの衣に身を包んだわらわをティフィンは見つけた。

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