29話  島渡り 3

 海からあがってきた青年は、サヒモチと名乗った。そして、『助けてやるから嫁になれ』、そう、シェマに告げた。


『何でも言うことを聞くと、その者が言った。だから来た』

 銀のうねる髪、浅黒い肌のサヒモチは言い張った。


「言ったんですか? シェマ殿」

 浜まで駆けてきたティフィンが、ちらんとシェマを見る。


「言いました。すいません」

 シェマは自棄気味やけぎみになったことを後悔している。


「こちらのカグツチなら嫁にやろう」

 ティフィンが申し出た。だが、サヒモチは速攻断ってきた。「かわいい感じのがいい」


「いや、カグツチもかわいいだろう?」

 ティフィンが妙なところで心づかいを見せる。


 誰もが、やや沈黙気味になるところを打破したのは、シェマの中のユーフレシア皇子だった。

『申し訳ないが、わたしは嫁には行けぬ。わたしのつまは、この者だ」

 そう言って、ぐっと、シェマの腕でもってティフィンを引き寄せた。


「えっ」「え」と、シェマとティフィンがあわてると、『黙っとけ、馬鹿』とユーフレシア皇子に止められた。馬鹿は、まちがいなくシェマに言ったのだろう。『さっさと話を終わらせたいんだよ』


『えー、残念』

 サヒモチは求婚も早かったが、引き際も早かった。


『しかし、わたしたちを助けてもらえれば、嫁探しのお手伝いはできる』

 ユーフレシア皇子が持ちかけた。


『そうなんだ。じゃ、助けてやるよ』

 サヒモチは、こころよく受けあった。


 ティフィンが非常に困った顔をしているがシェマにも、どうにもできない。

 とにかく、これでどうにか、この島から脱出できる目途が立った。

 サヒモチの案はこうだ。 

「あんたたちは運がいい。今夜の月は上弦の月が少し欠けたばかり。それは深夜に西の海に沈むんだ。そのとき海に浮かんだ月の舟に乗れば、あんたたちの行きたい場所へ行けるだろう」


「月ですか」

 シェマは似たような話を聞いた気がした。

「満月が海に半分沈んだときに、そこへたどり着けば月に行けるんでしたっけ」


「そんなことを! 人が言うのを、はじめて聞いたよ」

 サヒモチは笑った。

「誰から聞いた?」


「ウサギです。たぶん」

 あの茶色毛皮の少年は、もうウサギでないとしても。



 深夜までは、まだ時間があった。

 砂浜で月が海面に沈むのを待っているのも退屈だ。

 サヒモチは、カグツチと波打ち際で相撲をとりだした。

「さぁ、来い」

「うーヌ」



 シェマが気がつくと童神わらわしんが、そばに来ていた。

 シェマとティフィンと、いっしょに並んで海を見ていた。


甕星みかぼしさま」

 シェマが呼ぶと青玉の目を甕星みかぼしは、くるんとさせた。


『ああ。あれから何か、おぬしらにやれるものはないかなと考えておった。じゃじゃーん。ひれ伏せ、人よ』

 甕星みかぼしは、くちゃくちゃ何か噛んでいたが、ぺっと、どこから出したのか手にした大盃に吐き出した。

口噛くちかみの酒じゃ。授ける』

 差し出してきた。


「わたしは十三になったばかりの子供でして酒は、まだたしなみません」

 シェマは堂々と、うそをついた。


「ありがたく、カグツチにいただきます」

 ティフィンが大杯を受け取った。


『して、なんで五之宮いつつのみやが、あそこで相撲をとっておるのじゃろ』

 今、気がついたとばかりに甕星みかぼしは、長い袖にかくれた指先で、波打ち際のほうを指し示した。


「いつつの?」シェマは聞き返した。


『ほれ、あの、腰巻だけの男——、おぬしの連れじゃないほう、銀の髪の御方』


 相撲をとっている男ふたりが、どちらも半裸なのに気がついて、甕星みかぼしは、サヒモチのほうを袖でさした。

 半月は今、中天にさしかかったところだ。そのひかりにも、青年の銀髪は輝いていた。


『あの方は五之宮いつつのみや佐比持神さひもちのかみさまであろ。なんで、あそこで相撲をとっている』


「ええっ」

 シェマはのけぞった。


 ティフィンは息を飲んだ。

「サヒモチ。佐比持神さひもちのかみ。そうか、あんまりにも不良の漁師ちゃらっぽくて、神さまに見えませんでした。あれが五之宮。神気を消していませんか」


『たしかにー。五之宮は、神さまの中でも困ったちゃんなのじゃ。人にウザがらみするのが大好物じゃ』

 甕星みかぼしは袖で口元をかくし、笑っているようだ。



「あー、ひさびさ、よい運動をした」

 浅黒い肌に銀髪の青年は、ちょうど、カグツチを砂の上にひっくり返して、御満悦なところだ。


 シェマは、恐る恐る声をかけた。両手は腹の位置に置く。

とお御祖みおやの神、御照覧ましませ。もろもろの禍事まがごと、罪、けがれあらむをば——」


『ん。祝詞のりとか』

 銀髪の青年はシェマに近づいてきた。

 シェマは内心、びびったが、祝詞のりとをやめるわけにはいかない。

はらへたまひ、きよめたまへと。まをすことを聞こし召せと。あまつ神、くにつ神かみ、八百万神等共やおよろずのかみたちととも聞食きこしめせと。かしこみかしこみ、もまをす」


 祝詞のりとを唱える間に、サヒモチは息がかかるぐらいにシェマに近づいた。

『いい祝詞のりとだ。身体からだの芯がしびれる』


佐比持神さひもちのかみさま! 五之宮詣いつつのみやもうでをおゆるしいただきたく!」

 どうやって入り込んだのか、サヒモチとシェマの間にティフィンが割入っていた。


『あ、オレ?』

 サヒモチが、きょとんとした。

『あ、そっか。オレ、五之宮なのか。最近、人が勝手に、そう呼んでるなーと思ってた』


「五之宮は内海の多島の神。ここも神域でありましたか。気がつかず、失礼をいたしました」

 ティフィンは割入ったまま、申し開きをした。


『内海には名もなき島も多いゆえ。よう来たと言うてやりましょう』

 甕星みかぼしが、とりなしてくれているつもりらしい。


『何、あんたたち、結局、オレんとこに来たかったの』

 サヒモチがティフィンをはさんだまま、シェマの肩に両の手をまわした。

『じゃ、もう一度、考えてくんない。嫁の件』




 さて、上弦の少し欠けた月が、海に浮かぶ。

 佐比持神さひもちのかみの言うとおりなら、月の舟に乗り、シェマたちは五之宮に行けることだろう。


 えーいや、さっと。

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