15話  三之宮詣り〈偽神〉

 晶洞しょうどうの御堂のように開けた場所でシェマは、ひとりだった。

 ティフィンと保知ぽちとは、ちがうみちに進んでしまった。うしろを振り向いたが、来たはずの参道はない。消えていた。


 かるい後悔にシェマは、ひたった。

 水晶の結晶に彩られた空間は、おそれを感じるほどに澄んでいた。

 見上げると相当な高さから、いくつもの水晶の柱がたれさがっている。


とお御祖みおやの神、御照覧ましませ」

 思わず、シェマは祝詞のりとを口にした。


「もろもろの禍事まがごと、罪、けがれらむをば。はらへたまひ、きよめたまへと——」


 ひとりでは、神にすがるしかないと思えた。

 唱え終わらないうちに、須受すずのような音とともに、シェマの目の前に光の柱が立った。それは、白髪のおうなの形をとった。


「——よう来た」

 おうなは一息で、歩いた気配もなくシェマのそばへ来ていた。

「ほれ、加護をやろう。あーん」


 いつのまにかおうなは、その左手のひらにのせた水晶のかけらを、だんごのように指先で、こねくりまわして、おおきめの勾玉まがたまほどにしていた。

 そして、シェマに口を開けるように、せっついた。


 三ノ宮さんのみやに祀られている神はおうなだったか。

 いや、その御姿は人になじみやすい姿をとるのであって、常ではないのだともいう。


「あ」

 逆らえず、シェマはとまどいながらも口を開いた。


「それ」

 白くもやを固めたようなあめが、ころりと、シェマの口に差し入れられた。

千歳ちとせの飴じゃ。加護じゃ。とこしえの、しあわせを、じゃ」


 シェマの口の中を、つよい甘さが満たした。つよすぎて舌がしびれるほどだ。


「はぁ、る、かみ」

 口中いっぱいになったあめで、シェマは、覚えていた三之宮さんのみやの神の名を、うまくしゃべれない。


「くれぐれも、あめをのどにつまらせぬようになあ」

 白髪のおうなは歯茎を見せて、にぃと笑った。


「……うっ?」

 シェマは口中であめをころがすが、それはいっさい溶けないどころか、歯にへばりつき、唾液だえきを含んで、おおきくふくらんでいる気すらする。

「う? う?」


阿呆あほぅ! 吐き出せ!』

 シェマの中でユーフレシア皇子の声が明滅した。

 シェマののどを、一気にあめがふさぐ。


(息、できない……)


『ティフィン! ティフィン! こっちだ! 来てくれ!』

 ユーフレシア皇子の叫ぶ声が、遠く、近く、遠く——。


 がくりと、地面にシェマは、ひざを落とした。倒れ込む身体からだをどうにもできない。

 壁の水晶の結晶がゆれていると思えたのは、シェマがめまいを起こしかけていたからだ。

 左手が空をつかむ。右手が壁の結晶の結晶の根元をつかんだ。小さな結晶のいくつかが手のひらにささる。痛さに一瞬、意識がはっきりとした。


 おぉうぅ。

 獣の雄たけびがして、白い影がシェマの目の前をかすめた。保知ぽちだと思った。


「シェマ殿!」

 名を呼ばれ、シェマは、うしろから抱え上げられた。

 腹の辺りを、ななめ上に強く突き上げられた。何度か、突き上げられるうちに、あめが、のどから飛び出した。それは地面に落ち、砕け散り、じゅう、と水晶の地面の上で黒い煙をあげて蒸発した。

 シェマは、はげしく咳き込み、くずれ落ちた。ティフィンの腕の中だった。


『あぶなかった……』

 シェマの中のユ―フレシア皇子も、ふらついているようだ。

 彼の本体は、今も王宮の一角、皇子の寝所にあると思えたが。


保知ぽち、逃すなよ」

 ティフィンの視線の先で、仔犬はおうなの、のど元にかみついていた。

 白髪をちぢに乱し四肢をひくつかせた老婆の身体からだは、ぶるんとふるえたかと思うと、じょじょに、ちぢみはじめた。

 そして、最後には 一本の白練しろねり色の紐となった。

 それを保知ぽちは、がしがしと牙で裂いた。


「それぐらいでやめておけ。保知ぽち

 ティフィンが紐の端を踏んだ。保知ぽちは、しばらく、ティフィンと紐の引っ張り合いになったが、「干し肉と取り替えよう」とティフィンが腰の皮袋に手をやると、素直に紐を口から放した。


「……」

 ティフィンは黙って、ふところから手拭てぬぐいを出すと、それ越しに白練しろねり色の紐を注意深く、かき集めた。


『ティフィン、ティフィン』

 水晶の地面に横たえられたシェマの中から、ユーフレシア皇子が呼んでいる。

『叔父上の意識が戻らない』


 急いでティフィンは、シェマの元へ戻る。保知ぽちもやってきて、シェマの頬に鼻面をすりつけた。空の椀のように、ぐらぐらとシェマの頭はゆれるだけだ。


『何が千歳ちとせの飴だ。毒物だ』


「魔物に何か含まされたのですね」


『あいにくと毒消しをすべて使いきったところに、これだ』


「三之宮の羽明玉神はあかるのかみさまなら、解毒の方法を知っておられるやも」


『叔父上の祝詞のりとが途中でさえぎられた。続きを』

 ユーフレシア皇子は朗々とたてまつった。


まをすことを聞こし召せと。あまかみくにかみ八百万神等共やおよろずのかみたちととも聞食きこしめせと。かしこかしこみ、もまをす』

 


 辺りの白水晶が、一瞬、光の布になぜられたように変化をみせた。

 

『水晶どもがァさんざめくと思うたらァァ』

 晶洞の天井からは、いく本も白水晶の柱がたれさがっていたが、中央にある、ひときわ、おおきく透明な水晶から声が響いた。

 水晶の中に、白髪のおきなの姿が浮かんでいた。


 ティフィンは、はっとして、「かしこかしこみ、もまをす」と、急ぎ、祝詞を唱えた。

羽明玉神はあかるのかみさまの御座所を騒がせましたこと、おゆるしください。十三詣じゅうさんまいりをせんとする、かそけき皇子に免じてお許しくだされ」 


『——皇子のォ十三詣じゅうさんまいりかァ。してェ、そこにィ横たわっておるのがァ皇子かァ』

 晶洞しょうどうの中、声はやわらかに反響する。


 羽明玉神はあかるのかみはティフィンの腕の中で、ぐったりしているシェマを、ちらりと見た。

『その者ォ、結晶をこわしたとォ水晶どもがうったえておるゥゥ』


「——恐れながら、羽明玉神はあかるのかみさまに申し上げます」

 ティフェンは、ずいと水晶の柱の前に進み出た。

「三之宮の神をかたる痴れ者が現れたようにございます。その術により、いたしかたなく」


『そのようなァ者の侵入をゆるすとはァァ、今生帝の代になりィィ、神域の手入れがおろそかになっているゥゥ』

「まことに、まことに遺憾なことでございます」


 晶洞しょうどうの水晶が、ちりちりと空気をゆらしている。

『今日のところはァ、すみやかに去れェ』


 白ひげの翁、羽明玉神はあかるのかみは不機嫌に言い放った。


羽明玉神はあかるのかみさま』

 シェマの身体からだが、ぴくりと動いた。半身をどうにか起こした。どうやら、ユ―フレシア皇子の意志がはたらいている。 

かしこかしこみ、もまをす』


『わたしの亡き母は、この三之宮に参詣したのちに、わたしを授かることができたと十三の宮の中でも、羽明玉神はあかるのかみさまを信心していたのです。わたしも、羽明玉神はあかるのかみさまの元へ、いつか参るのだと精進してきたのです。どうか、このかそけき者に加護と智慧をお授けあれ。魔物の毒がまわっております。羽明玉神はあかるのかみさまであれば、解毒の方法をご存じでしょう』


『ほォ。ひとつの身体に、ふたつの魂ィ。そなた、それほどまでに参りたかったかァ』

 白ひげのおうなは興味を持ったようだ。

 水晶の柱からもやになって、シェマのところへやってきた。


『そうかァ。覚えがあるぞォ。この三之宮さんのみやの水晶より、うつくしいものをわれは知らぬがァ、はかなき朝露のような人の魂も、また、うつくしいものかもしれぬゥ。その心根に免じて参詣さんけいをゆるすゥ』

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