14話  三之宮詣り〈湖底の晶洞〉

 垂水たるみ村には三日、滞在した。

 寝込んでいた病人に回復の兆しが見えたところで、先に進まねばならないという焦燥がティフィンをうながした。


(この十三詣じゅうさんまいりを、こころよく思っていない者がいる)

 その確信があった。


 こうなると保知ぽちのことも、魔ウサギのことも誰かのさしがねとも取れた。


(下々の流行りのように、一社、二社でおまいりを終えられるなら難儀はない)


 だが、シェマとユーフレシア皇子、特にユーフレシア皇子にとっては、すべての加護と智慧を手に入れねば意味をなさない。


「ゆっくり養生するのですよ。無理はいけませんよ」

 シェマは、まだ床上げできない病人にひとりひとり、別れの声をかけていた。


『言葉かけは、たやすいな』

 ユーフレシア皇子は皮肉を込めて、シェマだけに聞こえるようにつぶやいた。


「えぇ。でも」


 自給自足の山村で、休んで英気を養うなど無理な話だろう。

 それでも、シェマは願わずにいられなかった。


「毒消しを、すべて出してしまいましたね」

 今後の道中を薬なしで行くのは心もとない。シェマはティフィンにどうするのかを聞きたかった。


「修行寮に特急で薬を届けてもらうよう、知らせを放ちました。それまでに、山に薬草を集める役の者がおります。そこへ行って調達しましょう」


 今朝がた、ティフィンが山鳩を呼んでいた。おそらく、魔道の従属の術で、その山鳩に都の修道寮への知らせを託したのだろう。


「この垂水たるみの村にも、できれば養生薬ようじょうやくを届けてもらえないでしょうか。毒水を飲んだあとのさわりが心配なので」


「——そうですね。それは別便ででも」

 ティフィンはシェマの、つぼみのようにみずみずしい顔立ちを見た。


(この少年は、いつも他者に心を配る)


 どのような生い立ちをしたものだろう。

 上皇の落としだねとあれば、不遇ということもなく優遇ということもなく。母方の後ろ盾もなく、やっかい者という立ち位置であると聞いていた。



 今、山道をうねうねと、ふたりは歩いている。

 三之宮さんのみやは、山向こうだ。山の間の低い部分を伝っていく。山を登っていくのにくらべたら楽な行程だ。

「昼すぎには三之宮のほとりへ着きましょう」


「ほとり?」


「三之宮は湖の中のやしろなのです」



 山間の木立の間に現れる湖は、幻のようだという。

 今日のように、風もなく晴れた日とあらば。



 木立が切れて、湖を認めたシェマは「わぁ」と、声をあげたのだった。

「こんな、うつくしいものを見たのは、はじめてかもしれません」


 湖面は磨きあげられた鏡のように、空を映していた。

 向こう岸は、けぶって見えない。


「あれが三之宮のやしろです」

 ティフィンが言ってくれなければ、シェマにはわからなかった。


 湖の真ん中ほどに、水晶の鳥居があった。


 最初、(どこに)と、シェマがいぶかしんでいると、「手を目のうえにかざし見て」と、ティフィンがコツを教えてくれた。鳥居は水晶であるがゆえに、空、または水を映して風景に溶け込んでいたのだ。


「ほんとうに幻のような風景ですね」

 シェマが感じ入っていると、「いや、幻なのかもしれぬ」とティフィンが言う。


「あそこへはどうやって? あ、舟で行くのですか」

 湖の岸辺に小舟があるのに、シェマは気づいた。


「そう。行けるときも行けぬときもある」

「……?」

「舟を出してはみよう」


 岸辺の杭に小舟はつないであった。

もうでる者が使うのです」

 ティフィンは杭と小舟をつないでいる縄をたぐった。

 小舟の底が土砂にあたらない絶妙な加減で留め置く。


 シェマはティフィンにうながされて、小舟に乗り込んだ。多少、頼りなさそうな小舟だ。その気持ちを代弁するように、保知ぽちは、なかなか小舟に乗ろうとしない。


「残していきますか」

 無理に乗せて小舟の上で暴れられてもと、シェマは思った。


「また、この岸へ戻ることができるとは限らぬ」

 ティフィンは思案して、「抱っこ!」と、保知ぽちに両腕を広げてみた。

 うぁぅ!、と、はずむ声をあげて、保知ぽちはティフィンの腹に飛びついた。


「うっ」

 けっこうな重量だったらしく、ティフィンが、かすかにうめいた。

「こいつは……、見た目より重い」


「ですよね」


「シェマ殿、舟はげますか」

 ティフィンは小舟の前寄りに、保知ぽちを抱いたまま腰を落ち着かせた。


「このように波のない場所なら、どうにか?」

 

 が船尾についている。

 にぎる部分を櫓腕ろうでという。水中に沈めている部分を櫓脚ろあしという。漕ぐときに、櫓は押して戻す。戻すときに、少しひねりを加える。これがコツだ。

 シェマは、おっかなびっくりぎはじめたが、すぐに要領を覚えた。


『ふふふ』

 シェマの中でユ―フレシア皇子が笑った。最近、彼は起きている時間が長くなった。

『このわたしにがせるとは、よい身分だなぁ。ティフィン』


「はっ。申し訳なく」

 ティフィンが、めずらしく動揺した。保知ぽちを抱えて腰をあげかけた。


「わっ、わっ。ティフィンさん、座っていてください」

 小舟がゆれる。シェマは舟の制御ができるほどの技量はないのだ。

保知ぽちは、わたしでは抑えられないのでっ」


『ふふふ』


「皇子も、お静かに。集中させてくださいよ」

 この頃では、シェマも自分の中のユ―フレシア皇子と対話するのに慣れてきた。何なら、声を発することもいらないのだ。頭の中で思えば通じた。


 すぃーっと、水晶の鳥居が近くなってきた。


 近づくと、さらにおおきさがわかる。

 鳥居の台石までも水晶の結晶であった。鳥居中央にかかげられている神額しんがくは古代文字が書かれているようだ。やはり水晶でできていて、いくつもの光の反射で文字は読めなかった。


「さて、どうであろうか」

 ティフィンは鳥居に向けて一礼した。

 シェマもを片手にそえたまま、一礼する。

「シェマ殿、このまま舟を進め、鳥居をくぐってください」

「わかりました」


 鳥居の二柱の間は大人がふたり、両手を広げたより広い。ゆうに余裕はある。と、思っている端から、ティフィンの指示が入った。

「鳥居の真ん中は神の通り道です。下座の左側からお入りください」


「えええ」

 なさけない声をシェマはあげた。

(そんな器用にできませんて)


『大丈夫だ』

 シェマの右腕に自分のではないが加わった。

『わたしも御する』

 ユーフレシア皇子だ。


「ありがとう」

 シェマは、ほっとした。


 シェマとユーフレシア皇子、ふたりは鳥居の真ん中をはずし、左を目指した。

 小舟の舳先へさきが、鳥居の真下に来たとき、ふぅっと奇妙な感覚が、を漕ぐシェマの手に伝わってきた。

 小舟は、吸い込まれるように鳥居の下をくぐった。


 小舟が完全に鳥居をくぐったとき、湖は消えていた。



 小舟すら消えていた。

 シェマとティフィンは、どこかのほらに立っていた。

 辺りは、すべからく水晶だった。


 ほらの壁や天井からは、白い水晶の結晶が獣の牙か爪のように突き出している。

 考えずに歩を進めたシェマの左腕の衣を水晶の先をかすめ、引っかかった自覚もなかったのに、衣は直線に断たれていた。


「気をつけて。水晶の切っ先がするどい」


「この先って、進めるんですか」


保知ぽちにまかせよう」


 保知ぽちは地面におりていた。ふとい足先の爪をふんばって、白水晶の上に立っている。

 よく見ると地面は、つちでたたいたかのような踏みしめたあとがあると思えた。

三之宮さんのみやの参道なのですか、これは」


「あぁ、人が通ることによってできたみちだろう」


 保知ぽちは、ふんふんと鼻を鳴らした。風を嗅ぎ分けているのだろうか。それから、「こっちだよ」と言わんばかりに一回、ふりむくと先導しはじめた。


 晶洞しょうどうの参道は、ひろくなったり、ほそくなったり、うねうねと続いた。ときには、人ひとりしか通れそうにないところもあった。


 保知ぽちが先頭、ティフィンがそのあとに、最後にシェマが抜けていく。

 壁の水晶の結晶に、いくつもの彼らが映っていた。

 いつのまにか、シェマは、そのティフィンと保知ぽちの映し身を実と見あやまった。それに気がつかぬまま進んでしまった。


 ほどなく晶洞しょうどうの先に、もっと青白い光が見えはじめ、御堂のように開けた場所に、シェマは出た。

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