16話  解毒

 どうか、このかそけき者に加護と智慧をお授けあれ。ユーフレシア皇子の願いが

羽明玉神はあかるのかみに届いたのか。翁の姿を現した神はしずまったようだ。

 静かに水をたたえる湖のやしろの神は、刃のような水晶を内包する神でもある。


(神の喜怒哀楽。その感情の起爆が入るきっかけを、人が知ろうとするのは恐れ多い。怒るときも瞬時だが、機嫌も瞬時におさまるのが、この羽明玉神はあかるのかみだ)

 参詣さんけいを許されたシェマをおぶって、ティフィンは正しい晶洞しょうどうを歩いている。(保知ぽちは)と、ふりむくと気ままについてきていて、ほっとした。


『その若者をおぶってェ、やしろのまわりの参道を五度巡れェ。そのうちによくなるゥ』

 羽明玉神はあかるのかみは白水晶の守り刀のような一片を、シェマのふところ、素肌に、じかに差し入れもした。


『われの加護と智慧を授けるゥ』


 やしろいうのは、羽明玉神はあかるのかみが出現した、ひときわ大きく透明な水晶の柱のことだった。



 参道を巡りながら、ティフィンは考えていた。

(ともかくも毒消しを、調達せねば)

 

 この旅は、誰かに妨害を受けている。

 こうしてシェマが狙われて、ティフィンは、さらに確信した。

(狙いの実は、ユーフレシア皇子だ)


 シェマという少年も血筋で言えば皇族。だが、上皇亡きあとは後ろ盾はいない。万が一と暗殺を謀るなら、もうとっくに墓標の下の人になっているだろう。


 このように狙われることを、ティフィンは想定していなかったわけではない。

 だが、これほどまでに執拗にとは考えていなかった。


(そも、皇子の十三詣じゅうさんまいりにしては供が少なすぎる)


 だが、古代からのいわれを予言部が重視した。


 皇子の十三詣じゅうさんまいりは、ただの社巡やしろめぐりではない。

 初代の帝が母国を戦乱で追われ、海をわたり、この地にたどりつくまでに、十三の難題と十三の悪鬼を葬った故事による。

 試練を乗り越え、世継ぎとしての器を知らしめる行程なのだ。

 今では形骸化けいがいかした行事であるものを、予言部が古代の習わしの復権とばかりに申し立ててきたのは、帝の嫡男であるユーフレシア皇子の健康が優れぬとわかってからではなかったか。

 ユーフレシア皇子の下に、いく人か異腹のきょうだいが産まれてからだ。


 十三詣じゅうさんまいりの完遂が世継ぎの条件なら、早々に、ユーフレシア皇子は世継ぎの候補からはずされる。

 だからこそ、身代わりを立ててまで、皇子の十三詣じゅうさんまいりを願ったのだ。


 身代わりの術とは、失敗すれば悲惨な術だ。

 身代わりの器となる少年は、魂が近しいものがよい。年齢か、見た目か、やはり血か。

 だから、ユーフレシア皇子に異腹の少年を差し出させてきた。

 今生帝のねやに呼ばれた女の中で身籠ったものの、取るに足りぬ者もいる。

 母親に子を差し出せとは、どういう説得をしたのだろう。

 金と引きかえか。それとも、うまくいけば、ユーフレシア皇子が帝になったあかつきには、側近くに取り立ててやるとでも。泣き叫ぶ母から、いやがる子を引きはがしたかもしれぬ。

 ともあれ、その異腹のきょうだいは、シェマが身代わりとなるまでの術の研鑽けんさんとなったのだ。


『……ティフィン』

 おぶさっているシェマの、ティフィンの肩に、だらりとかかっていた両の腕が持ち上がり、青年の首にやわらかくまわされた。脚は、うまく持ち上がらなかったが、ティフィンの腰をはさむ意思をみせた。

「皇子、脚が動かせるようになられたのですか」

 驚くティフィンの首筋に少年の息が、ふふっと笑うようにかかった。

おきなの加護が、身体からだにしみたようだ。じきに、叔父上も回復するだろう』


「……五周、しました」


『叔父上は目覚めぬなあ』

 ユーフレシア皇子は、どういう気持ちになったのであろうか。両腕に力を込めて、ティフィンの束ねた髪の辺りに顔をうずめてきた。

 ティフィンは首筋をくすぐられて、ぴくんと反応してしまった。それが武人にあるまじき子供のようで、ユーフレシア皇子は腹から笑えてきた。


「——同化がはよぅございますか」

 ティフィンは、浮かんだ羞恥をごまかした。


『怪我の功名』


「急ぎ過ぎてはなりませぬ」


『うむ。叔父上を壊してはならぬ』



 どこからか、晶洞しょうどうの中、風が流れ込んできた。

 わう! 保知ぽちが駆けだす。


 あたりまえのように、視界が白い光であふれ、気がつくとティフィンはシェマをおぶさったまま、湖の岸辺に立っていた。

 ただし、来たときとは別の岸辺だ。


(ここから薬師部やくしべの里に行くには)

 ティフィンは太陽を見上げ、自分の影をたしかめた。 


「あれれ、いつの間に」

 ティフィンの背で、ようやくシェマが目を開いた。

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