17話  薬師部の里で〈前編〉

 ティフィンとシェマと一匹は、自分たちの影をうしろに従える方角へと歩いていた。

「ここから四之宮よんのみやを目指す前に、薬師部くすしべの里を訪ねます」

 


 薬師部くすしべと呼ばれる里は、いくつかあるのだと云う。その地の薬草を採取し、また、薬草を育てる直轄の禁猟区である。

 手持ちの毒消しがないまま、旅を続けるのは軽率すぎる。

 都から薬が届くのを待つのは、少しの時間がかかる。

 薬師部くすしべの里に寄り、薬を調達し、かつ、修道寮薬司しゅうどうりょうくすりつかさから届く薬を待とうというのが、ティフィンの考えだった。


薬師部くすしべの里まで、あとどのくらいですか」


「はっきりとは計れません。おそらく、四半刻しはんとき、または一刻いっこく

 ティフィンの言う時間の幅がありすぎだ。


「四倍の差は、どこで?」

 

「里の近くまで行くと、のです。招かれない人間は、いつまでたっても里に着きません」


 ふしぎな里らしい。

 辺りに、まねかずの香を焚きしめて、部外者に立ち入らせないようにしているという。


「招かれない人間は?」


「ついには、いつのまにか山のふもとへ降りているそうです」


 山路は、なだらかだった。

 木立は広葉樹だ。少し季節は進んだ。

 ただ、さきほどから霧が濃くなっている。地面が冷える朝方でもなく、さらに晴天であるのに。


「これが、まねかずの香ですよ」


 香としたら無臭なのか。

 いや、かすかに甘いと思ったら低木に、ちいさな白い花が咲いていた。その木の横に、また、花のような童女がたたずんでいた。


「——ヤマモモのひめ、おわします。ヤマモモのわかもの、よりそえば」

 ちいさな口で懸命に暗唱している。


 すかさず、ティフィンが、「ヤマモモの実がみのります」と、応えた。

 すると童女は、にっこりと満面の笑みを咲かせ、くるりと、きびすを返して茂みの中へ走って行った。

 わぅ! 保知ぽちが、そのあとを追いかける。


「まれびと(客人)あるー。知召しらしめすべきー」

 童女の声が、遠くに響いた。


「あのような童女が」

 シェマがいぶかしむと、ティフィンは落ち着いた様子だ。


「あれが、薬師部くすしべの里の符牒ふちょうです」


 木立に立ち込めていた霧が、すぅっと一筋、みちのように晴れた。


「さ、行きましょう」

 ティフィンが先を歩いて行く。


 霧の中の、ほそいみちを歩いていると、シェマは雲の世界に立ち入ったような心地になった。


 (自分の場所から遠くに連れ去られたような、どころを失ってしまうような)


 昔、こんな濃い霧に包まれたことがあったと、ふいにシェマは思い出した。

(あれは、四つばかりのころであったかな)


 三之宮さんのみやのときのように、はぐれてはいけない。シェマはティフィンの甲冑かっちゅうの後姿を追う。それにしても、ティフィンの歩き方は早い。

「あっ、あの」

 情けないが、シェマはティフィンを呼び止めた。

「手を、つないでいただけませんか」


「……」

 ティフィンが息を吐いたか、返事をしたのか。振り向いた顔は、見ようによっては、怒っているような顔だった。


「はぐれそうで……」

 子供っぽいことを言わなければよかったと、シェマの声が小さくなった。


「——直刀ちょくとうさやをお持ちください」

 

 ティフィンは腰帯の左に直刀ちょくとうをさげている。ななめに、うしろに突き出したさやに手をたずさえておけば、はぐれることはない。


「ありがとうございます」

 シェマは、ほっとした。



(あれは、四つばかりのころであったかな)


『それでは、冬師とうしさまのおっしゃることを、よく聞いて精進するのですよ』

 たしかに、そう言ったのは母だったと思う。口元しか思い出せぬ。

 修道寮の応接の間であったか。

 そうだ。去る母を追って、シェマは外へ飛び出したのだ。

 濃い霧で母の姿は、もう見えなかった。


(忘れていた。てっきり、産まれてすぐ母は、わたしのもとを去ったのかと。母は、わたしが物心つくまでは修道寮に立ち寄っていたのか)


 そうしているうちに、霧がうすくなり木立の向こうに茅葺屋根かやぶきやねがみえてきた。


 薬師部くすしべの里にちがいない。



「ただいま、戻りました」

 意外だったのは、ティフィンの一言だった。


「おかえり。いとし子」

 迎えたのは、壮年の男だった。


「ただいま?」

 シェマの疑問は口に出てしまった。


「おや。お連れさま。申し遅れました。鳥取部とりとべのティフィンの父、薬戸やっこのマルトマでございます。薬師部くすしべの末席に座するものです」

 それは、謙虚な戯言ざれごとだった。


「父上。早速ですが、薬を分けていただけないでしょうか。立ち寄った垂水たるみ村で、毒にあたったものが大勢いて、手持ちの毒消しを使い果たしました」


「それは難儀な。して、垂水たるみ村の被害は」

 そこをまず気にする、この人は心根の厚い人なのだろう。


「いく人かは間に合わず。しかし、おおよそは助かったというところです」


「単なる事故で発生した毒ではないのか」


「そのようです」

 ティフィンは声をひそめた。

「どうやら、この十三詣じゅうさんまいりをよく思わぬ者がいるらしく」


 次の間から、女童めわらわが椀をのせた盆を運んできた。

 椀をシェマとティフィンの前に、それぞれ置いた。

 小花の木の下にいた女童だろうか。髪の長さがちがう気がする。


 椀の中は、薬湯であるようだった。ほのかに茶色味がかっている。

 シェマは早速、のどの渇きをうるおした。

 香ばしくもあり、さわやかさもあり、雑味もない。

「おいしいです」

 素直な感想が口から出た。


「お口に合いましたか。土地の者は少し煎じたものも好みますが、はじめて口にされる方は、おなかにくることもありますから、これは中温で抽出した、いちばん茶でございます。よろしければ脈を診ましょう」


 三之宮さんのみやで受けた打撃からは回復はしていたはずだが、どうやら、まだと視診されたようだった。

「お疲れでありましょう。薬草を入れた温湯おんゆをなさるとよい」


 温湯おんゆとは、貴人の療養方法である。

 都では、人ひとりが入るほどの木の桶に、適温の湯を貯めてつかる。

 驚いたことに、ここには、人ひとり入れる大きさを、くり抜いた大岩が母屋おもやとは別の小屋の中に据えてあった。


 何人もの下人たちが桶にくんだ清水を、その大岩のくりぬいた部分に、ざっと開けていく。水が満たされたら、近くのかまどの熾火で焼いた赤子の頭ほどの石を、くわですくって、そろりそろりと慎重に水の中へ入れるのだ。石は、じゅっと激しい音を立てて沈んでいく。


 焼けた石を、そろりそろり。じゅっ。

 焼けた石を、そろりそろり、じゅっ。

 水があふれそうになると、手を突っ込んで、つかめる温度の石から取り出していく。そのころには、大岩にためられた石は、ぬるま湯くらいにはなっている。


 そうして、手のひらで湯の温度をたしかめた下人が、「ええ感じだ」と、うなずいき、乾燥させた薬草を手拭いに包んだものを湯に放った。

 

 その行程を、シェマは飽きもせずながめていた。

 なんなら手伝ってもみたかったが、ティフィンには「病み上がり」、そこにいる下男たちには、「まれ人さま」と、止められた。


「使用人たちは、まれ人へのもてなしの分、いつもより対価をもらえるのです。仕事を奪ってはなりません」

 そうもティフィンに、たしなめられた。

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