3話  一之宮詣り〈犬鳴の洞穴〉

  「あ!」と、声をあげて立ち上がってしまったシェマに、怒気が振りむく気配がした。

 一直線に怒気は、シェマに照準を合わせた。押し寄せてくる。


 (えぇい。何もせぬよりまし!)

 シェマは尻に敷いていた白い毛皮をひっつかむと、怒気めがけて投げつけた。


 くるん、くるん、ばさり。


 白い毛皮は空中で、に引っかかった。

 毛皮は、右に左に迷走しはじめた。


「でかした! シェマ殿。える!」

 起き上がった青年は、直刀ちょくとうを握り直した。


 毛皮は、ぐるぐると正気を失ったように駆け回り、岩壁に勢いよくぶつかって、きゅうと悲鳴のようなものをあげて、それきり。地面に落ちた毛皮は動かなくなった。


 青年は大股で毛皮に近づき、両の手で直刀ちょくとうの柄を握りしめると、足元の白い毛皮のふくらみを突き刺そうと——。

「待って、待って。それ、かつては神さまの一部ですよね。正体をたしかめなくていいんですか」

 シェマは、あわてて止めた。


おりだと言った。生かしておいても、わざわいしかなさぬ」

「でも」

「では、たしかめてみろ」

 青年は刀の構えを変えぬまま、あごで示した。


 シェマは、おっかなびっくり、白い毛皮の端をつまんで持ちあげた。

「……えません。何も」

 いるはずなのだが、えないのだ。


「そういうものだと言ったろ。毛皮を戻せ」

 青年がそう言うから、シェマは白い毛皮をつまんでいた手をはなした。

 白い毛皮の小さなふくらみが戻った。

「思ったより小物のようだ。死んだか」


「いえ。まだ」

 シェマは、白い毛皮のふくらみに、弱い気の気配を感じていた。


「シェマ殿はえるのか」

「修業中の身です。なんとなくです」

「では、抑えられるか」

「どのようにしたらよいのでしょう」

「その毛皮にくるんだまま、日の光の届くところまで運べ。日の光にあたれば、魔は溶解する」


「なるほど」

 シェマは、そっと毛皮ごと視えない何かをすくいあげた。

 そのときだ。


『あまーい、あまーいアメで、くーるんだ』

 ふいに、また、脈略なく言葉が頭の中で跳ねた。


『カーゴナァ、ナァカナ、トォリハ』


「だ誰?」

 シェマは狼狽し、くるんだ毛皮を持つ手に、ぎゅっと、ちからが入ってしまった。

 そのとたん。


 腕の中の毛皮が、ぶるんと身をふるわして跳ね上がった。


「ぎゃっ」

 のけぞったシェマのうしろに、青年が素早く入り込んで受け止める。


「何をした⁉」

「何も! 声が!」


 ふたりの目の前では、白い毛皮が跳ねていた。


 くるん。くるん。

 何回か回転すると、毛皮が形をとりはじめた。


 しゅっと、白い毛皮は一度、こぶしほどの大きさに縮んだ。それから、ぽんっとかるい音を立てて、仔犬ほどの大きさになった。

 というか、仔犬だった。

 白い綿のような毛並みだ。


「え」

 シェマは、見えたものが信じられなかった。


「シェマ殿。何をした……」

 青年が、はげしくシェマを見とがめる目をする。


「わたしは何も」


われだ。叔父上は何も』


 今度の声は青年にも聞こえたらしい。

「ユ―フレシアさま」

 そう言って、シェマをみつめた。


「ん? んんん?」

 シュマの視線はさまよって、仔犬に落とされた。

「ユ―フレシア皇子、このようなお姿に⁉」


『ちがうよ……』

 声は、あきれた調子だった。


「ユ―フレシアさまは、シュマ殿の中だ」

 青年がシェマの胸を指さした。


「——んん?」

 どうにも、まだ頭が回らないと、シェマは思った。


『わたしが説明するよ。そのほうが話が早い』


 その声は、シェマの頭の中を直接、わしづかみにした。その不快感に、「わっ」とシェマは思わず頭を抱えて、しゃがみ込んでしまった。


『聞いて。叔父上』


 シェマの頭の中に、目の前で見るようにが流れ込んできた。

 頭の中に王宮のどこかに横たわっている少年の姿が浮かんだ。


『叔父上の中に、われはいるよ』


 声の主とシュマは感覚を共有したようだ。

 三回、息をする間にシェマは理解した。


 それは〈身代わり〉という魔道だった。

 シェマの身体からだと精神の一部に、もうひとりの少年の存在があった。


 少年の名はユーフレシア。

 生まれたときから身体からだが弱かった。

 十三詣じゅうさんまいりには耐えられないと、予言部と宮中医師は判断した。

 だから。シュマの身体からだを借りることにした。

「ということなんですね」


「——順応したのか」

 青年はあきれたような笑いを浮かべた。

「そのうえ、何の疑問もなく納得するとは」


「疑問、とは」

 シェマは、小首をかしげた。


「——、いや素直か」

 青年は、ごまかすように自己紹介した。

「わたしは鳥取部とりとべのティフィン。ユーフレシア皇子付きの武人だ」


 ティフィンは、軽装ではあるが白い衣の上によろいをまとっていた。

 首にかけた宝玉の飾りは、ヒスイの勾玉三つを中心に緑石みどりいし管玉くだたまをはさんで、赤瑪瑙あかめのう、透明な水晶、もやの水晶の勾玉とつないでいき、首にかかるところは水晶の切子玉と赤瑪瑙あかめのうの丸玉をあしらってあった。腰には、直刀ちょくとう。一目で武人とわかる装いだ。


「行くぞ。いや、行きましょうか」

 あおを沈ませた黒髪と黒い目が、やりにくそうにシェマをながめている。


『ティフィンは器用じゃないんだ』

 シェマの頭の中で、ユーフレシア皇子がつぶやく。さっきより加減された声の調子で、頭はもう痛まなかった。

『ヤー。ヤー。このくらいか』


「うん。よい調子だ」

 シェマも頭の中で応えてみた。


『へぇ。叔父上のほうが、よほど器用だ』

 頭の中で、ユーフレシアが楽しそうにつぶやいた。


「そうかな」

『そうだよ。母以外の妃が産んだに〈身代わり〉をした時は、一日持たず、腐ってしまった』

「えっ」

『あぁ、これは外部に漏らしてはいけない秘密だったな』


 青くなったシェマをティフィンは見逃さなかった。

 いきなり左腕をとられ、脈拍を計られた。


 どっどっど。シェマの脈拍が高くなる。


「——だから」

 シェマは独り言ちた。


 だから、この青年は、あのとき、自分に十三詣じゅうさんまいりを引き受けるのかと、覚悟を問いただしたのか。


守れカゴーミ守れカゴーミ

 唄うように、ティフィンがまじないを口にしている。

 なぜか今は、その古語の意味がわかる。


「平時の脈拍だ。死ぬことはない」

 ティフィンがシュマの腕から手を離した。


「死ぬところだったんですかっ! わたしはっ!」

「今、わかったのか。世間知らずの修道寮育ち」

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