2話  出立

 はじまりの月の朔月さくげつの日の真夜中である。


 古来より、十三詣じゅうさんまいりの出立は誰にも見られてはいけない。


 下々の者のそれは、だいぶゆるい決まりごとになっているようだが、皇子の十三詣じゅうさんまいりと来れば、なぁなぁが許されるはずはなかった。


 出立は朔月さくげつの夜と決まっている。

 月のない晩に、十三詣じゅうさんまいりの道しるべが開かれるからだ。



 シェマはみそぎをすませ、神殿の賢所かしこどころに、ひとり、待機していた。

 すでに、七日前から潔斎に入り、日が落ちてからは声を出すことも許されぬ。

 だから、どうして、今、賢所かしこどころでひとり待っているかもわからず。

 宮中三殿のある場所に足を踏み入れたのも、はじめてだった。


 三殿は皇祖を祀る賢所かしこどころを中央に、その西側には歴代の帝や妃、皇族の御霊を祀る霊殿を配す。その東側には天神地祇八百万神てんじんちぎやおよろずのかみを祀る神殿を配す。


 案内の者が、だんだんと少なくなっていき、最後の陣に入った時はシェマひとりだった。

 シェマが部屋に入ると、背後で御簾みすがおろされた。


 目の前には、白木の祭壇がしつらえてあった。

 御神体は鏡である。

 左右の常夜灯に照らされ、ぼんやりと祭壇は浮かんでいた。シェマの想像よりは簡素なものだった。


 シェマは座している足を組みなおした。

 板張りの床には、大ぶりな白い獣の皮が敷かれていた。

 そこに座って待つのですよとは、日のあるうちに予言部の者に教えてもらった。毛皮の上に座ったシェマは、かろうじて下からの冷気を感じずにすんだ。

 その毛皮がなかったら、もっとつらかったろう。



 どのくらいの時間がたったのか。もはや、時間の感覚がわからなくなる頃。

 何の気配もしなかったはずだ。

 だが、眼前に、ほの白い人影が現れた。


 それは一瞬、少女とも思えた。

 肩にかかる薄い色の髪と線の細さ、貫頭衣のせいで、そうとれた。

 だが、面差しが誰かと似ている。それが自分だと、そのときのシェマは気がついていなかった。

 ただ、ユーフレシア皇子だと察した。


 そのそばに、もうひとり、ひかえている武人が見てとれた。

 そう思ったのは、その腰の直刀ちょくとうのせいだ。

 そして、その武人が朱塗りの立柱の回廊で出会った青年であることに、シェマは気づいた。


 しゃぁぁぁん。

 きらめくような須受すずの音が響く。


 御神体の鏡から光が、こまかなのように噴き出した。

 その光のが、シェマの身体からだにまといついた。

 「い」の形に口がなり、シェマはこわばった。御神体から発した粉をはらうような手振りをするわけにいかず、座していた毛皮を、ぎゅっとつかんでしのごうとした。


 カゴーミー カゴーミー。


 どこからともなく唱和が聞こえてきた。その意味するところは、シェマにはわからなかったが、イェルシャーライの古語だろう。


 目の前が白く発光しはじめ、思わずシェマは目をつぶった。

 それきりだ。





 うっすらとシェマが意識を取り戻したのは、どのくらいたってからだろう。

 身体からだがゆれている気がして、目を開けた。誰かの背中におぶさっていた。

 はぁと深く息を吐くと、その背中がぴくりとした。


「目が覚めたか」

 落ち着いた声だ。あの青年の声だ。


 シェマはしゃべろうとしたが、声が出なかった。

 身体からだも動かない。


 暗闇の中を自分たちは移動している。

 どのくらい、意識を手放していたのか。

 暗闇ではあるが、岩肌がわかる。ということは、あかりがある。岩肌の天井から吊り灯籠どうろうが、ずっと先まで、いくつもさがっていた。


「もう少し行けば水場がある」

 青年は、シェマを背負い直した。

 それで、シェマの身体からだが「はっ」と、気づいたように右手の感覚が戻った。

 シェマは右手に白い毛皮を握りしめていた。祭壇の間に敷いてあったものだ。

(持ってきてしまったのか)


 それで、あの神殿での出来事が夢ではなかったと確信できた。

 まわりを見渡す余裕もできた。


 洞穴の中のようだ。

 ほの暗い洞穴の中を進んでいた。


「おろすぞ」

 シェマを背負っていた青年は、おぶっていたシェナを器用に自分の前に移動させ、シェマを支えて、ゆっくりと足を地面につけさせた。


 そんなのは造作ないこと。そう思ったら、シェマはひざから崩れそうになった。

(あぁ?)

 ちからが入らない。自分の身体からだが思うようにならない。


 青年が、ぐいとシェマを引き寄せた。

「慣れるまで、しばらくかかるだろう」


(……?)

 そう言えば、ユーフレシア皇子がいない。シェマは右手を広げてしまい、するりと白い毛皮が地面に落ちた。


 青年は身をかがませて毛皮をひろいあげると、平らな石の上に敷いた。そして、シェマをそこに座らせた。

「役に立つものを持ってきたな」


 シェマは顔を赤らめた。

 十三詣じゅうさんまいりにたずさえるものとは、本来、何なのか。


 それにしても、洞穴の中は湿気ている。苔の匂いがするようだった。 

 ふたりのいる場所の近くの岩肌から、清水がしみ出していて、青年は腰の竹筒をはずして岩肌に沿わし、清水を竹筒に貯めはじめた。その竹筒をシェナに差し出す。


「まず、この水を飲め。霊水だ。ちからがつく。潔斎で、ろくに食べていなかったろう」


 そうだった。

 シェマは竹筒を受け取ろうとして、まだ少し手がふるえた。青年が気がついて、その手を添えて、シェマの口元まで竹筒を運んでくれた。


「ん!」

 シェマは目を丸くした。

 水は甘露かんろだった。こんなに甘い水は、はじめてだ。

 一気に飲み干す。


「おい! いかに霊水でも! 一気はよせ! おまえはよくても、ユーフレシア皇子が!」


「えぇっと」

 シェマは覚えが悪くなっているようだ。

「ユーフレシア皇子はどこです……」


 清水を飲んだら、どうにか声が出るようになった。

 そのとき、青年が、びくっとしたのはシェマの問いのせいではない。

「しっ」

 黙るように、口の前に人差し指を立てられた。


「気配がする。野良のらか」

 青年は小声で。


野良のら?」


八百万やおよろずの神の取りこぼしのようなものだ。おりのようなものだ。おおよそは人とは接触しない。はずだが、このような洞穴では境があいまいとなり、出現する」


 どうやら、〈野良〉というのは、宿無しの何か。神になりそこねたものらしい。


 すぅと風が吹いた。

 吊り灯籠どうろうの灯がゆれた。


「まずいな。えない」

 青年が眉をひそめた。

えないヤツだ。そこにいて。動かないでください」


 シェマにも何もえなかった。

 ただ、気配は感じる。空気がふるえるのだ。不穏だ。


(こういうときはようとしないほうがいいかも)


 シェマは目を伏した。

 息を殺して、じっとしているしか自分にはできない。


 青年は直刀ちょくとうを抜いていた。応戦している。

 目にえない何かが、攻撃をしかけているのだ。


(あぁ。大丈夫だろうか)


 自分は見ていることしかできないのか。



 ふいに。


『にーがいクスリ、にーがいクスリ』

 脈略なく、言葉が頭に浮かんできた。


『あまーい、あまーいあめで、くーるんで』


 そのうち、シェマの目の前で、青年が何かに足を取られた。どぅ、と受け身で転がる。


「あ!」

 思わず、シェマは声をあげて立ちあがってしまった。

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