見捨てられ皇子の十三詣り

ミコト楚良

1話  上皇の落としだね

 夕暮れ、空の低いところに、ひと筆、はいたような雲をみつけたり、しゃがみこんで野辺の花の花弁の数を数えたりする暮らしを、シェマは愛していた。

 十三歳の、今日までのことだ。


 修道寮で修行の身である。衣食住はおおやけ持ち。仕事は、いずれかの公務に就くだろう。それに何の不満もない。もとより、自分は隠居した上皇の気まぐれの産物であるから。 

 がむしゃらに、人生の階段をのぼっていく必要はない。むしろ、それをしたらはたの迷惑になる。


 

 であるから、ほぼ面識のない兄帝イズコルに、いきなり呼び出されたことはシェマにとって驚きでしかなかった。

 ちなみに、イズコルとは廿にじゅう近くも年がちがう。親子ほどの年の差だ。実際、イズコルの子供たちはシェマと、そう変わらない年だった。


「イェルシャーライの輝く日の君に、われは、ひざを幾重にも折りまする」

 シェマは何度も練習した座礼をした。

 内裏だいりの謁見の板の間は、ぴかぴかに磨いてあった。


「シェマ殿は十三になったのだな」

 一段高くなった上座の兄帝から、御言葉をたまわる。


「はい。陛下のおかげをもちまして」


「修業に励んでおるか」

「はい。陛下のおかげをもちまして」

 シェマは教えられたとおり、作法通りの答えを口にした。



 シェマが産まれてすぐ、上皇は御隠おかくれになった。そのようなことにいそしんだから、寿命がちぢんだとも云えるとの、ひそやかな噂。たしかに、上皇が絶命したのは寝所であったという。そこには、シェマの母がいたとも、いなかったとも。


 さて、そんな自分に兄(と呼ぶのも、はばかられる)帝が何の用があるというのだろう。シェマは、びくついていた。

 

十三詣じゅうさんまいりに行くがよい」

 兄帝イズコルは切り出した。


十三詣じゅうさんまいり、でございますか」

 すぐには、シェマは飲み込めなかった。



 十三詣じゅうさんまいり自体は、神事のひとつだと理解している。子供の成長を親が祝う儀式だ。

 うしろ盾もなく、父とも母とも死に別れた自分には関係のない行事だと思っていた。

 十三歳の誕生日は、いつもより豪華な食事にありつけるのかもしれない。

 いや、公のしもべになるための機関である修道寮には、私事わたくしごとを祝う感覚はない。

 今までの誕生の日も、ごくふつうの一日でしかなかった。


「ユーフレシア皇子の露払つゆはらいとして、十三詣じゅうさんまいりを行え」

 兄帝イズコルから、嫡男の名が出た。


「ユーフレシアさまの」

 

 その皇子は、兄帝の正式な嫡男。

 シェマには甥御(と、呼ぶのもはばかられるが)にあたる。


「ユーフレシアは……、いささか健康面に不安がある。予言部と宮中医師の見立てでは、十三詣じゅうさんまいりには代理を立てよと」


 そう言えば、シェマの耳にも入っていた。ユーフレシア皇子は幼いころから御身体おからだが弱いのだと。


われは修道寮にて、貴族のしきたりは浅くしか習っておりません。剣の稽古けいこも護身程度で。それで務まるでしょうか」

 シェマの不安は別のものに替わった。


「シェマよ」 

 兄帝は衣擦れをたて、わざわざ玉座ぎょくざより降りてきた。

「顔をあげよ」

 言葉は命令だが、シェマの目線に合わせるように、ひざをつき、シェマの両肩を大きな手で包んだ。 

「シェマよ。が弟よ。今回の役目は、おまえこそがふさわしいのだよ」


 

 

 謁見の間を退出したシェマは、ふわふわした足取りで朱塗りの立柱の回廊を、宮殿の出口へと向かった。


 兄帝イズコルが、自分を認めてくれた。そのことが、うれしかった。

 十三詣じゅうさんまいりができることも、じわじわとうれしくなってきた。親が子供の門出を祝う儀式だ。それを兄帝は、親代わりになろうと申し出てくれたのだ。


(修道寮は、休学することになるのかな。どのくらい休むことになるのだろう)

 冬師とうしたちに相談しよう、そう考えていたときだ。朱塗りの柱の陰から前触れもなく、青年が出てきた。


「シェマ殿」

 青年は、シェマの名を知っていた。シェマには覚えがない青年だ。


十三詣じゅうさんまいりを引き受けるおつもりか。その意味、よく考えられよ」

 青年の声は、おさえめではあるが、はっきりと伝わった。


「……あ、の」

 どうしてですか、シェマが、そう聞く前に、青年は朱塗りの柱の陰に入ってしまった。その柱の陰にシェマも回り込んだが、誰もいない。きょろきょろと、立柱の回廊を見渡したが、誰もいない。

 かすみのように消えてしまっていた。


 シェマは、すぐに気を取り直した。

 そういうこともあるだろう。

 シェマも、魔道の初歩を学びつつあった。


 



 修道寮に戻り、すぐに冬師たちに兄帝イズコルの御言葉を報告すると、ちょっとした騒ぎになった。

十三詣じゅうさんまいりとな!」

 ぶるぶると、白ひげの老人たちは杖を持つ手をふるわせた。


 修道寮の教授たちを、冬師とうしと呼ぶ。誰もが長生きで、白い眉も白いひげも長い。

「そうです。ユーフレシア皇子の代理として」


「予言部のうらないによるそうじゃ。ただいま、正式に勅令ちょくれいがくだった。五百筒いおつつのシェマを第一皇子の十三詣じゅうさんまいりの供とすると」 


 五百筒いおつつは、シェマが亡き上皇から賜ったかばねだ。

 この世界では、かばねを持つことは特権を意味する。

 生まれるシェマを、どうでもいいとは父、上皇は思っていなかったのだろう。


 冬師とうしの中では年若い老人が、バタバタと部署を行きかっていた。


「皇子の代理ではないのか」

「供も代理も同じ意味合いでは」

「他の従者は誰ぞ」


「守りの従者として、武人一名。鳥取部とりとべのティフィンと申す者とか」

「——その名、覚えがある」

「それはそうでしょう。かつて、この修道寮におりました。武勇にひいで、その道へ進みましたが」

「そうか。たしか薬戸やっこの——」


「あの」

 ここで、シェマは心に引っかかっていたことを、おずおずと口にした。

十三詣じゅうさんまいりに行かないという選択肢はあるのですか」


「行かない?」

 いっせいに冬師とうしたちはシェマを見た。

勅令ちょくれいであるぞ」


「そ、そうですよね」

 勅令ちょくれいに従わないなど前代未聞だ。


 あの青年は、なんだって、「十三詣じゅうさんまいりを引き受けるのか。よく考えよ」などと言ったのだろう。

 断れるはずがない。断る理由だって、捏造ねつぞうできるわけがない。シェマには、お腹が痛くなりましたぐらいしか思いつかない。



 かくして、はじまりの月の朔月さくげつの日に、見捨てられていた皇子の十三詣じゅうさんまいりがはじまることとなった。

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