10話  魔ウサギとの顛末

 茶色毛皮の少年が話し終えた。

 ここはほらだ。うすらさむい。

「……」

 

「どうきゃ」

 シェマが黙っているので少年は、じりっとしたようだ。


「……ちょっと、さみしいお話だったかな」

 どんな感想を言えばいいのだ。

「サ、サメはどこに行ってしまったんだろう。えーいや、さっと?」(って何)と、シェマは思った。


「……おはなしのしめきゃ!」

 少年は、また、ふとい大根を投げつけてきた。


 かっ。

 シェマの右腕が勝手に動いてダイコンを胸の前で、ばしっと受け止めた。

起承転結まとまりがない話をするなっ! ウサギごときがっ!』

 かと思うと、倍の速さで投げ返した。


 ごっ、とダイコンは茶色毛皮の少年にあたって、まっぷたつに割れた。『ぎゃっ』少年は目を回して、よろめいた。


「あっ、ユ―フレシアさまっ」

 投げ返したのは、シェマの中のユ―フレシア皇子だ。


『目が見えるようになった。二之宮にのみやの加護だな』


「それよりっ。ウサギ?」


『あぁ、こいつ。稲喰イナハミ村の宿で出された、ウサギの串焼きの家族だ』


『おいらの家族は串焼きじゃねぇ……』

 茶色毛皮の少年、どうやらウサギは、ふらつきながら身を起こした。

 

 シェマは事情を察してしまった。

「も、もしかして、家族の敵討かたきうちで、わたしたちを——」狙ったのだろうか。


『そうだ。だが、おまえは食っただけきゃ。真に討ちたいのは、あの男と犬きゃ!』

 ものすごく分別のついたウサギだった。


『だけど、おまえの十三詣じゅうさんまいりが失敗すれば、あの男も首をはねられることになるきゃ!』


『そんなことはさせぬ!』

 シェマの中のユ―フレシア皇子が、本気で怒ったのがわかる。

『だいたい食物連鎖だ。強いものが弱いものを喰うのが世界の摂理だ!』


「うわぁ。ユ―フレシアさま」

 シェマは、おろおろした。家族を失ったウサギに言うことではない。でも、その家族を食べてしまった自分に何が言えるのだろう。


 ウサギが涙目になっている。

『でも、でも。不公平きゃ。理不尽きゃ。おまえたちは、おいらたちを喰うが、おいらたちは、おまえらを喰えん。草しか喰えん。喰うとしたら、ウサギ、ならざ、るものにな、ら、ねばなら、ぬ……』


 ウサギの声がくぐもり、ウサギの影が濃くなった。

 ざわり、と。


 ウサギの茶褐色の眼が血走り赤くなっていく。口元には長い牙。両の手の爪が伸びて——。


 シェマは魔が生まれるところを、はじめて見た。


(助けて!)

 その声も出なかった。


『くらえっ』

 ただ、ユ―フレシア皇子が勝手にシェマの身体からだを引きずるように動かしている。彼は、また、ころがっていたダイコンを投げつけた。

 今度はウサギの方が、そのダイコンを爪でまっぷたつにした。


 ほらの中に逃げ場はない。

 ウサギはシェマを追いつめた。シェマの首に、がっとばかりに両の手をかけた。

 恐ろしさにシェマは身体からだが動かない。いや、あらがっている。ユ―フレシア皇子が、ばたばたと両腕を動かしていた。

 そして、ウサギがもっと両の手にちからを込めようと腕をちぢめた瞬間、シェマの右手の人差し指は、ウサギの左目を突いていた。


『ぎゃ』

 ウサギがひるんで手を放した。

 どさりと地面にシェマは投げ出された。


「シェマ殿! ユ―フレシアさまっ!」

 ティフィンの声がしたのは、そのときだ。

 ぱぁっと、辺りが明るくなった。日の光だ。


『ぎゃあ』

 ウサギは日の光が苦手だったのか。身をちぢませた。

 わぅう! さっと白い影がウサギに飛び乗った。保知ぽちだ。


『やれ!』

「やめて!」

 シェマとユ―フレシア皇子は同時に叫んだ。

 

 それで保知ぽちは、ぴくりと止まった。その隙を、ウサギは逃さなかった。『きゃーん』、かん高い声をあげ、跳ねて、逃げ出した。


「シェマ殿!」

 ティフィンがシェマに駆け寄る。 


「ティフィン……、もう、ダメかと思った」

 ぽろぽろぽろぽろ、シェマは涙がこぼれてきた。


『遅いぞ。ティフィン』

 ユ―フレシア皇子も、苦しい息づかいだ。


「申し訳ありません」

 ティフィンにシェマは助け起こされた。


『今日の串焼きに逃げられた』

 ユ―フレシア皇子がシェマに不服を持っているのが、びしびし伝わってきた。

『偽善者め』


「……わたしは」

 シェマは言葉を探した。

 みつからなかった。



 ティフィンの話によるとシェマが囚われていたのは、二之宮にのみや三之宮さんのみやの間の山の中だった。おおきな木のうろに閉じ込められていたらしい。実際の木のうろというわけでなく、うろから通じる、どこか魔の領域だったらしい。


 まだ、雪の積もる山のみちなきみちを、保知ぽちがシェマの匂いをたどって、ティフィンを導いてきたという。

 こうなると、ティフィンも仔犬の同行を迷惑という気持ちが一瞬にしてなくなったようだ。

 今は、「頼んだぞ」といったような信頼のこもった目線さえ、保知ぽちに向けていた。



 そして、奈落に落ちてからのシェマは、ほんの数時間と思っていたが、ほぼ三日がたっていた。

 ウサギがシェマを飢え死にさせようとしていたのは、あながち嘘ではなかった。


 ティフィンは身体からだの力が抜けたシェマをおぶって、山道を降りていく。

「三之宮へ向かう足がかりになる山里が、こちらにあります。場所だけは確認しておきました」


「なんだか、おぶさってばかりですいません……」

 シェマは自分が情けなくて仕方がなかった。


「いいえ。ユ―フレシア皇子を、その身に抱えてらっしゃるぶん、消耗が激しいでしょう」

 気にするなと。


 ティフィンこそ、三日間、山の中をシェマを探していたはずだ。疲れているだろうに。

(休まなければならないのは、ティフィンのほうなのに)

 それでも、その背にもたれているうちにシェマは安堵あんどし、うつらうつらとした。

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