19話  四之宮詣り 〈火止山岩埜原〉

 薬師部くすしべの里に世話になって七日め。

 ばさっ、ばさっと羽音がして、白い大鳥が薬戸屋敷やっこやしきの庭に舞い降りてきた。


 おおきく長いくちばし、のど袋を持つ大鳥だ。

 こー、こー、こー。

 誰かを呼ぶように鳴いた。


「あぁ、待ちかねた」

 屋敷からティフィンは、急いで戸外へ出てきた。シェマも保知ぽちも、そのあとに続く。


 ティフィンの前に来ると、あー、とばかりに大鳥は口をあけて、手のひらに乗るほどの油紙にくるまれた包みを地面に落とした。

「ご苦労だったね」

 ティフィンは大鳥をねぎらうと、腰の黒い漆塗りの薬入れの中から糖衣をまとわせた木の実を取り出した。それを、はじくように大鳥の口に放り込んでやった。

 大鳥は、くわーっとひと鳴きして、ばっさばっさと翼をふるわせた。


 取り急ぎ、ティフィンは油紙の包みをほどいて中身をたしかめた。中身は、また小分けされ、ていねいに油紙に包まれた薬だ。処方なども添えてある。

薬司くすりつかさからの薬が届きました。これで、ようやく出立できます」


「この大鳥が、薬司くすりつかさのお使いなのですか?」

「そうですよ」

「すごい」

 そういえば、修道寮の池に白い大鳥がいたのを見た気がする。こういうお使い鳥だったとは、シェマは知らなかった。


「優秀なお使いです。のど袋に入るほどの荷を運んでくれます。ただ、糖衣の丸薬とか、羊羹ようかんは頼めません。大鳥は甘いものに目がないので、こればかりは飲み込んでしまうのです。だから苦い薬を運ばせます」


 シェマとティフィンは、薬が届き次第、出立できるように支度をととのえていた。

 薬戸やっこのマルトマは下着や肩掛け袋など新しいものを、ふたりに用意してくれた。三之宮さんのみやの水晶に引っかけて破れた衣の左袖の箇所は、きれいに直してあった。


「どこを裂いたのか、わからない」

 シェマが目を丸くして、日の光に左腕をかざして見ていると、「あねさまがなおしたの、じょうずでしょう」と、どこからか現れた女童めわらわがシェマの衣の裾を引っ張った。

 引っ張られたまま、ついていくと、土間のかまどのところまで連れて行かれた。

 かまどのところで、火をくべている女童がいた。

「あねさま」と、シェマの裾を引いている女童が呼ぶと、こっちを向いた。


 女童ふたりは、ほんとうによく似ていた。

 髪の長さが少し、ちがうくらい。着ているものに無頓着なシェマには同じに見えた。だから、別々に女童らを見たとき、いぶかしみながらも同じ人物かと思った。

 しかし、こうして、ふたりいっしょに並べば、年の近い姉妹なのだと合点がいった。

 火をくべていた女童は鼻の頭に炭がついていたから、今日はいっそう、どっちがどっちか、はっきり区別できた。

 薬師部くすしべの里に招いてくれたのが妹で、茶を出してくれたのが姉だ。


「君が衣を直してくれたって。ありがとう」と、シェマは姉童あねわらわに礼を言った。


「……別に」

 そっけない言葉が返ってきた。

「仕事だから」


 そのまま、姉童はかまどの方へ向いてしまった。

 いつのまにか、妹童いもうとわらわもいなくなっている。


『ふられたな』

 いつから見ていたのだろう。シェマの中のユーフレシア皇子がつぶやいた。


 そうか。これが、という状況なのか。

 シェマは頭が真っ白になって、「じゃあ、また」と言って、くるりと背を向け戸外へ足早に退散した。


『じゃあ、また?』

 完全に、ユーフレシア皇子はおもしろがっている。


 いや、自分でも、それ何だ、とシェマは思った。




 そして、シェマとティフィンが薬師部やくしべの里から去るときも、来たときと同じに霧がかかっていた。

 だが、木立に薬戸屋敷やっこやしき茅葺屋根かやぶきやねが見えなくなると霧は晴れた。


 空から、こぅ、と、鳥の声がするから見上げると、白い大鳥が日ののぼる方向へ飛び去って行くところだった。イェルシャーライの都の方角だ。シェマたちが行くのとは反対の方角だ。


「ぽちー」

 時折、シェマは仔犬を呼ぶようにした。仔犬は気まぐれで、たびたび視野からはずれるのだ。


「あいつ、薬師部くすしべの里にいる間に、少しふとったと思わぬか」

 ティフィンは保知ぽちを、あいつ呼ばわりしはじめた。

「たしかに。薬師部くすしべの里の料理は、おいしゅうございましたから」

「あれ以上、でかくなったら抱っこできぬ」


「そうですよねぇ。さて、四之宮よんのみやまでは、どのくらいの道のりになりましょう」


「急ぐ必要はない。シェマ殿の歩調でよい」

 ずいぶんとティフィンはやさしい。


 甘えてもいいのか。だが。

「ユーフレシア皇子のことを考えると、できるだけ急いだほうがいいのではないでしょうか」


「それは」

 シェマから指摘されるとは、ティフィンは思っていなかった。


皇子宮みこのみやのユーフレシア皇子の御様子は、いかがでしたか。三社の加護と知恵を受け、回復の兆しはございますか? わたしの体感ですが、起きておられる時間も長くなったような」

 勝手に、自分の身体からだを動かされたときには、びっくりしたが。


「修道寮への薬の調達願いとともに、皇子宮みこのみやの御様子も問い聞いております。御様子は安定しているそうです」


「そうですか」

 シェマが安心した様子でほほえむのでティフィンは胸が、ちくりとした。


「シェマ殿のことをうかがってもよろしいですか」

 黙々と歩くのは、つまらぬとティフィンは思ったのだ。


「はい。なんなりと」

 シェマもそうだ。


「修道寮でお育ちとうかがいました」

「そうです」

「修道寮の生活は窮屈きゅうくつではございませんか」


「いえ、そんな」

 シェマは全否定した。

「どこぞへ放り出されても文句も言えない立場でした。その、かたが、わたしにかばねを与えてくださったおかげで、何の心配もせず勉学に打ち込める環境です」

 父とも、上皇さまとも言いにくく、シェマはかたと表現した。


 学生たちの立ち話を柱の陰から聞いたことがある。

 シェマの母は、宇加礼女うかれめとか遊行女婦あそびめと評される女性であったらしい。時の上皇が気まぐれで、お側近くにはべらせていたと。


 母と別れた濃い霧の日のことを、シェマは思い出していた。 


「別々に暮らしていて、わたしが正式に修道寮に入ることが決まったのを見届けて、母は故郷へ帰ったのかと。いえ、どこが故郷かも知らないのですけど。——あの、ティフィンさまのことを、うかがってもよろしいですか」


 シェマという少年は自分のことを打ち明けた分、聞く権利があると思ったか。ずいぶん素直に聞いてきた。

「ティフィンさまは、薬戸やっこさまの御子息なのですね。どうして武人に」


 仕事は世襲で受け継がれることが、ほとんどとシェマは聞いていた。

 薬師くすしは、そう低い地位ではない。安泰と言える地位だ。その家から、どうしてティフィンが武人になったのかと興味があった。


「ありがたいことに、素養があると見出されたのです」

 うそではない。


「それは。すごいことですね」

 シュマは興奮気味になった。


「いえ。薬を微量に測ったり、そういう繊細な仕事が向きませんでした」

 これも本当だ。


「この旅に出て、わたしは、少し自分を鍛えねばと思うようになりました」

 シェマは快活に話を続ける。

「自分の身を自分で守ることができるようになりたいのです。ティフィンさまや、ユーフレシア皇子、保知ぽちにまで助けられてばかりで」


 いや、その健やかさこそ、われらの助けなのだ。そう、ティフィンは思いながら、「お望みなら、少しばかりお教えいたしましょう」と答えた。


「本当ですか!」

 シェマの目が輝いた。


「では、その前に、しっかり食べていただきましょう」

 ティフィンは肩にかけていた荷をおろして、薬師部やくしべの里から持ってきた木の実や乾燥肉、穀物のにぎり飯を取り出した。


 ふたりは腰を下ろす場所には、一礼をかかさないようになった。

 どんなちいさな神さまがいるかもしれないからだ。


四之宮よんのみやも、また山の上なのですね」


火止山ほどさんという山です。まつられているのは、火之炫毘古神ひのかかびこのかみさまです」


 そのあたりから、シェマの事前学習は、あやしくなった。

 なにしろ、修道寮から出ることなく、都からどこかへ行くことなどないと思っていた。歩いて行く先に野があり、山があり、人の暮らしがあることなど考えずとも暮らしていけたのだ。

 この十三詣じゅうさんまいりが、はじまる前は。

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