20話  四之宮詣り〈加具土の民〉

 もう火止山ほどさんに足を踏み入れている。


 「さぁ、ここからですよ」

 ティフィンに言われるまでもなく、風景が変わった。

 樹木も草も生えていない。岩が、ごろごろところがった荒れた山肌となっていた。


「はるか昔にオロチが暴れたという跡です。今になっても、草も生えない岩埜原いわのはらです」


 こぶしほどの赤茶けた石が、ころがっている。その上に足をかけると、ごろりと石が、なめし皮のくつの底でころがり、身体からだ均衡きんこうが崩れる。倒れるほどではないが、いちいち歩みが止まる。

 びみょうに消耗する。


「やはり、保知ぽちに先導させるのが正解ですね」

 仔犬は足元がくずれにくい場所を本能的に嗅ぎ分けるのか。たっ、たったっと歩んでいく。


 全員、みな黙って進む。

 じんわり、太ももやけんにくる。


 目の前に大石が見えてきた。

 自然石には、人の背の高さの倍の裂け目があった。

「あれが四之宮よんのみやの鳥居です」



 その裂け目は、人ひとりしか通れそうもない。先は見えず、暗い。


「参りましょう」

 一礼して進もうとするティフィンに、「あの」と、シェマは。「直刀ちょくとうを。また、直刀ちょくとうの先を持たせてもらってよいですか」と頼んだ。

 強がりなど、すてている。


「ああ。しっかりとつかまってください」

 ティフィンは笑ったりしなかった。


 十歩。二十歩、歩いたろうか。

 迫るようだった岩肌を抜け、向こうに出た。


 そこは火口の中ほどだった。

 シェマたちは、巨大なすり鉢の途中に立っていた。


「この火口こそが、四之宮よんのみやの社です」


 ティフィンの言葉に、シェマは祝詞をあげる。

とお御祖みおやの神、御照覧ましませ」

 火口に火はない。


「——もろもろの禍事まがごと、罪、けがれらむをば。はらへたまひ、きよめたまへと。まをすことを聞こし召せと。あまかみくにかみ八百万神等共やおよろずのかみたちととも聞食きこしめせと。かしこかしこみ、もまをす」」


 一時あって呼応するように、すり鉢の底、火口の底から、一陣、紅い光が立ちのぼった。

 

火之炫毘古神ひのかかびこのかみさま。十三詣じゅうさんまいりにございます」

 ティフィンが高らかに述べる。


「そうか……」

 紅い光の中に人型が浮く。

 それは、ちいさいわらわの神さまだった。眠そうだった。頭が、かくんと下に落ちた。

「……」


 眠ってしまったのか。


「——御休み中デス」

 どこからか、くぐもった声がした。


 どこか、わからない。

御身オンミさま方の足元に穴が開いてゴザイマス」


 言われたとおりだ。

 石と石の隙間に、両の手の人差し指と人差し指、親指と親指で輪を作ったほどの穴があった。

「捧げものにサケをお持ちイタダキマシタカ」


「はい」

 ティフィンはぬかりなく、薬師部くすしべの里から薬酒の入った瓢箪ひょうたんの筒を持ってきていた。


「ソレを穴に注ぎタマエ」


 ティフィンから薬酒の入った瓢箪ひょうたんをシェマは受け取り、しゅぽんと口の栓をはずし、言われたとおりに穴に中身を注いだ。

 薬酒すべてを穴は飲み込んでいった。


 ふ、しゅう。

 かるい蒸気があがったかと思えた。


 それから、白濁した、とろりとした液が穴から、ぽこぽこと湧き上がってきた。

 それは白から赤金色に、それから黒みを帯びてきた。


でマス。辺り、気をツケテ」


 こここご。

 かるい振動がして、穴の辺りの岩が崩れた。


 土煙が鎮まると、穴のくずれた辺りに人型が、すっくと立っていた。

 それは荒削りの岩人形のようだった。目鼻も荒く、どこか苦悶の表情だった。

 腹の辺りから、また荒削りな縄のようなものを生やしている。

アルジが切ってタモ」

 荒削りの人型は、自分の腹を指さした。

 生まれたての赤子が、へその緒を切ってくれというようだった。


あるじと言っています。シェマ殿が」

 ティフィンはシェマをうながした。


「なんで切ったらいい?」

 シェマは及び腰だ。


三之宮さんのみやでいただいた水晶がよろしいでしょう」

 ティフィンの言葉で、シェマは守り刀のように手拭いでくるんで、ふところに入れていた水晶を取り出した。

 シェマは、その水晶を赤黒い人型の腹に沿わせ、腹から生えている岩の縄を削ぐようにした。

 果たして切れるものかと思っていた岩の縄は、人の耳に聞こえぬ音をたてて、きんと切れた。そして、縄は空中にかすみとなって四散した。


「おぉ、生まれたな」

 火之炫毘古神ひのかかびこのかみが目をほそめて、ふにゃあと笑った。

 目覚めたらしい。


「おいで。そのままでは里の者が驚く」

 火之炫毘古神ひのかかびこのかみは赤黒い人型に、おいでおいでと手で招いた。


 ひょこ、がく、ひょこ、がく。

 赤黒い人型は不器用ですから、といった感じで、わらしの神へ近づいた。

 その足が一歩を進めるたびに、赤黒い肌が落ち着いた。なだらかになった。人の肌に近くなった。髪も生えた。爪も生えた。


十三詣じゅうさんまいりの加護と知恵。加具土かぐつちの民じゃ。そなたらにやる。荷を運ぶ従者がいろう」


「カグツチ」

 シェマはうなずいてしまってからティフィンを、ちらりと見た。


「御礼、申し上げます」

 ティフィンが岩土の地面に座礼していた。

 受け取るべきらしい。


「よろしくオネガイしマス」

 すっぱだかの岩人、加具土かぐつちの民も、シェマたちにお辞儀した。


「では。成就!」

 一声、須受すずの音のような声をわらわの神はあげて、しゅん! と火口へ消えていった。



「ああ、驚いた」

 シェマは静まり返った火口を、ゆっくりとながめた。

 今、見たことは夢かと思っても、となりに岩肌色の男がいる。現実だ。

「この人のことは、なんと呼べば」


加具土かぐつちの民と火之炫毘古神ひのかかびこのかみはお呼びでしたから、カグツチでしょうか」

 ティフィンも、自分より背の高い大男を見上げた。

「荷を持ってもらえるのはありがたい。でも、このカグツチの食料もいるから、逆に荷がふえるのでは」

 ぼやくと、大男は答えた。

「カグツチは食べなイ。時々、酒を飲ましてクレ」


「それは効率がよい」

 ティフィンはうなずいた。

「……ともあれ、この従者が四之宮よんのみやの加護と知恵なれば連れて行かねば。しかし、火之炫毘古神ひのかかびこのかみ十三詣じゅうさんまいりで、加具土かぐつちの民を与えられたという前例は聞いたことがないが」

 そして、少し、とまどっている。


『われらに対する、大盤振る舞いではないか』

 シェマの中のユーフレシア皇子が起きた。

『それか、あの神、寝起きで、ぼんやりしていたからではないか』


「ユーフレシア皇子とおんなじですね」

 シェマが、いらないことを言った。

 ユーフレシア皇子も寝起きで気がつかなかったようだ。


火止山ほどさんは、かつて八ツ頭の大蛇が巣くった山だ。八ツ頭の大蛇は八つの村を飲み込んだ。火之炫毘古神ひのかかびこのかみが大蛇を退治し、この山の守護をしていると言い伝えられておる。また大蛇が目覚めぬようにな』


「さてモ、よぅ」

 岩肌のカグツチが語りはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る