22話  飾磨郡(しかまのこおり)

 カグツチのおはなしは終わったようだ。


にえになった子供が、火止山ほどやまの神になったということでしょうか」

 シェマは、さきほどの幼い神さまのかんばせを思い出そうとしたが、もうおぼろにしか浮かばなかった。 


「……」

 カグツチは、そうだとも、ちがうとも言わない。



 それから、シェマとティフィン、一匹と新しい従者は、赤茶けた岩ばかりのみちをくだっていった。だんだんと緑の下草が生え、木立も見えてきた。

 山のみちは、ひときわおおきな街道へとつながった。


「人里も近いでしょう」

 ティフィンは、肩にかけていた布袋を、ごそごそすると、替えの新品のふんどしをカグツチに差し出した。

「腰につけなさい」

 カグツチは武骨なものを丸出しにしていた。


(あ……、ティフィンさんも気になっていたのか)

 シェマも言おうか、どうしようか迷っていた。


 貧しいものは着るもの1枚しかないのは、ざらだ。

 暑い時期などは、素っ裸もめずらしくない。

 だが、移動をともなえば、男がふんどしを身に着けていないと礼儀というより、繊細な箇所がいろいろ大変だと思う。


(カグツチのは)


『最初から固そう』

 シェマの中のユ―フレシア皇子が、シェマの心の声に同意してきて飛び上がった。


(……)

 思っていたことを言い当てられて、シェマはひたすら赤くなっていった。


『でーもー、カグツチは叔父上とちがって劣情があるわけではないからな。体質だからな』


(れつじょうて何?)


『ティフィンと手をつなごうとして、心拍数をあげていただろう』


「あれ? あれはこわくて」


『ティフィンは、わたしの武人だ。わたしの許しなく勝手に触れるな!』

 ユーフレシア皇子は切れ気味だった。


 シェマも、かちんときて言い返した。

(だったら、わたしの許しなく、わたしの身体からだを勝手に動かさないでくださいよ)


『叔父上の身体からだも、わたしのものだ!』


「横暴か~」

 心の会話に集中するあまり、シェマは声に出た。

 

「どういたしましたか」

 ティフィンが振り返った。


「いえ。皇子と話していただけです」

 その目を、なんだか正面から見ることができなくて、シェマは視線をそらした。


 ユーフレシア皇子の言っていた、〈れつじょう〉は、シェマは、よくわからなかった。

(でも、たしかにティフィンを頼りすぎたかもしれない)


 ふと夜半に目が覚めたとき、ティフィンがシェマの手をにぎっていてくれるときがあった。

 いろいろなことに出くわしていたので、心配してくれているのだと思った。

 

(わたしの中のユーフレシア皇子を心配しているのだとしても)


 ユーフレシア皇子を怒らせると、めんどくさい。

 気を付けるにこしたことはない。



 

飾磨しかまは、この辺りの里をまとめている郡司こおりのつかさがいるこおりで、交通の要所です」

 ティフィンの言葉通り、山路をくだり街道に合流すると、道の幅が今までとちがう。丘のある大地に、まっすぐに道が伸びていた。


「初代イェルシャーライの帝が日ののぼる地へ進んだ折に、兵馬が通れるように開いた街道です」


 たしかに荷馬車が通ったとみられるわだちが地面に、いくつもついていた。

 時折、そんな荷馬車に追い抜かれた。

 追い越したい荷馬車は、「通りまする! 通りまする!」と、かけ声をかけてくる。すると、通行人は道の端に寄る。


「コトの丘、ハコの丘、ミカの丘……」 

 丘を通り過ぎるたびに、カグツチがつぶやいた。どうやら、土地の名前らしい。

 案内人として、すこぶる優秀なのではなかろうか。

「あれ、シカマ」と、カグツチは見えてきた集落を指さした。


 なるほど、家屋が数えきれないほど建ち並んでいた。


 その屋根は茅葺かやぶきばかりでなく、板を張ったり、石を置いていたり、どうやら通りの両脇にあるのは商売のための家であるらしかった。

 店の中にいる者と、やって来た者が声をかけあい、干し魚や木の実のやり取りをしている。

 

 都の華やかさにはおよばないが、何日か山里と洞穴しか目にしていないシェマには何もかもが、色あざやかに見えた。

 そんなふうに、うきうきしているとシェマとティフィンのうしろで男の怒号がした。

「なんてこった!」

 

 見ると男が、カグツチに食ってかかっている。

 カグツチは、シェマとティフィンに遅れがちになっていた。

 男とカグツチの足元に割れた須恵器のかけらが散乱し、地面がぬれていた。


「この大男がぶつかってきてかめの酒を全部、こぼされた!」

 男は憤懣ふんまんやるかたないといった様子で、わざわざ人目を集めるような大声をあげた。

「だんなの下人ですかい。責任とっていただきやしょうかい!」

 さらにティフィンのほうを見て、声を荒げた。


「わかった。いくらだ」

 ふところにティフィンは手を入れた。


「銀、六粒だ」

 男の言い値に、ティフィンの眉間にしわが寄った。割れたのは、そう大きなかめではないはずだ。そして、庶民の飲む酒は、そこまで高くないはずだ。

 

(だが、カグツチのしたことだからな)

 ティフィンは黙って、言われるままに銀を出そうとした。


「待ちな!」

 そこへ女の声が割り込んだ。


 声のした方をシェマは見た。すらりとした年増の女(今だとまだ30代)が立っていた。

「銀、六粒たぁ、ふっかけるじゃないか」


「妥当な値段だ。かめの酒をこぼされたんだ。かめも、このとおりだ」

 女の圧に、いささか男はあてられながらも、足元の割れたかめの破片や、こぼれた酒を指さした。


「そろそろ店はしまいの時刻だろ。かめの酒は、あらかたなくなっていたんじゃないかえ」

 女が図星を突いた。


「そら、まぁ」

 男の声がちいさくなった。


「割れたかめの代金入れたって、銀一粒で、おつりがくるだろ。どんだけ、あつかましいんだよ。あくどい商売をして、飾磨しかまの評判を落とすんじゃねぇよ」


「けんどさぁ」

 男は、しどろもどろになった。女の圧に負けている。どうやら、うっすら顔なじみらしい。


「では」

 ティフィンが、すいと男の前に立つ。

「わたしどもの下人が粗相そそうをしたのですし。小粒の銀一粒でお許し願えますか」と、にっこりと値引きをかけた。


「ま、かんべんしてやらぁ」

 男は引き下がった。

 見るからによそ者の旅人だと、ふっかけた金額だ。それに、ほぼ、はだかの大男にぶつかったのは自分だ。なりのわりに、ぼぅっとした男だったから因縁をつけたのだ。


「おんや、兄さん。気持ちのいいこと。では、今日は、このヤチグサの宿へおいでませ」

 年増の女が申し出てきた。

「見たところ、十三詣じゅうさんまいりではありませぬか」

 

 この一件、どう納まるのか、まわりに集まっていた野次馬たちが、わっと歓声を上げた。

「だんな」

「だんな」

「ぼっちゃん」

 シェマとティフィンに、売り物の果物やら、もちを握った手が、いく本も差し出される。

うてよ」

うて」


十三詣じゅうさんまいりの参詣者は、こおりのよいお客さまだ。みなの衆、おもてなしだよ!」

 ヤチグサと名乗った年増の女は、にぃ、と目を細くした。

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