6話  二之宮詣り〈参道〉

 翌日、日の出から少したってシェマとティフィンは、稲喰イナハミ村をあとにした。

 宿の男は、にぎり飯をこさえて持たせてくれた。シェマは、その親切に感激していたが、ティフィンが男に奮発した銀の粒のせいだ。


 二之宮にのみやは、そう遠くない山のいただきにある。

 そこは分水嶺であり、天之水分男神あまのみくまりのおとこがみの坐す聖域だ。

 シェマは事前学習してきた。



 しばらく山路を歩いていたら、ティフィンが、ぴたりと止まった。 「落石か」

 見れば、少し先のみちが大岩でふさがれている。

「そのような予兆はなかったが」


 山肌に沿った山路の左手は、なだらかな崖だ。右手は切り立ってはいないが、ごつごつとした岩が、むき出しとなっている。


「む……」

 ティフィンは考え込んでいるようだった。

「二之宮に至るには、いくつかの路がある。いちばん、なだらかなのが、このみち。年寄りや子供でも歩けるみちだったが」


「山肌を少し降りて、大岩の向こうのみちに出たらどうでしょう」

 シェマは笹が生い茂った山肌を見下ろして、できないことはないと思った。


みちを気軽に、はずれてはいけない。毒蛇や毒虫がいないともかぎらない」

 ティフィンはかぶりを振った。

 保知ぽちまでが大岩をにらみつけて、うううと低くうなる。


「この先に、また落石がないとはいえないし、他のみちをあたりましょう」


 山のふもとへ、また戻る。時間の無駄だ。いたしかたがない。


 次にティフィンが選んだみちは、さっきのが山歩き初級者向けとしたら、中級者向けだという。たしかに、坂道の傾斜が、さきほどの路より、きつい。

「かかとのけんが、なんか伸びます……」

 シェマは、己の運動不足を痛感した。


みちの手入れが為されていない。最近、数人が歩いたあとはあるのだが」

 ティフィンは、さっきから眉をしかめたままだ。


「そんなこと、わかるんですか!」

「砂利が散っているしな。よく視れば、どんな靴を履いていたかもわかる。草鞋ぞうりのようだ。人足にんそくか」


「宿の人が言っていましたよね。まだ十三詣じゅうさんまいりの季節じゃないって。みちの手入れは後回しなのかなぁ」


 山路は人の手がはいってこそだ。

 この辺りは、まだ雪も残っている。雪の重さに耐えかねた枝が折れて、みちをふさいでいるのを、シェマはまたいだ。


「例年、みちの手入れは春になってからとしてもだ。今回は、皇子代理の十三詣じゅうさんまいりだぞ。巡礼のみちの整備は必須ぞ」

 先を歩くティフィンが、みちをふさぐ大きめの枝は蹴って、どけてくれた。

 保知ぽちは、それを遊んでいるとカンちがいするのだろう、うれしそうに、ティフィンのまわりを跳ねまわった。


 そんなふうに、大枝小枝と格闘しているうちに、日は空の頂点まで来ていた。

「休憩しませんか」

 シェマは自分の腹時計に忠実だった。

「そこに、それ、腰かけるに、ちょうどよい岩もありますし」


 みちの脇に、たいらな面を上にした大石をみつけた。


「そうだな」

 さすがの武人も疲れたのか。シェマの消耗を気にかけたのか、同意してくれた。


 たいらな大石は、寝っ転がれるほどの広さは、ゆうにあった。日の光を浴びて、その面はあたたまってさえいる。シェマは座って、肩にかけた布包みを開き、宿の男が持たせてくれた、にぎり飯の入った笹巻きを岩の上に置いた。

「召しあがれませ」

 シェマが、ティフィンに、そう言ったとたんだった。

おお


 にぎり飯が輝いたかと思うと、消えた。


「……」

 かたまったシェマとちがって、ティフィンの対応は早かった。

 シェマの腕をひっつかんで、大岩から飛びのいた。

「ひかった! 消えた!」

 シェマの語彙ごいは、さほどない。


 その間にも、たいらな大石は、ほのかに発光していた。

 と、次に、空に向かい白虹はっこうが立ちのぼった。その光が人型を取る。

『ひさしいのぉ。供物は』

 白い衣の青年の姿となった。


 人ではない。一目瞭然。

 その手に、にぎり飯があった。

『供物を捧げたは、ぬしか。われに、尻を据えたのはゆるしてつかわそう』


「御無礼を!」

 ティフィンはあわてていた。

「ここに神の依り代があるとは思いいたらずっ」


よい。吾は、どうせ旧時代の遺物じゃ。忘れ去られて、ひさしい』

 青年神は二個めの、にぎり飯をほうばりはじめた。

われに参る者も、ひさしくいなくてな。みな、二之宮が目当てじゃからな』


 ティフィンが、こそっとシェマに耳打ちした。

「……どうやら、今は、さほど祀られていない神だ。シェマ殿が置いた、にぎり飯が供物ということになったらしい」


石筒之男神いわつつのおとこがみ

 シェマの中で声がした。ユ―フレシア皇子が目覚めていた。

『あの神は』


「い岩筒いわつつの男神さま」

 シェマは、ユ―フレシア皇子の言葉をなぞった。

「わたしは十三詣じゅうさんまいりに参りました。岩筒いわつつの男神さまにも、お参りいたします」


よし

 青年神の身体から発する光が強くなった。

『名を呼ばれるのも、ひさかたぶりじゃ。その心がけに免じて、神託を与える』

 かっと、青年神は目を見開いた。にぎり飯の、ごはん粒が口の端についたままだ。

『この先も巨木が倒れている。無理に通っても、二之宮に着くのは夕刻となろう。日暮れてから、雨となる。気温も下がることだろう。一枚多く、羽織ものを羽織れ。以上』


「……このまま進んではダメってことでしょうか?」

 シェマは不安になって、ティフィンにすがった。


「残るは上級者向きの修験道です。わたしはよくても、シェマ殿は」

 ティフィンは、ため息をついた。


『いったん、稲喰イナハミ村の宿に戻ってはどうだ』

 シェマの中のユ―フレシア皇子が様子をうかがっていたのか、妥協案を出してきた。


『ん? 変わった男子だな。おまえは』

 岩筒之男神いわつつのおとこがみがユ―フレシア皇子の存在に気がついたようだ。

『ひとつの身体に、ふたつの精神を宿しておる。そのひとつが、とびぬけて、かしこい』


「はぁ」

 シェマは苦笑いした。かしこいというのは、ユ―フレシア皇子のほうだと思えたからだ。


『雨があがったら、また、ここへ来い。二之宮に行く方法を考えてやる』

 男神は面倒見がよいようだ。

『にぎり飯を忘れるな』

 そこだった。



 日が暮れる前に、シェマとティフィンは、稲喰イナハミ村の宿へ戻った。

 ふたりを見ると、男はびっくりした顔をしていた。そういえば、表に白い布は出ていなかった。が、また、いそいそともてなしてくれた。


「今日は、ごちそうができません」

 すまなそうに、今度は家の奥の囲炉裏いろりはたに案内してくれた。

 夕餉ゆうげは、囲炉裏いろりで雑炊にするという。


「では、何か狩ってこよう」

 ふらりとティフィンは外へ出て行った。保知ぽちが、ぴょんぴょん跳ねるように、ついていった。シェマは、「疲れをとってください」と残された。


 土間の丸太の椅子に所在無げにシェマが座っていると、男の娘だろうか。女が土間に湯を張った、たらいを持ってきてくれた。

 昨日はみかけなかった。

 家の奥にでもいたのだろう。

「足、あたためなさませ」

 ていねいな言葉が使いなれなくて気恥ずかしそうだ。


 シェマは、なめした皮靴と足袋たびを脱いで、素足をたらいの湯につけた。少々、熱めに感じた湯が、だんだんと心地よく身体からだにしみた。


「さしつかえなかんば、肩もあたためなせ」

 湯をしめした布を、肩に置くようにと女は言った。言う通りに、シェマは首筋の衣を開くようにして、湯で湿した布を置いた。


「ありがとうございます。身体からだが楽になりますね、これ」

 思わず口に出た礼に、女の表情が、ぱっと明るくなった。


「だんながたは、いいかただ。こないだの客なんか、何人もいて銀一粒だった」

「ん? 十三詣じゅうさんまいりのお客さん?」

「いや、人足衆にんそくしゅうだ。参道の整備に来た」


「参道の整備……」

 シェマは落石や倒木を思い出した。

「この時期、平地なら、ともかく、山間では冬の最中とも言えない?」


「さぁ。えらい人のやることは、わかんねぇ」

 女は口をとがらせた。


 わかんねぇ。シェマも思った。

(そもそも、なぜ、この冬の時期に十三詣じゅうさんまいりなんだ?)

 あたたかくなってからのほうが、楽じゃないか。


 故事が、どうたらだったとしてもだ。

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