№32 主人公

 もはや走れることが奇跡のような満身創痍で夜の街を走り抜け、ジョンは数時間前惨敗を喫したジェーンの主人の屋敷の前までやって来た。


 そろそろ夜が明けようとしている。最初に忍び込んだ時とは違って、屋敷は傭兵たちに警備されていた。


「おい、お前か! 奴隷をさらおうとしたやつは!」


「そんなひどいざまでよく帰ってきたな!」


「今度こそ始末してやる!」


 門をくぐった瞬間から剣を構えて飛びかかってきた傭兵たち。


 ジョンはひとりの腹を素手でぶち抜き、ハラワタを引きずりながらもうひとりのこめかみを叩き割った。脳漿が飛び散り、やいばがくるくると回転しながら宙を舞う。


「……ひ……!」


 逃げようとした最後のひとりの首をわしづかみにし、ひねり折る。動かなくなった傭兵たちの屍を踏み越え、ジョンは進んだ。痛みなどとうに忘れてしまっていた。


 傭兵たちは次々向かってきた。そのすべてを、ジョンは殴り、貫き、蹴り、振り回し、引きちぎり、折り、叩き壊した。たちまち庭園には血と臓物のにおいが充満し、辺りは血の色一色に染まる。


 ジョンは走った。大虐殺の果てに、いとしいつがいの姿を夢見て。


 ただ、今は無性にジェーンに会いたかった。


 そして、自分はこの世界にいてもいいのだと確認したかった。


 そうしないと、自我が保てない。


 生きていけない。


 そのためならば、邪魔するものはすべて殺す。皆殺しだ。何人でもかかってくるといい。鏖殺してやる。


 どこからかわいてくる傭兵たちを、ジョンは息をするように殺害していった。血にまみれながらも、なんの罪悪感も抱かず、ただ前に進むためだけに噛み殺していった。


 ひとをはね殺しながら進む蒸気機関車の無機質さではなく、ひとを踏みつけにしながら這い上がる地獄の悪魔のような生々しさ。ジョンはとうにひとの領域を軽々と超越してしまっていた。


 殺しに殺したあとで、庭園を魔法で火の海にする。ジェーンが囚われている屋敷に引火するまでがタイムリミットだ。散発的に爆裂魔法を放ちながら、ジョンは叫んだ。


「出てこい! 『最強』!!」


 今度こそ、勝つ。

 

 強くなるために強くなるのではない。


 勝ち取るために強くなるのだ。


 これまでの戦いとは違い、背負っているものの重みがある。


 返り血をぼたぼたと垂らしながら立ちすくむジョンの前に、ゆらりと人影が現れた。


 『最強の勇者』は大剣を引っ提げながら、ジョンと再び対峙する。


「まだあきらめていなかったのか、懲りないやつだ」


 あくまで強者の余裕たっぷりに肩をすくめる『最強の勇者』に、半分死にかけているジョンは鋭い視線を投げかけた。


「何の罪もない人間を殺して、屋敷に火を放ち、奴隷を連れ去ろうとしている。お前は大悪党だ。今、俺が成敗してやる」


 ちき、と剣の切っ先をジョンに向ける『最強の勇者』。


 大悪党? アンチヒーロー?


 望むところだ。


 思い知らせてやる、これはお前のための物語ではないと。


 殺してやる。


 殺してやる。


 殺してやる。


 物語を根底からひっくり返してやる。


 今度こそ、レールの外に飛び出してやる。


 勝つのは俺だ。


 『最強狩り』のジョン・ドゥーだ!!


「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 ケダモノのような咆哮を上げて、ジョンは『最強の勇者』を殺しにかかった。


 火傷と骨折で左腕はもう使えない。かろうじて動くその腕を振りかぶり、ジョンは『最強の勇者』に飛びかかった。


 ざん!と大剣がジョンの左腕を撥ね、役立たずの腕が宙を舞い、地面に落ちる。肩口からどぶどぶと血があふれてジョンのからだをますます血の色に塗り替える。


 こうなることは予想していた。左腕は最初から捨てるつもりだったのだ。


 腕一本を犠牲にして『最強の勇者』の至近距離まで近づいたジョンは、空気中の魔素をありったけかき集め、精密極まりない意識のコントロールで膨大なエネルギーへと変換する。


 ゼロ距離で、レーザーブレスが放たれる。


 ひとの生身では到底成し得ないことを、ジョンはやってのけた。いかづちをはらんだ光の束が地面をえぐり、その行く手にあるものをすべて焼き滅ぼしていく。轟音と共に大地が共鳴し、破壊の痕跡がまっすぐな線として伸びていく。


 光は確実に『最強の勇者』のからだを包んでいた。辺り一帯を焦土と化したレーザーブレス、そう簡単に防げるものではないが……


 ジョンの予想通り、『最強の勇者』はそこに立っていた。なにかのいわくがあるらしい盾をかざし、完全にレーザーブレスを防いでいる。ちりちりと盾の表面を光が滑っていった。


 やがて光が途絶え、辺りに静寂が戻って来る。焼け焦げえぐれた地面が、しゅうしゅうと蒸気を上げていた。レーザーブレスは屋敷の塀を越え、街の一部を破壊し近くの山まで届いている。その直線状にあったものは、『最強の勇者』を除き残らず蒸発していた。


「……驚いたな、人間がレーザーブレスを使うだなんて」


 盾を下ろした『最強の勇者』が目を丸くする。口笛まで吹いていた。


 まだだ。まだ届かない。


 『最強の勇者』の英雄譚はまだ続いている。この余裕が証拠だ。


 まだ足りない。まだまだ足りない。


 左腕を失ったジョンが、流れ星の勢いで『最強の勇者』に迫る。残った右腕を振りかぶり、『最強の勇者』の心臓を素手で貫こうとした。


「おっと」


 やいばよりも鋭い手刀は、あっけなく盾で防がれてしまう。盾を振り払い、『最強の勇者』は大剣でジョンに斬りかかった。


 まだ英雄譚が続いているのならば、この攻撃は確実にジョンに当たるだろう。


 ならば、いいだろう。おとなしく斬られてやる。


 片腕を広げて、ジョンはバッサリと袈裟懸けに斬られた。ぶしゅう、と血しぶきが上がり、電撃のような痛みが尾てい骨まで響き渡る。


 それでも、ジョンは決して倒れなかった。両足を踏ん張り、両目を見開き、自分を斬りつけた大剣を右手でつかむ。諸刃のやいばをつかんだのだ、指にはたちまち切れ込みが入った。


「……くっ……!」


 『最強の勇者』が初めて焦りの表情を浮かべる。剣を引くと、ジョンの右手の指はぼろぼろと切り落とされてしまった。


 しかし、ジョンは指を失くした右腕を振りかぶり、ざ、と荒れ果てた大地を蹴ると、『最強の勇者』の頬に思い切りこぶしを叩きつける。


「っぶばああああああああ!?!?」


 悲鳴を上げた『最強の勇者』のからだが、大げさなくらい吹っ飛んだ。荒野をごろごろと転げまわり、遠ざかっていく。


 これであの剣は封じたも同然だ。


 そして、英雄譚にもフィナーレが近づいている。

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