№29 戦う、勝ち取る

 夜になって、ジョンはジェーンの主人の屋敷に忍び込んだ。警備は比較的手薄で、罠魔法などを解除しながら進み、やがて奴隷たちが寝起きしていると思われる掘立小屋にたどり着く。


「……ジェーン・ドゥー……?」


 扉を開いて小さく呼びかけると、小柄な人影が近づいてきた。ジェーンだ。


「……ジョン・ドゥー……」


「約束通り、迎えに来た。俺といっしょに逃げよう」


「うん」


 ジェーンも覚悟は決まっているようだった。強くうなずき、ジョンの手を取る。


 要らぬお節介かもしれないが、ジョンは一応周りの奴隷たちにも呼びかけた。


「おい、この中で他に逃げたいやつはいるか? いっしょに行きたいというなら連れて行ってやる」


 暗闇の中にざわめきの輪が広がる。なにごとかささやき合っていた奴隷たちだったが、結局手を挙げるものは誰もいなかった。


 ジョンが主人を刺殺した時と同じだ。ここの連中は、ジェーンとは違って芯から奴隷根性に染まってしまっている。この悲惨な境遇から逃げ出すという発想すらない。


 ジェーンまでこうなる前でよかった、とジョンはこっそり胸をなでおろした。


「おい、ねえちゃん。そいつを連れていくのか?」


 中年男がひとり、ジョンとジェーンの前に現れた。まわりの反応からすると、この奴隷たちのリーダー格のようなものらしい。


「ああ、そうだが?」


 ジョンが答えると、男は唾を吐き捨てて苦々しい顔をした。


「ちっ、余計なマネしやがって。そいつはなあ、『初物食い』が終わった後で俺がおこぼれに預かるはずだったんだ。せっかく前々から目をつけて……ぶばっ!?」


 気が付けば、ジョンは男を殴り倒していた。強烈な一撃を頬に食らった男はその場に昏倒し、びくびくと痙攣する。


 こぶしを掲げたまま、ジョンは宣言した。


「こいつの他に、俺のつがいを侮辱したいやつはいるか?」


 しん、と静まり返る掘立小屋。逃げる決意も反抗する意思もない、奴隷たちの家畜小屋。


 そんな場所から、ジョンはジェーンを連れ出した。


 広大な庭園を速足で歩き、ジェーンの手を引く。


「ここから先は気を付けていかないといけない。大丈夫、君のことは俺が守る」


「……信じてる」


 互いに強く手を握り合い、ふたりは足早に屋敷の出口を目指した。


 罠を解除し、慎重に物陰に隠れながら歩いていると、ふと目前にたったひとりの人影が現れる。


 月明りに照らされたのは、草地に腰を下ろしている美しい青年だった。神が丹精込めて作り上げられたような横顔はきりっと引き締まっており、その目はまっすぐにジョンを見詰めている。背中の大剣と盾、鎧で武装しており、その体躯も引き締まっていた。


 ジョンたちがやって来たことを知ると、男は立ち上がって問う。


「屋敷の奴隷をさらってどこへ行くつもりだ?」


 どうやら男はひとりらしい。ジェーンが連れ去られることを予測していたであろう主人が用意した追手は、この男だけだ。


 ずいぶんとなめられたものだ。


 その思い上がりを見返してやろうと、ジョンはジェーンを背後にかばって不敵に笑って見せた。


「ここではないどこか、さ」


「おやおや、格好つけるもんだな、お姉さん」


 ともすれば今すぐに戦闘が始まりそうな状況だったが、ふたりの間に緊迫した気配はまったくない。ジョンは視線で男を牽制し、男はのんびりと首の関節を鳴らしている。


「俺は雇われ者なんだが……最近、ずいぶんと仲良くしてるって話は聞いた。うちの奴隷をたぶらかす不届きもの、なんて言ってたよ、あのおじさんは」


 雇い主をおじさん呼ばわりとは、この男もなかなかの食わせ物だ。うーん、と伸びをしてから、男はゆっくりと背中に背負った大剣の柄に手をやった。


「奴隷は主人の大切な財産だ。それを脅かすお前は、『悪』だ」


 とたん、ぶわ、と男からプレッシャーがほとばしった。これほどの気配を今まで完全に隠していたのだ。進む足を鈍らせるほどの圧に、ジョンは悟った。


 こいつは『最強』だ、と。


「……お前、何者だ?」


 目を細めたジョンが尋ねると、男はにやりと笑って答える。


「……『最強の勇者』と、ひとは呼んでいるな」


 『最強』……久々の響きだ。今までありとあらゆる『最強』を相手取ってきたジョンの前に、またしても現れた敵。


 しかし、今回は今までとは違う。


 ジョンは戦わされているのではない、みずから望んで戦いに身を投じているのだ。ジェーンを連れ出すために、『最強』と対峙している。


 たしかな目的がある以上、ジョンはこれまでにない強さを発揮する。


「『最強の勇者』だと? そんなのは関係ない」


「……ジョン・ドゥー……」


「……できるだけ俺のそばにいてくれ、ジェーン・ドゥー。あまり離れると守り切れない」


「わかった」


「なにをないしょ話してるんだ?」


 あくまでもリラックスした姿勢の『最強の勇者』を前にして、ジョンは徒手空拳を構える。


「俺は『最強狩り』のジョン・ドゥー……お前の『最強』、狩らせてもらう」


 このセリフも久方ぶりだ。今まさに自分の意志で『最強』を狩ろうとしているジョンは、ちからを込めてそう宣言した。


「ああ、聞いたことがあるな。『最強』を倒して回っているイカれた女がいると。名前はたしか……そうだ、ジョン・ドゥーだ。お前がそうなんだな」


「そうだ。だが、今はお前が『最強』だろうがなんだろうが関係ない。ただ、俺たちの道行きを邪魔するならば倒す、それまでのこと」


「……本当はあまり戦いたくはなかったんだが……仕方がない、雇われた身だ。いいだろう、お前を敵とみなす。お前を、『悪』と認定する」


 ずらり、『最強の勇者』が大剣を引き抜く。鍛え抜かれたやいばと肉体。そこから発される威圧感。相手にとって不足はない。


 ふたりは一定の間合いを保って対峙した。


 もう神の声は聞こえない。完全にジョンひとりのちからで勝たなければならない。


 とはいえ、神の声ももとはと言えばジョン自身の声の反響に過ぎない。今までジョンを導いてきた神の声も、ジョンが無意識下で行っていた思考を神の声という形で発露させたものだ。


 命じられるままに、ではなく、己の意志で戦う。立ちはだかる『最強』を狩る。これが初めての経験だ。


 だが、必ず守る。


 そして、ジェーンといっしょに新天地で新しい生活を始めるのだ。


 それだけをモチベーションに、ジョンはまず周囲の魔素を手のひらに集めて、意識の流れを制御し、構築して魔法と変化させた。

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