№30 『最強の勇者』

 ジョンの周りの空間に、花火のように大輪の火球が咲き乱れる。無数の炎で辺りは昼のように照らし出され、灼熱の青が燃え盛った。


 青い火球は途端に『最強の勇者』へと殺到し、次々と大爆発を引き起こす。地震のように地面が揺れ、えぐれ、炎が竜巻のように舞い上がり、周囲一帯が爆炎に包まれた。


 小手調べはまだまだ続く。


 ジョンは連続して魔素を練り、同じ爆炎魔法を発生させて『最強の勇者』にぶつけた。またしても轟音、さらに大きくなる青の火柱。


 執拗なまでにジョンの攻撃は続く。同じ魔法を何度も何度も叩き込み、『最強の勇者』の反応を待った。『最強』たるもの、この程度の魔法でどうにかなる相手ではあるまい。


 案の定、『最強の勇者』は巨大な炎の竜巻を割いて、大剣片手に突進してきた。


「おおおおおおおお!!」


 雄たけびを上げ、ジョンを斬りつける『最強の勇者』。


 ジョンは、その一撃をたしかに白刃取りした……はずだった。


 が、次の瞬間にはジョンは袈裟懸けに斬られていた。


 ……どういうことだ……?


 痛みをこらえながら距離を取り、ジョンは考える。


 そもそも、『最強』の『勇者』とはなんだ?


 なにをもって『最強』とされている?


 考えろ、そうすれば打開策が見つかるはずだ。


 『勇者』とは、絶対的な正義。物語の主人公。王道を征く者。


 だとしたら、『最強の勇者』とは……?


 ジョンは出血を気にしながら、試しに魔法を構築して放ってみた。


 今度は極大の雷撃が『最強の勇者』に迫る。


 しかし、『最強の勇者』は大剣を地面に突き立て、それを避雷針のように使って攻撃を避けた。


 まるでこちらの手の内がすべて読まれているような、そつのない対応だ。


 そして『最強の勇者』からも魔法が放たれた。


 なんということのない、一個の火球がジョンに飛んでくる。


 こんなもの、よけてしまえば終わりだ……と、思っていた。


 が、今度もからだが空間にはりつけられたように動かなくなり、火球はジョンに着弾すると大きく爆発した。


 爆炎に呑まれ、ジョンの意識が飛びそうになる。左半身は火傷でダメージを負い、左腕を指先まで複雑骨折してしまったようだ。


 ひどい痛みと戦いながら、ジョンはいぶかしげに考える。


 どういうことだ? なぜ『最強の勇者』の攻撃を避けられず、こちらの攻撃が届かない?


 直撃して当たり前の攻撃を仕掛けたし、よけられて当然の攻撃を避けられなかった。


 まるで、なにか作為的な神の手のようなものに操られているかのように、すべては勇者の思惑通りに運んでいる。


 『最強』の『勇者』。英雄譚の絶対的主人公。


 考えに考えて、ジョンはある結論に至った。


 『勇者』に必要なもの、それは言ってしまえば『ご都合主義』だ。なにもかもがうまくいってしまう、主人公の特性。そこには敵対者の都合など介在する余地もなく、『悪』と断じられた敵対者は等しく『勇者』の前に屈服することとなる。


 神に愛されすぎた男。ステータスを幸運に全振りしたような、ラックの塊。


 それが、『最強の勇者』だ。


 なにがあっても勝つことが決まっている。それが『勇者』の英雄譚なのだから仕方がない。物語に必要なのだから。


 要は、この英雄譚に出演してしまった以上、ジョンの負けは確定しているのだ。『最強の勇者』と対峙するということは、この世界の物語と対峙するということだ。かつて出現した魔王よりも厄介だ。相手はこの世界を構築しているシステムなのだから。


 わかったところでどうしようもない。


 火傷と骨折、裂傷の痛みで膝を突いていたジョンは、それでも立ち上がった。


 『勇者』だろうがなんだろうが、知ったことか。


 自分はつがいを助けなくてはならない。そのためなら、この世界のシステムにだって背く。


 膝を震わせながら立ち上がったジョンに、『最強の勇者』は容赦なく大剣を振り下ろした。ガードなどできるはずもなく、ざっくりとわき腹をえぐられるジョン。皮膚の下の脂肪が露出し、その黄色い脂肪もあふれかえる血液の赤で見えなくなってしまう。


 血しぶきを上げながら、ジョンはその場にゆっくりと倒れた。失血で意識が遠のいていく。


 ……これで終わりなのか……?


 ……ここで行き止まりなのか……?


 ……黙っていないでなんとか言ったらどうだ、神の声……?


 それでも、神の声は依然として聞こえなかった。


 びくびくと震えるジョンのからだを前に立ちはだかった『最強の勇者』は、大剣の切っ先をジョンの心臓に向ける。


「これで、終わりだ!」


 鋭いやいばがジョンの心臓を貫く直前。小柄な影が『最強の勇者』にぶつかって、切っ先がそれる。


 心臓のすぐ近くの地面に刺さった剣を見詰めていると、『最強の勇者』とジェーンが小競り合いをしていた。


「くっ、なにをする!?」


「もうやめて!」


「離せ!」


「いやだ!」


 ジェーンはその矮躯で必死にジョンをかばっていた。『最強の勇者』にとって、少女を殺害するというような行為はもってのほかだ。ジェーンは殺されない。


「逃げて、ジョン・ドゥー!!」


 もみあいになりながらジェーンが叫んだ。たしかに、『最強の勇者』にはジェーンを殺すことはできないだろう。しかし、再び捕らえられたジェーンにどんな苦痛が待っているかは、想像に難くない。


 こんな時、神の声のアドバイスがあれば……!!


 ジョンはあれだけ疎んじていた神の声を聞こうと、必死に耳をそばだてた。


 ……何も聞こえない。


 くそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっ!!


 なぜ今になって神の声が聞こえない!?


 俺が戦うことをやめたから見放したのか!?


 なんて自分勝手なんだ!!


 こんな時にだけ神の声を頼りにするジョンも自分勝手なのは承知の上だった。だが、毒づかずにはいられない。


 今のジョンでは、『最強の勇者』を倒してジェーンを連れていくことはできない。『勇者』の英雄譚から一旦退場しなくては、勝機は見えない。


 ジェーンがかばってくれている内に、逃げなければ。


 大きく切り裂かれたわき腹を押さえながら、ジョンはちからの限り走り出した。大量の血痕が地面に尾を引き、すぐに息が切れ、血の気が失せていく。


 それでも、ジョンはなんとか走った。『最強の勇者』は追ってこない。ということは、『勇者』の英雄譚から退場できたのだろう。


 かろうじて薄皮一枚でハラワタが飛び出るのを防いでいる状態で、ジョンは屋敷の外に出て、外壁に寄り掛かった。


 ジェーンを救えなかった……!


 なんという絶望、なんという無力感、なんという自己嫌悪。


 『最強の勇者』を前にして、手も足も出なかった。


 自分は英雄譚のいち悪役でしかないのだ。


 一旦は退場できたが、この先どうすればいいのか……


 ……いや、泣き言を言っている暇はない。


 一刻も早く、ジェーンが逃げ出そうとしたことを咎められる前に戻らなければならない。


 こんな傷、すぐにでも治してやる。


 ジェーンが待っているのだ。


 そう胸に刻み、ジョンはずるずると血の跡を引きずりながら裏街へともぐりこんでいった。

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