№21 病
結局、ジョンは元『最強の斧使い』によって街まで運ばれた。
適当な宿に放り込んだ後、元『最強の斧使い』は去っていったようだ。
安宿の一室ではっと目を覚ますと、窓の外は真っ暗になっていた。時計を見ると、午前二時だ。
半日か? 一日か? どれくらいの間気を失っていたのかはわからないが、ジョンの精神にかかった負荷は相当なもので、意識をシャットアウトしなければ崩壊するほどになっていた。
しかし、これだけ深く長く眠ったのは久しぶりだ。
主人を殺害した後、あの老婆の家で満ち足りた生活を送っていた時以来だった。今更思い出して懐かしさにひたる。
あのころは良かった。ただ人間らしさに触れ、おのれが人間だと確認する過程は、ひとつひとつが新鮮な発見だった。やさしさやしあわせといった人間の明るい部分を垣間見たジョンは、老婆といっしょに安らかに眠ったものだ。
それが今はなんだ。
神の声にせかされるがままに、戦いに次ぐ戦いの日々。満たされるのは一瞬だけで、あとは想像を絶する渇きに襲われる。人間の暗い部分ばかりが目に付いて、正直奴隷だった頃よりもずっと精神的には疲弊していた。
あのまま、思考停止で奴隷のままだったら。勝ち取ることを覚えていなかったら。
あの日、神の声が聞こえて来なかったら。
ここ最近はそればかりを思う。ただのゴミとして死ぬのも、また正しかったのかもしれない。自分は人間だということを知らないままでいたら、虫けらのように終わることになんの疑問も抱かなかっただろう。
それはある意味、安らかな人生だ。
ヘタに人間性など知ってしまったがゆえに、ジョンは虫けらとも人間ともどっちつかずの人生を送ることになってしまったのだ。
すべてはあの日、主人を刺し殺した瞬間から始まった。終わりのない修羅の道はどこまでも続き、ジョンはすっかり疲弊していた。
さあ、ジョン・ドゥー! 次はどんな『最強』を倒しますか!? 早く次を探しましょう! 次です、次!
次、次とうるさい。
最近は四六時中神の声が頭の中に満ちていた。戦え、勝ち取れ。さもなくば死ね。それがお前の存在意義だ、と。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し、ジョンの脳髄の奥にまでしみ込ませるように、神の声は執拗にわめいた。
ジョンを否定し、ジョンから存在意義を奪うのは、ほかならぬジョン自身の頭の病たる神の声だった。もはや洗脳に近いレベルで、ジョンは神の声の言うことに従っていた。そして、自分には戦う以外の存在価値はないのだと思い込んでいた。
立派な病だというのに、ジョンには病識がない。そもそも、この世界に脳の病などという概念はなかった。前世で病が発覚していればあるいは治療の余地があったのかもしれないが、主人を刺したという極限のストレスの中で発病したため、ジョンは自分が病気であることを知らなかった。
ジョンのうつしみである神の声は執拗に告げる。
なにを言っているのですか! それ以外にあなの存在価値などありますか!? この世の中のすべての『最強』を倒して、真の最強になるまで、あなたは戦い続けるのです!
たしかに、俺は勝利した。勝ち取って前に進んだ。
だからと言って、なぜ勝ち続けなければならない? なぜ進み続けなければならない?
俺だって休みたい。争いごとも何もない世界で、平穏な日々を送ってみたい。仲間に囲まれ、孤独から抜け出したい。
なぜそれをわかってくれない!?!?
それ以外にあなたの価値などないからです! 平穏!? 仲間!? そんなぬるま湯に浸かっている暇など、あなたにはありません! 強者の宿命です! 強いものはより高みを目指す宿命にあります! 一度勝ち取った人間は、勝ち続けなければならないのです! 止まるときは死ぬ時です! あなたこそ、なぜそれがわからないのですか!?
俺は強くなりたくてなったわけじゃない! お前が命令するからこうなったんだ! 頼むからもう喚き散らすのをやめてくれ!!
いいですか、ジョン・ドゥー! 思い出しなさい! あの勝利の酩酊感を! 眼球の奥がまぶしくまたたくようなあの感覚を! 勝利の美酒はしびれるほどに美味でしょう! 勝ち得た瞬間、あなたは世界中の誰よりも幸福でしょう! その幸福こそが、あなたの生きる意味! その瞬間こそが、あなたのすべて!
たしかに、あの感覚は素晴らしいと言うよりほかない。途方もない万能感に包まれて、泣きそうになるほど気持ちがいい。その一瞬のためだけに、ジョンは戦っていると言っても過言ではなかった。
しかし、すぐにそれを上回るほどの飢餓感がやって来る。もっと、もっと。満腹中枢が破壊され、たらふく食ってもまだ食い足りない獣のようだった。どれだけ劇的な勝利を収めようとも、まだもっと大きなものを勝ち得ることができるのではないかと考えてしまう。
行き過ぎた病的な上昇志向。なまじ勝利の味を知っているからこそ、次が欲しくなる。
まるっきり麻薬中毒者の理論だ。一瞬の快楽のためだけに餓鬼のように戦いを求めてさまよう。やめたいのにやめられない。神の声が言う通り、止まったらそのときが終わりだ。この悪循環は六道輪廻の輪のように連なっていた。
だれか。
だれかたすけてくれ。
おれをとめてくれ。
切に願うジョンの頭の中で、まだ神の声がわめき散らしている。
ジョンは真夜中のベッドの上でひとり膝を抱えて毛布をかぶり、がくがくと震えながら明くる朝を待つのだった。
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