№3 家畜

 相変わらず、少女はロクな教育も受けずに育った。


 十歳くらいのころだろうか、少女は朝から市場に連れていかれた。何か買ってもらえるはずもないことくらい少女にもわかっている。


 市場の薄暗い一角に連れていかれると、母親とすねに傷がありそうなありそうな男が何やら話し込んでいる。やがて話がついたのか、母親は何かを受け取って少女を置き去りに帰っていった。


 少女はすぐさま首輪をはめられ、狭苦しい猛獣用の檻に入れられた。ぼろぼろの服のままその檻は荷馬車に乗せられ、どこかに連れていかれる。


 少女は一切抵抗をしなかった。こういうことになるとわかっていたのだから、落ち着いたものだ。


 やがてたどり着いた先は、裕福そうな男女が集うオークション会場のようなとこだった。もっと下品な言い方をすれば、奴隷の競り市だ。誰も彼もが他の場所からも集ってきた檻の中の少年少女たちを値踏みしている。


 首輪をつけられた少女は、鬼のような顔をしたオークショニアに『笑え』とだけすごまれた。それで待遇のいいところに売りに出されるのならば御の字だ。


 鎖を引かれ、舞台の中央にやって来て笑う。よく見れば容姿端麗な少女には、次々と高値がつけられた。しかし、読み書きや計算ができないと言われた途端、入札は途切れる。悪い流れになってきたところで、結局ひとりの男が少女をセリ落とした。


 首輪につながった鎖を引かれ、少女はすぐさま金貨と引き換えに男に引き渡される。せっかく自分のためにお金を使ってくれたのだ、愛想よくしなければ。


 にっこりと笑った少女の頬に、男のこぶしが降ってくる。いきなり殴り倒された少女はわけもわからず倒れ込み、そのまま引きずられるようにして鎖を引かれて連れ去られた。


 考えが甘かった。


 ここよりひどい地獄なんて、どこにでも転がっている。地獄に底などないのだ。


 それからの日々は、ひととしてすら扱われない生活が待っていた。


 主人は頻繁に意味もなく奴隷に鞭を振るった。主人だけでなく、その小さな息子や妻もだ。怯える奴隷たちの様子が面白いらしい。どの奴隷も、からだ中みみずばれが絶えなかった。


 食事も一日にパンがひとつと野菜スープのみ。一方で、主人たちは毎日豪華な食事をとっていた。当然ながらそれだけの食事で足りるはずがなく、奴隷同士で食料の奪い合いが発生した。奪われたものは飢え死にするしかない。少女はもらった食料はうまく隠していたおかげか、その奪い合いに巻き込まれることはなかった。


 主人一家からひと以下の屈辱的な扱いを受けて、奴隷小屋に詰め込まれ、少ない食糧で、奴隷たちは過酷な労働を強いられた。


 一家の主な収入源は小麦の生産だ。奴隷たちは小麦を収穫し、背中をたわめて思い穂を負い、荷車に積み込んで何人かで引いて運ぶ。少しでも遅れれば鞭が見舞われた。小麦の束を落としたものは、骨が折れるまで手のひらを踏みにじられた。


 小麦栽培には肥料も必要で、当時その肥料といえば糞尿だ。奴隷たちは悪臭にまみれながら肥溜めにたまった糞尿を桶に入れて、重い桶を肩に担いで運んだ。ただでさえロクに水浴びもさせてもらえない奴隷たちのにおいはひどいものだった。


 そんな奴隷たちを人間扱いなどできるはずもなく、メイドや執事までもが家畜を扱うように奴隷たちに接した。


 少女は己の甘い考えを悔いながら、日々重労働に明け暮れていた。


 ある日、糞尿運びをしていた少女は、主人の息子から大きな石を投げられた。頭に直撃した石のおかげで桶は倒れ、辺りは糞尿まみれになる。そんな中で頭から血を流して意識がもうろうとする少女を見て、息子は指をさして笑った。


 これはあまりにもひどすぎるのではないか。


 奴隷にだってたましいはあるのだ。


 ひとをひととも思わない行為に、少女は息子を睨みつけた。


 が、それをいっしょにいた主人に見られてしまった。


 なんだ、その目は。そう言われた。


 思わず目をそらした少女に、主人は容赦なく鞭をくれた。何度も何度もぶたれて、蹴られて、頬を張られ、髪をつかまれて引きずり回され、少女は散々痛めつけられた。


 ほんの少し睨んだだけでこれだ。


 もはや存在意義云々の話ではない。尊厳の問題だ。


 その尊厳を踏みにじられ、少女のこころはだんだんと折れていった。次第に奴隷根性に染まり、外の世界のことなど考えもしなくなった。蔑まれ、暴力や暴言を振るわれ、家畜のように扱われることに疑問を感じなくなっていった。


 きっと、ここで野垂れ死ぬまでこき使われるのだ。


 なぜ人間として二度も死ななければならない?


 こんなひどい人生、繰り返して何の意味がある?


 俺はただ、レールに乗っていただけなのに。


 ただ反抗せず、おとなしく、従順に運命に従ってきただけなのに。


 夜、奴隷たちが詰め込まれた小屋で小さく丸まって考えるのはそのことばかりだ。


 もう涙を流すことも忘れてしまったうつろな目で、虚空を見詰める。


 どこで間違った?


 それとも、俺はもともとこうなる運命だったのか?


 ……だったら、仕方ないな。


 そうやって思考を強制的に打ち切って、眠りにつく。いつものことだった。


 少女は、それが他の奴隷たちと同じ考え方だとは気づかなかった。


 ただ粛々と運命を受け入れて、自らの手で打開しようとはしない。


 身もこころも家畜となり果てた、奴隷の出来上がりだ。


 げほげほと咳をする声が聞こえてくる。肺を患っているのだろう。もちろん治療などという上等なものは受けられず、おそらくそのまま血を吐いて労働中に死んでしまうのだ。


 自分も、あとどれくらい生きていられるかわからないな……と考えながら、少女は今日も短い眠りについた。

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