№4 運命を拒絶せよ
過酷な労働も終わり、すぐさま食べ物を口に詰め込んでいると、下っ端のメイドが顔をしかめながら奴隷小屋へやって来た。
主人が呼んでいる、今すぐ来い、ということらしい。
あの一件以来目をつけられていることは知っていたが、直々にいたぶられるのだろうか。
もう痛いことや苦しいことは慣れていたが、何をされるかわからないという恐怖はあった。
メイドに案内されて、初めて屋敷に入る。夜中とあって、誰も通りがからなかった。妻も息子も他のメイドたちも眠っているのだろう。豪奢な赤じゅうたんに、いくつもの調度品。改めて、ずいぶんと裕福な暮らしをしているようだ。
主人の部屋の前まで連れて来られて、メイドはそそくさと退散していった。自分で扉を開けて入っていいらしい。
ドアをノックするという常識も忘れて中に入ると、主人はあからさまにいらついた表情でベッドに座っていた。声をかけるのもはばかられる。
無言で部屋の真ん中までやって来ると、いきなり頬を打たれた。マトモな体力もない少女はその場に倒れ伏す。
そこからは、暴力の嵐だった。殴る蹴る、髪を引きずり回す、鞭で叩きのめす。いつもの何倍もきつい責め苦に頬をぱんぱんに腫らして、それでも少女はなんとか耐えていた。おそらく骨が何本か折れている。
それが気に食わなかったのか、主人はそんな少女の着ていたボロをいきなりびりびりと破いた。突然のことに動揺していると、ボロは簡単に引き裂かれ、少女は真っ裸にひん剥かれてしまった。
そのまま髪を引きずられてベッドに上げられる。主人は少女に馬乗りになり、息を荒らげながら下衣を寛げ始めた。
ああ、これはアレか……と少女はすべてを察した。
自分はこれから凌辱されるのだ。主人からしてみれば獣姦と同じ感覚だろう。が、少女にとっては初めての経験だ。これが女にとって大切なことだと、こころは男である少女にもわかる。
それが、こんな形で奪われるとは思わなかった。
性処理用の汚物、主人にとってはそれくらいの認識だろう。なまじ少女の見目が良い分、ちょうどいいと思われた。
割に合わない過酷な労働はいい。
なんなら、暴力も構わない。
しかし、本格的に尊厳を奪いに来るこの行為に、少女はひどい嫌悪感を覚えた。
そうまでして自分をおとしめたいか。これ以上どこへ落ちろと言うのだ。もう地べたは舐め回したというのに。
下着まで脱いだ主人の股間はすでに屹立していた。かつては自分にもついていたものだったので、初めて見たものではない。が、ひどくグロテスクに感じた。
男性というものに対する、とてつもない忌避感。前世では男で、今もこころは男の少女の胸に、同族嫌悪めいたものが噴出した。
しかし、こうなってしまった以上、もう逃れるすべはない。
自分は奴隷で、男は主人だ。
自分を生かすも殺すも主人次第なのだ。
仕方ない。
その一言ですべてを片づけて、少女はすべてに身を委ねようとした。
……これでいいのか?
そのとき、こころの片隅にほんの一握りだけ残っていたひととしての尊厳がささやいた。そんなものはとっくに捨ててしまったと思っていたのに、まだしつこく残っていたその声に、少女はうっかり耳を傾けてしまう。
本当に、これでいいのか?
ひとりの人間としてのプライド、と言い換えてもいいかもしれない。ひととして生きていくには絶対に捨てられないその尊厳が、再度少女に問う。
たしかに、この場で身を委ねて主人に処女を奪われる方が楽だ。今後もこういうことを続けていれば、もしかしたら待遇が多少は良くなるかもしれない。痛いかもしれないが、我慢すればいい。自分さえ我慢すれば、それでいい。
しかし、一度凌辱されれば、奴隷以下の性処理玩具に堕ちることになる。ただでさえ尊厳を殺しに殺されているのに、これ以上人間性を傷つけられて黙っていられるか?
ひとりの人間として、これ以上ひとらしさを失うことを許せるのか?
おれは家畜じゃない、人間だ!!
気が付くと、少女はちからの限り抵抗していた。打たれた顔を腫らし、折れた手足をばたつかせてなんとか主人の下から逃れようとする。
まさか抵抗されるとは思っていなかった主人は、慌てて少女のからだを押さえつけた。しかし、追いつめられた手負いのケモノである少女を御するのは容易なことではない。
少女は痛みを一切無視して暴れに暴れた。初めて主人を殴った。噛みついた。ひっかいた。主人も固めたこぶしで何度も顔を殴ってくるが、歯が折れようとも鼻がつぶれようとも少女は抵抗をやめなかった。
主人が少女の首を絞める。意識が薄れていきながらも、少女は最後まであきらめなかった。伸ばした指先に冷たいものが触れる。
とっさにそのやいばを手に取った少女は、その切っ先を主人の首のど真ん中にちからの限り突き立てた。
ばたばたと少女の上に血が降り注ぎ、首を絞める手がゆるめられる。主人のからだはそのままベッドから滑り落ち、絨毯の上に倒れ伏した。
おそらく切っ先が頸椎まで達したのだろう、もう主人はぴくりとも動かなかった。血だまりがじゅうたんの上に広がっていく。
手にしていたのはデスクの上にあったペーパーナイフだったと、今更になって気付いた。鈍いながらもやいばだ。それが今、主人のいのちを奪ったのである。
そう、この手で殺した。
自らの意志で奴隷というレールから外れたのだ。すべてをあきらめ、家畜のように生きることを拒絶した。
そして、勝ち取ったのだ、自由を。
あとからあとから涙があふれてくる。頭の中は拍手喝采の坩堝となり、世界中に祝福されているような気分になった。
脳内物質のおかげでうつろだった瞳にはきらきらとした光が宿り、青白かった頬に血色が浮かぶ。
血まみれのペーパーナイフを握りしめながら、少女は運命に打ち勝ったのだ。
……こうして、少女はジョン・ドゥーとなった。
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