№15 餓鬼道

 ジョンを焼いていたはずの火炎が、急激にその矛先を変える。向かった先は、魔法を放っている張本人であるところの『最強の炎使い』だ。


「……なんだとっ!?」


 自分自身の攻撃が跳ね返ってきて、『最強の炎使い』は狼狽のあまり対処を遅らせてしまった。魔法の構成を解くよりも先に、自分の炎に呑まれてしまう。


「うわああああああああああ!!」


 『最強の炎使い』の炎は容赦なく術者本人のからだを焦がした。ローブが、髪が灰となり、皮膚が焼けただれる。肺を焼き、臓物を煮えたぎらせ、脂肪を燃やした。こうなってはもう、魔法も制御不能だ。炎を止めることもできず、『最強の炎使い』は己の炎に沈んでいった。


 炎に巻かれて身もだえる『最強の炎使い』の前に、涼しい顔をしたジョンが一歩歩み出る。そして、冷ややかな眼差しで燃える相手を見下ろす。


「炎なんて、風でいくらでも操れる。たしかに水で消すのが定石かもしれないが、水なんてすぐに干上がってしまうからな」


 死に体で呼吸をするのもやっとという火傷を負った『最強の炎使い』に、ジョンは見下した視線を向けて冷たく告げた。


「炎の性質を知っていれば、これくらい予測できたはずだ……ああ、なんてザマだ。まったく、『最強』が聞いてあきれる」


「……か、ぁ……こ……」


 なんとか息をしようとする焼死体寸前の『最強の炎使い』。


 ジョンはその頭を踏みつけにして、腕を組んで言い放った。


「頭が高いぞ、『最強』」


 その言葉が耳に届いていたのかいなかったのか、『最強の炎使い』は糸が切れたようにその場に倒れ伏した。


 自分が放った炎に巻かれて負ける。『最強の炎使い』にとって、もっとも屈辱的な負け方だ。散々舐めてかかってきた報いである。


 ジョンの勝利だ。


 また『最強』を打ち倒した。


 ジョンは確実にまた一歩、高みへと近づいたのである。


 その事実を前にして、ジョンの中に今まで感じたことのないほどの快感が訪れた。脳内が麻薬物質でびちゃびちゃにあふれかえるのを感じる。


 やった、やった、やってやった!!


 歯を食いしばって涙がこぼれるのをこらえながら、ジョンは空高くにこぶしを掲げた。


 この手で勝ち取ったものの大きさに、こぶしが小刻みに震えている。


 性的なエクスタシーでさえ、ここまでの甘いしびれはもたらさないだろう。全身を快感の電流が流れ、頭が熱くぼうっとする。陶酔に目を細め、ジョンはここちよい脱力感の中にいた。


 やりましたね、ジョン・ドゥー! あなたなら、きっとできると思っていました! 私の見込んだ通りの戦いぶりでしたよ!


 神の声もジョンの頭の中で祝福の言葉を投げかける。


 あなたは素晴らしい! この世の誰よりも価値のある人間です! あなたはここにいてもいいのです! いえ、必要不可欠なのです! あなたの価値はなにものにも代えがたい! あなたなしでは世界は回りません!


 ああそうだろう、なんたって俺は勝ったんだからな。


 存在理由を勝ち得たことを実感して、ジョンはこぶしを握り締めた。ここにいてもいいのだ。この世界に受け入れられたのだ。それはジョンにとって、なによりも尊い事実だった。


 甘美な勝利の美酒に酔いしれていると、ふいに冷や水をぶっかけるような神の声が響いた。


 さあ、次の獲物を探しに行きましょう!


 ……また『次』か……


 よろこびに水を差されて、ジョンはうんざりした。勝利の快感はほんのひとときだけ、そのあとにはまたあの飢餓感がやってくる。どれだけ食べても満たされない、まるで餓鬼道の鬼のような有り様である。


 勝ち取らないあなたには、何の価値もありませんからね! ここでとどまっているようならば、あなたはゴミクズ同然です! 死んで当然の家畜です! 豚のような生活に戻りたいのならば話は別ですが、そうでなければどうすればいいかわかっていますね!? 戦いなさい! 勝ち取りなさい!


 戦え! 勝ち取れ!!


 その声は輪唱のように幾重にも響き、大聖堂のコーラスのようにジョンの頭の中でわめいた。


 わかってる、わかってるからやめてくれ……!


 ジョンは思わず耳をふさぎ、その場にうずくまってしまう。


 それでも、神の声は繰り返した。


 戦え、勝ち取れ、と。


 うるさい、黙ってくれ。


 俺は勝ったんだ。


 わかったから、次も勝つから、やめてくれ……!


「おい、どうした!?」


 『最強の炎使い』を医者の元へ運んでいた騎士団のひとりが、ジョンの異常を察知して声をかけてくる。


 その声すらもかき消すような神の声に、ジョンはたまらずその場から逃げ出してしまった。


 背後からなにか声が聞こえるが、知ったことではない。


 今は、この神の声が収まるのを祈るしかない。


 猛スピードで走りながら、ジョンの勝利の余韻はすっかり冷え切ってしまった。

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