№17 『最強のアサシン』

 木々のざわめきがやむ。星明りの光る音がしんしんと聞こえるような静寂。


 真っ暗な森の中で、ジョンは『最強のアサシン』の姿を見失わないように注意を払った。姿が消えれば、アサシンの奇襲を許すことになる。今度また第六感が働くとも限らない。


 姿を見失って、探しているうちに背後からぐさりとやられれば終わりである。『最強のアサシン』というからには、そう簡単に気配を感知させてくれはしないだろう。敵はあらゆる痕跡を残さず、ジョンに忍び寄り、致命傷を負わせる。


 そうならないためにも、ジョンは決して『最強のアサシン』から目を離さないでいた。


 いつ消える? どうやって消える?


 そればかり考えていると、ふと頬を生ぬるい感覚が伝った。注意をそらさないようにしながら手をやると、ジョンの頬には血が滴っていた。ぴりりとした痛みも感じる。


 ……今、何をされた?


 わけもわからない内に攻撃を受けて、ジョンは静かに混乱した。『最強のアサシン』からは一瞬たりとも目をそらしていない。なにか仕掛けた様子はまったくなかったはずだ。


 だが、ジョンはたしかに攻撃を受けている。


 そして、その攻撃は続いた。


 手のひら、肩、腿、背中。次々と赤い線が刻まれていき、ジョンはあちこちから血を流す。


「……どういうことだ……?」


 思わずつぶやいたジョンに、直立不動の『最強のアサシン』が告げた。


「さあな。わけもわからないまま、静かに死ね」


「そういうわけにもいかないんでね」


 相変わらず傷を増やしながらも、ジョンは眼前に向けて手をかざした。神の声に従って意識の流れを調整し、魔素を操る。


 瞬間、極大の光球が出現し、真昼の太陽のような輝きが辺りを満たした。その隙に、ジョンはその場から木々の中へと身をひそめる。


 なんの攻撃効果もないただの目くらましだが、暗闇に目が慣れている今、さしもの『最強のアサシン』もこれで視界を奪われるだろう。神の声はそう予想した。


 そして、思わぬ収穫もあった。光のおかげで、暗闇に潜んでいた『最強のアサシン』の攻撃手段がわかったのだ。


 それは、『糸』だった。


 糸と言っても、裁縫用の糸ではない。鋼線、いわゆるピアノ線だ。強固でしなやかな極細の鋼の糸は、その細さゆえに簡単には視認できず、触れるものを切り裂く。


 『最強のアサシン』は、ジョンが眠っているうちに鋼線をあちこちに張り巡らせておいて、今その手札を切ったのだ。鋼線を操るのに大した動きは必要ない。ほんの少しだけ指先を動かせばいいだけだ。ジョンが見落としたのも無理はない。


 アサシンという人種は、下準備にすべてを懸ける。


 罠を仕掛けて、それが不発だった時の罠、それも不発だった時の罠、さらに不発だった時の罠……その積み重ねだ。


 念入りな下準備のほとんどは杞憂に終わるだろう。しかし、不測の事態に備えて仕掛けた罠の数々は、90%の勝率をほぼ100%近くまで高める。その10%の壁を乗り越えたがゆえの『最強』なのだ。


 さすがにプロ中のプロは違うな、とジョンは木々に隠れ潜みながら気持ちを引き締める。


 さて、次はどんな罠が待ち構えているのやら……


 『最強のアサシン』も、元いた位置からどこかへ消えている。ジョンと同じく森に隠れているのだろう。どちらが先に相手を見つけられるかで勝敗が分かれる。


 ジョンはそう考えていたのだが、甘かった。


 突如、膝が抜けたように崩れ落ちる。いつの間にかからだ中がしびれて動かせなくなっていた。


 草むらに這いつくばってよくよく注意してみる。


 ……しびれは右の指先から来ているようだ。そこを中心にして、感覚がなくなっている。


 指先には小さなささくれができていて、わずかに血がにじんでいる。おそらくは、森に潜んできたときに手を置いていた木の幹にこすった時の傷だろう。


 『最強のアサシン』は、周辺の木々に麻痺毒を塗っていたようだ。どこに隠れようとも発動する、次の次の罠として。


 用意周到と言うには、あまりにも偏執狂じみていた。


 抜かりがなさすぎる。


 ジョンが這いつくばっていると、『最強のアサシン』が音もなく目の前に現れた。完全に勝利は確定しているようなものなのに、まだ油断したところを見せない。まだまだ罠は用意されているのだろう。


 幾重にも張り巡らせた罠の数々は、強迫観念的ですらあった。標的を100%必ず殺すという強い意志を感じる。


 『最強のアサシン』の前で無様に倒れながら、ジョンはまさしく圧巻たる『最強』のちからを感じていた。


「……『最強』たるゆえん、わかったか?」


「ああ。なるほど、『最強』だ」


 今にも殺し殺されるという場面だというのに、ふたりの間に緊張した様子は全くなかった。世間話のトーンで交わされる会話。そこには感情が差しはさまれる余地はなく、剣呑な気配などまったくない。


 その状態で、『最強のアサシン』は懐からナイフを取り出して、世間話の延長線上のような口調で告げる。


「ならば、速やかに死ね」


 星明りの夜空に、高々とナイフが振り上げられる。


 勝った。『最強のアサシン』の中に、ほんの少し、一瞬だけだったが、たしかにそんな慢心が生じた。それはどんなに訓練しても消せない、本能的な隙だ。『最強のアサシン』は極力その隙をなくそうとはしていたが、完全には消せなかった。


 勝利を目の前にして、『最強のアサシン』がやいばを振り下ろそうとした。

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