№18 畜生道

 その瞬間、ジョンの『罠』が発動する。


 『最強のアサシン』の足元に魔法陣がまばゆく輝き、そこから伸びてきた光の鎖が手足に絡みついた。


「……っ!?」


 あと一刹那の時間さえあれば、『最強のアサシン』は勝利していた。が、その一刹那の間にからだを封じられ、身動きが取れなくなる。


 全身を光の鎖で簀巻きにされ、『最強のアサシン』は振り上げたやいばを下ろせもせずにその場に転がった。どれだけ身じろぎしようとも鎖は頑としてほどけず、もがけばもがくほどからだに食い込む始末。


「……やれやれ、うまく発動してくれたか」


 早くもしびれもなくなっていき、ジョンはなんとか立ち上がった。まだうまくたつことすらままならないが、『最強』を前にして倒れ伏したままなど失礼に値する。


 礼儀を重んじるジョンは、拘束魔法で縛り上げられた『最強のアサシン』を見下ろした。


「罠を張る側ってのは、自分が罠にかかることを毛ほども予想していないもんだ……罠にかけられて、今どういう気分だ?」


 おちょくるように尋ねるジョンに、『最強のアサシン』が歯噛みする。


 どんなものであれ、勝負には『もっとも美しい勝ち筋』というものがある。その勝ち筋をつかんだものは、すぐそこにある勝利に先んじて酔っぱらってしまうのだ。それは脳内物質に支配される動物である以上、避けられないことだった。


 が、『窮鼠猫を嚙む』とはよく言ったもので、そういった一瞬の隙が致命傷になることがある。窮鼠のちからはもちろんだが、猫の油断もまた、この現象の一因になっているのだ。


 今、窮鼠として猫たる『最強のアサシン』を噛んだジョンは、とうとう『最強』を圧倒した。


「……いつの間に拘束魔法など展開していた……!?」


 もがくのをやめた『最強のアサシン』は、覆面の隙間からジョンを睨み上げた。当のジョンは涼しげな顔をしてタネ明かしをする。


「簡単なことだ。いつ寝首を掻かれてもおかしくない生活を送っているものでな、俺は常に活動不能になると発動する拘束魔法を自分にかけているんだ」


 いわば、時限式の魔法だった。


 発動条件は『術者が行動不能に陥ること』。


 ジョンもまた、先を見据えた罠を仕掛けていたのだ。いや、これは罠と言うよりも保険と言った方がいいか。そうおいそれと行動不能になるジョンではないが、もしものことを考えて保険をかけておいたのだ。


 そして、その『もしも』が今起こり、その保険によってジョンはまんまと生き延びたのである。


 罠を張るものは、自分が逆に罠にはまることを考えないものだ。常に狩る側の立場だと錯覚してしまうのである。その固定観念は非情に強固で、一朝一夕ではとても覆せない。


 もしも、『最強のアサシン』がそこまで徹底していれば、あるいは動物として脳内物質のまやかしに酔っぱらっていなければ、ジョンも追いつめられていたかもしれない。


 が、人間という器の中であがくにはあまりにも分の悪い試みだった。


「まあ、『最強狩り』としてのたしなみだな」


「……そんな複雑な魔法を……!?」


 基本的に、魔法というものは自分に向けられるものではない。常に外側に向かうエネルギーの流れを操るものである。意識の流れを内側に向けるというのはかなり困難を極めるのだ。治癒魔法や回復魔法というものがなかなか発展しないのは、その辺りの事情があった。


 そして、条件付きで発動する時限式魔法というのも、そうそうお目にかかれるものではない。魔法というものは魔素を意識の流れで構成し、エネルギーとしてコントロールするというもので、『今』『ここ』で発動することを大前提としているのだ。


 しかし条件付き魔法は違う。ある一定のフラグが立った時にだけ発動することを目的としているのだ。『今』『ここ』でない瞬間で成り立つ魔法を組み上げるのは相当な練度が必要だった。意識の流れを根底から覆し、ゼロから魔法を構築しなくてはならない。


 本来ならば不可能に近い魔法だが、不幸中のさいわいでジョンは前世でプログラミングというものに触れた経験があった。この世界の人間よりはフラグという概念に慣れ親しんでいたおかげで、こういった時限式の魔法も組み立てられたのである。


 内側に向けられた、条件付きの魔法。


 それは、相当な魔法の熟練者にしかできない至難の業だった。


 そんな偉業を成し遂げておいて、ジョンは何でもないような顔をしながらうそぶく。


「だいたい、アサシンってのは、最初の一撃をしくじれば終わりなんだ。いくら念入りに準備をしていても、その一歩目でつまずけば、全部おじゃん。お前の敗北は、俺が目を覚ました瞬間に決まっていたんだ」


「……くそっ……!」


 こうなってしまっては、どんな罠も働きはしない。光の鎖にとらわれたままで、『最強のアサシン』は悪態をついた。


 その頭を踏みつけにし、腕を組んで、ジョンは『最強のアサシン』を見下ろし、告げる。


「頭が高いぞ、『最強』」


 そして、そのままつま先でこめかみを蹴りつけて、『最強のアサシン』を気絶させる。アサシンが完全に気を失ったことを入念に確認してから、ジョンは拘束魔法を解いた。


 夜の森に静寂が生じる。


 ジョンは安堵と共にあの勝利の快感に酔いしれていた。頭の髄からとろけるような、熱く甘く苦いチョコレートのような、美味なる火酒のようなあの感覚。脳内が麻薬物質でいっぱいになり、突き抜けるような爽快感とハラの底で煮えたぎるような万能感でめまいがしそうだった。


 とろんとした眼差しで泣き笑いのような表情を浮かべ、ジョンは獣のうなうなりを上げる。勝利の咆哮だ。


 また強くなった。また勝ち取った。


 頂点に一歩、詰め寄った。


 そう思うと、快楽の味もひとしおである。


 やりましたね、ジョン・ドゥー! なんとすばらしいことでしょう! 万雷の喝采が聞こえてきませんか? 皆があなたをたたえているのですよ!


 ああ、聞こえるとも! 俺はここにいてもいいんだ! 存在意義があるんだ!!


 祝福する神の声に、ジョンは精いっぱい胸を張った。


 ジョンは勝ったのだ。


 だから、ジョンの人間としての尊厳は守られたはずで……


 さあ、次に行きましょう!


 ……またか。


 せかす神の声に、ジョンは急速に体温が冷えていくのを感じた。このいっときの快感も、すぐに飢餓感に変わる。


 当たり前でしょう! 戦い続けなさいと言ったはずです! 常に頂点を目指し続ける旅程こそ、あなたの存在意義! 強くなり続けることこそが、この世界にいていい理由! 立ち止まってはいけませんよ!


 ほんの少しの休息も許されないのか。ジョンは前世での仕事を思い出して陰鬱な気分になった。


 目的が達成されれば次。それが達成されればまた次。


 ゴールの見えないマラソンを走っているようなものだ。


 さもなくば、あなたはただの畜生です! 豚以下の存在です! 人間になろうなどとおこがましい! 強さを追い求めないあなたなど、なんの価値もありません! また人間扱いされない家畜に戻りたいのですか!?


 ……いやだ。


 それだけはいやだ。


 人間の尊厳をこの手で勝ち取ったジョンにとって、それをまた失うことはあってはならなかった。


 強くならなければ。


 戦わなければ。


 生きている意味、存在意義を守るには、勝ち続けなければならない。


 もう、畜生には戻りたくない。


 せかされるような飢餓感に襲われて、ジョンはふらりとその場から立ち去り、街道を探して夜の森を歩いた。


 もっと強いやつはいないのか。


 『最強』はいないのか。


 おのれの人間の尊厳を守るために、ジョンは次の戦いを求めて幽鬼のようにさまよい続けるのだった。

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