№25 地獄道

 ……もういいだろう。


 ジョンは深く深くため息をついて思った。


 もううんざりなんだ。勝利の快感に振り回されるのも、次へ次へとせかされるのも、この異常な飢餓感も、なにもかもが。


 いくら強くなっても果てがない。自分より強いものはいない、というのは、その実悪魔の証明に近いものがあった。


 果てのない修羅の道に、ジョンのこころはとうとう折れてしまったのだ。


 これ以上強くなりたくない。ただ平穏な、人間らしい生活をしたい。ジョンの望みはそれだけだった。そのために人間としての尊厳を守り抜いてきたのだ。


 これ以上はごめんだ。疲れ切ったジョンは、戦うことを放棄した。


 戦わなくとも、弱くてもしあわせに生きている人間なんて山ほどいる。もはや、強くなる意味が分からなくなってしまった。『最強狩り』は廃業だ。もうたくさんだ。


 麻薬のような勝利の快感も、いらない。しばらくは飢餓感に死にそうになるだろうが、きっと時が解決してくれる。ジョンはきっと、あの老婆のもとにいたときこそが本当のジョンなのだ。


 それを、神の声がぶち壊しにした。戦え戦えとわめいているのは実はジョン自身なのだが、ジョンにとっては神の声に命令されていたから戦っていたまでだ。


 強くなくとも、ここにいてもいい。


 そんな当たり前のことに、ジョンは今更気付いてしまった。


 俺はもう、降りる。


 『最強』を狩るのも、これで終わりだ。


 …………はあ? なにを言っているのですか?


 あざ笑うかのような神の声が頭に響いた。


 あなたは勝ち続けるのですよ! それが強者の宿命です! そこから逃れることはできません! そう決まっているのです! だって、不公平じゃないですか! 強者がその強さの上にあぐらをかいて、何の努力もせずのうのうと生きているなんて! 普通のひとが努力してもたどり着けない境地にいるのに、そんなのはズルいです!


 怒涛のような神の声の喚き声に、ジョンは頭を抱えてその場にうずくまった。


 こんなの、前と同じだ! レールに乗って、正しいことをしているはずなのに、バカを見る! 勝ち取った瞬間から、俺はレールに乗っているにすぎないんだ! バカ正直に従って、強さばかリ追い求めて……せっかくレールから外れて勝ち得たのに!!


 そうですよ? あなたはそれしか能のないマシンなのですから!


 突き放すような神の声に、ジョンのこころは一瞬で凍り付いた。


 戦って、勝ち取って、戦って、勝ち取って、戦って、勝ち取って……無限にその繰り返しです! あなたはすでに地獄道に堕ちているのです! 血で血を洗い、奪い、殺し、犯し、そうすることでようやく世界に存在することができる! 勝つこと以外にあなたの価値などありません!


 違う! 俺には強さ以外の価値があるはずだ! この世界にいていい存在価値が!


 思い上がりもはなはだしい! 家畜だったあなたに、そんなものがあると思いますか!? 勝つこと以外にあなたの存在価値などありません! 無価値な家畜に成り下がりたいというのならば話は別ですが、もうあんな人間以下の扱いはいやでしょう!? それはならば、勝ち続けなさい!


 いやだ! もう戦いたくない! 俺はただ、普通を望んでいるだけなんだ! ちっぽけでもいい、日々を大切に生きるだけでいいんだ! 俺は、普通になりたいんだよ!!


 なにを言おうと、あなたに普通などという平穏は訪れません! あなたはあの日、己の手で勝ち取ったのですから! その瞬間から、あなたは勝ち取り続けることが決まったのです! 勝ち続けなさい! それがあなたの存在意義です!


 あなたは永遠に、このレールの上から外れることはできないのですよ!


 いやだ! 俺は、おれは……!!


 さあ! 歌いましょう! 線路は続くよどこまでも!!


 よく聞き知った童謡が、邪悪なコーラスとなってジョンの頭の中に鳴り渡る。ディストーションのかかったような不気味な旋律は、ジョンのこころを一気にむしばんでいった。


 うるさい! うるさいうるさいうるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!


「っあああああああああああああああああああ!!」


 断末魔のような悲鳴を上げて、ジョンは完全に正気を失くしていた。


 うるさいうるさいとわめいて、口の端に泡をためながら、こけつまろびつ荒野をさまよう。


 その日、ジョンは発狂した。


 人間としての尊厳をみずからどぶに捨てたジョンは、まさしく狂人となり果てて、見えない敵と戦いながら滑稽芝居の役者のようにこころを壊してしまったのだ。

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