№12 『うまかったぞ』
まず、『最強のおにぎり使い』はとどろく天に向かって右手を掲げた。そしてその右手の手首を左手でつかみ、ちからをためる。
「……ふんっ、ぬ!!」
気合一閃、するとそこに、ぽん、とひとつのおにぎりが浮かんだ。
…………は?
ジョンは思わず目を丸くした。
魔法というのは意識による魔素の流れの操作で、風や炎などのエネルギーを操ることに向いている。
しかし、特定の物体を無から出現させることはほとんど不可能に近い。魔素はそこまで複雑な構造をしていないのだ。質量を持つ物体をなにもないところに出現させるには、想像を絶する複雑な意識のコントロールが必要になる。
それを、この老人はやってのけたのである。
たかがひとつ、おにぎりを作り出すためだけに。
なんというちからの無駄遣い。
ジョンはちからそのものよりも、その使い方に呆れてしまった。
「……なあに、これくらいは朝飯前よ……」
『最強のおにぎり使い』は小さく笑うと、さらに念じるようにちからを込める。
すると、ひとつだったおにぎりが分裂してふたつになった。
まるでゲームのバグのような魔法だ。さらに分裂を繰り返すおにぎりは、ふたつから四つ、四つから八つと、二の階乗の分だけ増えていった。
やがて分裂は100回を迎え、1267650600228229401496703205376個ものおにぎりのかたまりが、雲海のように『最強のおにぎり使い』の頭上に広がった。
その質量たるや圧巻の一言だ。もはやおにぎりのかたまりと言っていいものなのかわからない。膨大な数のおにぎりがひしめくさまは、まるで悪夢のひと幕のような光景だった。
右手を掲げ、天文学的な数のおにぎりを操る『最強のおにぎり使い』は重々しい息を吐いて告げる。
「……これはひとつひとつが鉛の重さの、食べ応え抜群の梅おにぎり……圧倒的おにぎりの大津波に押し潰されるがいい……!」
「……なるほど、『最強』……っ!」
ジョンは納得したように笑い、強く地を踏みしめた。
「くらえ!! おにぎりタイダルウェーブっっっっっ!!」
『最強のおにぎり使い』が腕を振り下ろすと、無数のおにぎりが雪崩となってジョンに押し寄せた。大規模な災害クラスの攻撃は、轟音と共に地を揺るがし、山が怯えるように震える。風がうなりを上げ、砂埃が逆巻いた。
そんな大質量をぶつけられては、たったひとりの人間などひとたまりもない。
……そう、普通なら。
「……やったか……?」
息を乱す『最強のおにぎり使い』は、土ぼこりの奥に視線を向けた。だんだんと視界が晴れていき、様子がうかがえるようになる。
そこには、ジョンがひとり平然と立っているだけだった。
あれだけの大質量のおにぎりは、米粒ひとつ残さずなくなっている。
目を見開く『最強のおにぎり使い』に向けて、ジョンはげっぷをひとつ。
「うまかったぞ」
にやりと笑って言ってのけた。
『最強のおにぎり使い』の額に冷たい汗が浮かぶ。
「……まさか……まさかまさかまさか……っ!?」
おにぎりの小宇宙の行く末は、まさか。
「……全部、食った……だと……!?」
「ああ、まだ腹八分目ってところだな」
1267650600228229401496703205376個ものおにぎりを、ジョンはすべて食ってのけたというのである。とてもジョンのからだに収まるだけの質量ではなかったはずだが、実際にジョンはすべてを平らげてやり過ごしたのだ。
もはや大喰らいというレベルの話ではない。
「しかし、さすがに梅干し味ばかりだと飽きが来るな。今度はおかかのおにぎりを頼む」
しれっと告げるジョンに、『最強のおにぎり使い』はがっくりとその場に膝を突いた。
「……ま、負けた……!」
歯を食いしばりながら悔しげに地面を殴りつける『最強のおにぎり使い』。
ジョンはその頭を踏みつけにすると、腕を組んで傲岸不遜に言い放った。
「頭が高いぞ、『最強』」
「……くそっ……!!」
そのうめきはまさしく敗者のそれである。
ジョンは勝利したのだ。
最初の『最強』を狩ったのだ。
その確信を得た瞬間、ジョンの脳内に麻薬物質が大量分泌された。アドレナリン、オキシトシン、セロトニン……様々な脳内麻薬に酔ったジョンは、目もくらむような勝利の快感にしびれた。
勝った。『最強』を踏み越え、より高いステージに立った。
それだけで、失禁しそうなほどの興奮を覚える。
エクスタシーに近いそれは、ジョンがずっと追い求めていたものだ。そのために歯を食いしばって強くなり、ここまでやってきたのだ。
途方もない達成感、充実感、自己肯定感。
自分はここにいてもいいのだと、生の実感を得ることができた。
涙さえ流そうとしたそのときだった。
よくやりましたね、ジョン・ドゥー!
神の声の祝福が聞こえる。あれだけジョンを否定していた神の声も、この勝利をよろこぶように弾んでいた。
あなたはまた頂点に近づきました! あなたは強い、あなたには価値がある! あなたは存在していいのです!
その言葉に、今度こそジョンは一筋の涙をこぼした。
そうだ、自分はこの世界にいていいのだ。
レーゾンデートルを勝ち得たジョンは、泣きながら空を仰いだ。あれだけ荒れていた空模様も、ジョンをたたえるかのように青く晴れ渡っている。
うれし泣きの涙を流しながら、ジョンはこの世界に深い愛を感じた。
…………それで?
は?とジョンは耳を疑った。
神の声は続ける。
次はどの『最強』を狩るのですか?
次?ジョンはさらに混乱するが、神の声は止まらない。
なにを言っているのです、戦わない、勝ち取らないあなたなど無価値ですよ? 戦い続けなさい、己の存在意義を勝ち取りなさい! さもなくば、すぐに死になさい!!
神の声は容赦なく告げる。これでは足りないと。もっと戦えと。
勝利の快感はすぐに飢餓感に変わった。
たったひとり『最強』を狩っただけで、なにを満足しているのだ。
もっと、もっと。
次の獲物はどこだ?
すっかり涙も枯れ果て、『最強のおにぎり使い』を制したジョンはふらふらとその場を後にする。
次だ。
もっと戦わなければ。
それでなくては、ジョンは存在意義を失ってしまう。
もう尊厳のない無価値な人間ではいたくない。
勝ち取らなければ。
この世界に存在していてもいい理由を。
もっと、もっと強い『最強』はどこだ……?
そして、ジョンは神の声に導かれるまま、次なる『最強』を求めて、再び果てのない旅路につくのだった。
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