第12話 クラスにて

 翌日、教室に顔を出すのが、いささか不安だった。

 昨夜別れた時、姫乃は機嫌が悪いままだった。

 一夜明けてどうなっただろうかと戦々恐々としながら席について、前の方の席に目をやると、いつもと変わらない景色が広がっていた。


 隣の席同士でお喋りする者、離れた場所へ出張して談笑する者、黙々と机の上にある教科書に目をやる者、ぼーっと外を眺める者……

 姫乃と戸野倉さん、真壁さんの三人は一か所に固まって、何やら楽し気に、軽やかに語らっていた。


 一瞬姫乃と目が合ったがすぐに逸らされてしまい、何だか不安が拭えない。

 胃が痛くなるような気分を味わいながら、一時限目の授業の準備をした。


 できるだけ余計なことを考えないように意識しながら、なんとかやり過ごして昼休みに。


 木原と榎本の元に向かおうかとしていると、席を立った姫乃がつかつかとこちらにやってきた。


「またコンビニご飯なの?」

「あ、まあね。いつもこれで慣れてるし」

「はい、これ」


 そう言って、手に持っていた手さげ袋を差し出した。


「え、何?」

「よかったら食べちゃって。材料が余ったから、ついでに作ったから」


 中を覗くと、綺麗なハンカチに包まれた四角いものが。


「これって、お弁当?」

「うん。今日だけ特別だからね」


 それだけ言ってから、また元の席へ戻って、女子仲間と一緒に自分のお弁当を広げ出した。


 突然のことなので呆気にとられてしまって、御礼も言えなかった。

 周りからチラチラ目線が向けられて、ひそひそ話が聞こえる。

 よく聞き取れないが、『弁当』のキーワードが流れてくるので、多分今のシーンについての反響だろう。


 教室内でお弁当のやり取りがされることなど多分レアなので、短い時間ではあったけれど、外野の興味を惹くには十分だったらしい。


 じわじわと、俺の中で『何で?』といった困惑が、なにか温かなものに変っていった。


 席を移動するのはやめて、自分の席で一人のランチタイムにした。

 弁当箱の蓋を開けると、玉子焼きやウィンナー、野菜の煮物といった具材が綺麗に詰められていて、白いご飯用のふりかけも添えられていた。


 こんなの他の連中に見せるのはもったいないと思って、一人でじっくりと味わう。


 姫乃が自分で作ってくれたものなろうか。

 だとしたら、彼女は相当料理が上手なように思う。

 味がじっくりとしみ込んだ煮物は多分夜の残りとかだろうけど濃厚な風味で、黄色い玉子焼きの柔らかさと甘さは、俺の心をぐっと惹きつけた。


 全部美味しく頂いてから、姫乃の元へ。


「あのさ、姫乃さん」

「なに、陣君?」

「ありがとう、すっごく美味しかった」

「そ。それは良かった」

「弁当箱は洗って返すからさ」

「いいわよそんなの。今日はついでだっただけだから。それより、たまには昼も、ちゃんと食べないとだめだよ? 菓子パンとかばっかじゃ、太っちゃうから」


 どうやら、俺の体調を気遣ってくれていたみたいだ。


「いいなあ、姫乃のお弁当。私も食べてみたい」

「あんたとは、いつもおかずの交換してるでしょうが」

「え~、一回私も作って欲しい~!」

「はいはい、また今度ね」


 見た目中学生の真壁さんと姫乃がそんな絡みをすると、お姉さんが妹をあやしているかのように見えて、何だか微笑ましい。

 その横では戸野倉さんが、何も言わず、彫像のように整った表情を崩してくすくすと笑っていた。


 お陰で今日は、お腹も心も満腹だ。

 残ったコンビニ飯は、今日の夜食にまわそう。

 それはそれで、思いっきり太ってしまいそうではあるけれど。


 その日の放課後は、担任も交えて臨時のHRになった。

 議題は、秋に行われる文化祭のネタ決めである。


 学級委員の女の子が教壇に立って、話を進める。


「このクラスから実行委員を5人決めるのと、出し物を決めて、学校に提出する必要ありです。実行委員は全体の運営と、このクラスの出し物の取りまとめをやります。私は実行委員に立候補しますから、他に誰かいませんか?」


 こういう場合は大抵すっとは決まらないことが多い。

 引き受ければ大変になるってのは、目に見えているから。


「俺部活あるしなあ」

「私も、塾とかあるし……」

「俺、犬の世話が……」

「はああ、何だそれ!?」


 案の定、消極的な意見が多い中、担任からプリミティブな提案があった。


「なら、くじ引きにするか?」


 公平ではあるけども、当たってしまったら問答無用なので、ある意味暴力的にも思えてしまうが、誰も異論を唱えることはできないだろう。

 

 確率1/10か。

 運が極端に悪くないことを信じたい。


 担任が即席のあみだくじを作ってクラスに回し、全員が一か所ずつに名前を書いた。


「じゃあ読み上げるぞ。 まず最初は――」


 緊張しつつ、自分が呼ばれないことを祈りながら、耳を欹てていると、


「一条!」


 全員の視線が、姫乃の方に集まった。

 後ろ見からだけれども、彼女は動じることもなく、「はい」と応えた。

 こういう所は、引きが強いのか弱いのか、果たしてどっちなのだろうか。

 俺の感覚でいえば、後者にあてはまるのだけれど。


 担任が次の名前を呼ぼうとすると、すっと手が上がった。


「先生、姫乃がやるんだったら、私もやります」

「あ、じゃあ、私も私も~!」


 普段仲良しの戸野倉さんと真壁さんが、立て続けに手を上げた。


「そうか? まあ希望者重視だから別に構わんけど、じゃああと一人だな……」


 そんな中、姫乃が首を捻って、綺麗な顔をこちらに向けた。

 何かを言いたげな目線をじっと俺の方に送って。


 そういうことか、なら、推しの立場としては、仕方ないな。

 今日のお弁当のお礼も兼ねてといったところにもなるだろうか。


「先生、俺でよかったら、やりますけど」

「お、畑中、いいのか?」

「はい」


 この手の経験は全く無いし、バイトとの掛け持ちが気がかりだったけど、あそこで何も言わなかったら後が怖いかなと思った。


 これで、実行委員の5人が、無事に決まった。


「では次に、出し物を決めたいと思います。何かアイデアありますか?」

「あの、何でもいいんですか?」

「学校の許可がいりますが、一応制限はありません」


 教室の中の所々がざわめき出して、囁き声が漏れ出る。


「去年は、どんなのがあったんですかあ?」

「喫茶店とか、創作物の展示とか、出店とかが多かったみたいですね。三年生は、ダンスや劇なんかもやったみたいですけど」


 それから、色々な意見が飛び交い、ミニゲーム、焼きそば屋、絵画の展示、喫茶店といった内容が、黒板に書きだされた。

 それを見て、ちょっとちゃらっぽい男子生徒が、


「喫茶店って、普通にやるやつですか?」

「と言うと?」

「メイドカフェとかだと盛り上がるかも」


「あ、それいいかもなあ」という男子の意見と、「え~、誰がやるのよそれ?」といった女子の意見が飛び交って、俄かに熱を帯びていった。


「メイドは崇高にして神聖な職業なんだぞ?」

「メイド服じゃなくても、接客はできるでしょう?」


 議論が平行線になりかけたところで、姫乃が手を上げた。


「だったらコスプレ喫茶にして、みんなが好きな服を着たら?」


 そんな提案に、また色んな意見がクラスから飛び出して。


「うん、それだったらありかも」

「男子もやるんだよね、それ?」

「それだったら俺、鎧かぶととかの方がいいなあ」

「私、百合坂のユニフォームがいい!」


「そこは好き勝手やるとばらばらになるので、またコンセプトを決めましょうか?」


 学級委員の申し出に反対意見もなく、結局このクラスの出し物は、『コスプレ喫茶』に決まったのだった。





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